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自己紹介 大学生編
写真は私の愛犬です。笑
いつも読んで頂きありがとうございます!
本当嬉しいですし、誰かの何かに繋がれば僕も書いてる意義があるのでとても励みになります。
さて、今回は大学生編を書いて参ります。
※震災関連の文があるので予めご了承願います※
前述の通り高校のほとんど毎朝一緒に通学していたクラスメイトがあの津波で亡くなった。高校の担任が卒業式の後に最後のホームルームで『どんなに辛い事があっても死ぬなよ?』と言っていたのが鮮明に覚えている。大切な人が近くに居るのは当たり前じゃなくて本当にかけがえの無い事なんだと思った。
大学の入学式が1か月伸びて長めの春休みを過ごしながらその期間に亡くなったクラスメイトの葬儀に友人達と参列した。参列して分かったのはクラスメイトだけでなく彼の祖父も同じ日に亡くなっていた。
そこで彼が津波に飲まれるまでの話を聞いた時に最後までいい奴だった。クラスメイトはあの大地震が起きた時に内陸に逃げていたのに自宅に居た祖父、ペットの犬が心配で戻りに行ったと地域の方の静止を振り切り自宅に戻る彼と話したというのを聞いた。一緒に逃げようと様子を見に行ってそのまま津波に飲まれてしまった事、まだ見つからないご遺体もある中で彼は数日後に祖父と共に見つかった事。それを聞いて遺影を前にした時に亡くなった実感が湧いた。ある意味で本当に亡くなった事の踏ん切りをつけさせてくれたのかもしれない。
彼の最期を書くのはとても悩んだがこういう事実があった、そして彼の居ない世界を懸命に生きているご家族達がいらっしゃる事を後世に伝えていきたいから書かせてもらった。君は笑いながら許してくれるよな。
葬儀から数日してから大学の入学式が簡単に執り行われた。
春休みから人生で初めて始めたピザ屋のデリバリーのアルバイトをしながら大学生生活がスタートした。ただピザ屋のアルバイトが凄く店長が高圧的で社員並みにアルバイトへ厳しかった。怒鳴られたり理不尽だなーと思って萎縮してフリーズしまう事もあって『行きたくねえ』と思う事が沢山あった。笑このアルバイトの原体験が社会という事を痛感させられたのも今でも覚えている。
入学後はハンドボール部に入部し週4回練習しながら勉強をして友人達と遊ぶという普通の学生生活だったと思う。
部活は弱いチームではあったが自分達で何とかしよう!というメンバーが多くてリーグも上の順位に大きく昇格出来て『仲間と協力しながら目標達成する』というのが好きになったのは社会人人生へ大きな影響を与えた。
友人達とは遊ぶと言ってもお酒を飲むというよりは日帰りで遠出したり、夜景を見に行ったり、ファミレスで朝方までドリンクバーで語りあったりと何気ない日常が本当に毎日楽しかった。彼女は出来なかった笑。好きな女の子は居たのに告白してフラれたらどうしよう?とばかり考えて行動出来なかった。😂これをHSP気質のせいにはしたくないが告白する前に色々と考えちゃう人って居ませんか?いや、居てください。笑
勉強は単位ギリギリでテストを乗り越えてなんとか卒業した。ただここでまた目的からずれているのが自分のダメなとこだ。あれ、君は『高校の先生になりたい』と漠然とはいえ目標を持って母親や久しぶりに連絡を取った実父から協力をして貰って高い学費と多くの奨学金を借りて入学したのでは無かったのか?また何かに流されたのか?そもそも本当に心の底から先生になりたかったのか?ただ高校卒業と同時に働くのが嫌で建前で耳障りのいい理由を並べただけなのではないのか?
そう思われても仕方ない。
大学卒業後の君の進路はなぜなら『広告代理店兼法人営業職』なんだから。
あれ、工業大学4年間行ったんだよね?
さ、今回はここまでにします!笑
読んで頂きありがとうございます。