「幽」のはなし
「幽」から、連想するのは、やはり日本人なら幽霊だろうか。
(心霊系の話ではありませんので、あしからず)
一昔前(コロナ禍になるよりもずっと前)に、街ブラをしていたとき、たまたま寺院の前にさしかかった。その玄関口には、立札に大きく墨書きで「幽霊画展」とあった。
わりと目立つ立札なのに、人はほとんどおらず、静かだったことを覚えている。とくに時間を持て余していたこともあり、僕は興味本位で入ることにしたのだ。
正直なところ、映像作品と比べれば、動きも音もなく驚かされるわけではないし、そこまで怖いものではないだろうと思っていた・・
うす暗いお堂に一歩入ると、そこには大小さまざまな幽霊画が無数に展示されていた。
その静かで、うす暗いお堂のなか幽霊が佇んでいる雰囲気は、妙な気迫があった。
そして、段々と物言わぬ幽霊画をまじまじと観ていると、なぜそこに幽霊がいるのか、何を見ているのか、恨んでいるのか、作者はなぜ風景画や生者ではなく、あえてこれを描こうと思ったのか等、その世界に引き込まれるような気がした。
美術館にいく人はお分かりだと思うが、西洋美術と違って日本美術というのはあえて薄暗い中で観ることが多い。
それは、すなわち日本美術は、ほのかにうす暗い屋内で観ることで、より美しさが際立つとされているからという。
幽霊画を見ていると怖いというよりも、幽かな美しさ・・まではいいきれないけれど、どこか儚げな幽霊たちの物語を読んでいる気持ちになる。
お寺のお堂から外に出た瞬間、明るさで眩しさと同時に、なんともいえない開放感があったことを覚えている。
この体験をふと思い出して、調べてみたところ、日暮里にある臨済宗全生庵というお寺であることがわかった。
そして、なんといま、イベント開催中だった。
奇遇というか、期間中に急に思い出したのだから、また来いと呼ばれているような気もする。久しぶりに行ってみよう悩むところだ。
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