ノーベル平和賞と羽生結弦アイスストーリー『Echoes of Life』 in広島
ノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の授賞が決定した。今年の平和賞が日本に来る前評判なんてあったか。ノーベル賞にそんなに関心を持たない日々の自分を申し訳なく思いながら書いている。毎年文学賞が取り沙汰されるし、理系の分野で受賞されてきた。こども心に平和賞が佐藤栄作氏に決まった昔をふーん程度に覚えている。
羽生結弦アイスストーリー第三弾『Echoes of Life』を広島で開催すると分かった時、広島で滑る意味をファンは少なからずとも考えただろう。
アイスストーリー第二弾『RE_PRAY』佐賀公演のオフ日に滞在先ホテルで見た番組のことに羽生くんは触れた。たぶんこの番組だろうとブロガーさんに教えてもらったのを探し出した。
羽生くんが広島や長崎の原爆のことに触れるだけで、ファン皆の意識のベクトルが一斉にそちらを向くほど影響力を持っている。そこから学ぶ。考える。知る。100人寄れば何とやらというが、その数は万をはるかに超えるのだからさまざまなジャンルからのその考察はいつも深くて広い。
私は昨年の夏の初め、広島原爆資料館を訪れた。ずっと昔に行ったきりだ。一番に感じたことは、広島サミットが世界配信されたこともあってか、私もそうなのだけれど、見学者の層を大きく変えていた。修学旅行生の姿は変わらないにしても多言語ばかり聞こえてくる。展示室スペースに一歩入ればインバウンドの物見遊山だけではない空気感があった。無言と鼻水すする音と目にハンカチと、確かにそこは消えない過去への後悔、懺悔、悲しみを思い出すには充分な場所だ。見学し終わった頃には足も心も疲れててなかなか辛い。外の空気にホッとする。
羽生くんはこれまでも今の時代の不穏な世界情勢を憂える言葉をツアー中のMCで話すことがあった。
日本は忘れているようだけれど、羽生結弦は世界規模の知名度だ。その発信は有志の翻訳で世界に飛んで行く。IOCも羽生が何かをやるぞと、その都度記事を上げてくる。
考えてみれば正月三が日にアイスショー開催は異例な日程ではないか。広島県民羽生ファンに盆と正月がいっしょにやって来る!みたいなふざけた言葉が頭に浮かんだ。そして平和であってほしいとも、哀しみにくれたもう1年になろうとしているあの元日を思った。
「命の意味」「生きる意味」を課題に引っ提げて羽生結弦が広島に舞う。
平和賞のニュースを見ていたら、「核廃絶の実現に少しでも尽くすのが、自分の生きる意味だと思ってやってきた」と100歳のその方は言った。
羽生結弦はいつも何かを持っている。ノーベル平和賞はサプライズだと語弊を承知で言う。もう三か月後に迫る広島公演はきっと今年1月の佐賀公演に匹敵するほどの盛り上がりを見せるだろう。平和を願う時どうしても祈りの場所ではあるけれど年の初めの目出度さにお祭り騒ぎがあってもいいと思う。シーズンオフだけれど羽生くんが推す球団カープの本拠地でもある。広島の人は知ってるのかなあ彼がカープファンだって。
確実に広島という地にファンだけに留まらない意識が集まるはずだ。
エンターテインメントとして素晴らしいのはもちろんだけれど、羽生くんの社会性を含んだ問いかけが感じる人にはいつもより少しだけ濃く映ったりするのだろう。
ニュースに載せてほしい。ぜひ全国版で、地上波で報じてほしいと思う。原爆投下の場所に絡め、平和に絡め、祈りに絡め、自ら媒体という羽生結弦を利用して核の廃絶を、核使用を妄想する輩の愚かさを、平和を訴える日本の心を伝えてほしい。
羽生結弦のスケートが2025年新春に広島にある意義が伝わることを祈っている。
<ひとり言>
いつかノーベル平和賞を羽生結弦が受賞すべきだと常々思っているのは私一人だけじゃないよね。