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妄想

私はよく、子供の頃、
自分以外、皆ロボットだったらどうしようとか、
全部が幻の世界だったらどうしようとかっていう
妄想をして、一人で怖がっていた。

大人になって、藤子不二雄ミュージアムへ行った時、藤子F不二雄さんのマンガを買ったのだが、
その中に、子供の頃、妄想して怖がっていたことがそのままマンガで表現されているお話があって、
びっくりした。

同じことを考えてる人がいたんだ!って
びっくりもした。


以下ネタバレあります。

どことなくなんとなく 扉絵

「どことなくなんとなく」というお話は、
実は、自分は、核ミサイルで滅んだ地球の遺跡に
残っていた細胞のDNAを、宇宙人(?)によって
培養して作られたクローンで、
周りは全部その宇宙存在が再現した世界だった
って言う話です。

つまり、血が通って、生きている生き物は自分だけで、周りは全部作り物。

はっと気づいたら、宇宙空間に浮いていて、
どこからともなく声だけがするだけ。

私もよく、周りは全部幻で、本当は自分だけだったとしたらどうしようとか、自分が見てない時は、
その世界はなくなっていて、認識してる部分だけが現れているのかもしれないとか、妄想していた。

あと、同じく藤子F不二雄さんのマンガで、
「ひとりぼっちの宇宙戦争」は、
人知れず地球を救うために、
1人で宇宙人と戦う羽目になって、
条件を対等にする為に、自分のクローンと戦う話。

自分だけが知っているけど、重大なことで、
下手したら死んじゃうかもしれない状況。

子供の頃、夜中に熱が出て、相当苦しんだのに、
朝になったら下がってて、親に熱があったことを
秘密にしている時みたいな感覚。

こういうことも、私も妄想していたなあと思った。

ひとりぼっちの宇宙戦争 扉絵


藤子不F二雄先生って、本当にすごい。
人間が潜在的に感じてる、不安や恐怖を、
こんなに分かりやすくマンガにできるって、
本当に天才だなって思った。


誰にも知られることなく、自分しか知らないって
いう状況は怖い。

多分、孤独だからだろうな。

物理的に1人でも、
少し離れたところに血の通った家族がいるって思うだけで安心するし、
多少嫌な思いをしても、生きてる誰かと
関われるって幸せだ。

何なら、会話できなくても、死んだおばあちゃんが
見守ってくれているっていうだけで安心できる。

誰かが自分を認識していてくれる、
気にかけてくれるっていうことが、人間には必要なのかも。

人って、1人で生まれて、1人で死んでいくけど
孤独に弱いんだなあ。

もしかしたら、自分は、世界の1つのピースでしかないし、他者がいるから成り立っているんだということを、深いところで分かっているから
こういうありえない孤独が気持ち悪いのかも。

もし、本当に、世界の一番最初は、1人の神様しかいなかったとしたら、確かに、自分の分身の人間や、自然や、世界やその他の生き物も作るだろうなと思った。

やっぱり1人では耐えられないだろう。


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