【散文詩】半自動筆記に因る夜想曲(21)-2:『For Answer』-2
本当に、人生って紙風船のように儚いものだね。
君との楽しかった日々も、教師共に『悪いのはあいつらだ』なんて悪態を付きまくって居たのも、周りの子達が皆が皆お地蔵さんみたいだったのも、欲で突っ張り過ぎて顔がフットボールみたいだった両親の事も。
それから、あの美しかった森の事も…
あれからそんなには時間は経ってない筈だけど、もう、百年も昔の事みたいにしか思い出せなくなって居るよ。
だけど、一緒に森に行って兎を捕まえた日の事は、今でもはっきり思い出せる。それにしても、良く細かい所まで覚えて居たね。だからこそ、そういう君だからこそ、私は君の事が大好きだったんだよ。
だからって訳では無いけれど、
この場を借りてあの時の答え合わせをしようか。
まず、白兎について話そう。あの日森に入る少し前、言わなかったけど、ノートの端で軽く指を切ってしまったんだ。もちろん大した傷じゃない。
だけど、心に訴えるものは、手の傷の比じゃなかった。
真新しい白いノートに、紅く滲んだ血の染み。
その日はそれきり、瞳の紅い、白い兎を捜さなきゃならない気がしてたまらなかった。何だかすごく、怖くなった。だから、君と森に行きたかった。
幸いにして、私が思った通りの白兎が見付かってすごくホッとした。君はまるで超能力のように思って居るけど、本当に偶然の事なんだよ。
次に、帰る時、つい口に出してしまった言葉について話したい。
あれは、私がずっと信条として思って居た事だった。
私達が虫以下だって思うのは、『人間』っていう存在がとても不自然な存在に思えて仕方なかったから。
人じゃない別の生き物には、果たして繁殖を抜きにした『好き』って気持ちは、有るのだろうか。反対に、繁殖する事を抜きにして、『好き』って気持ちは、有って良いものだろうか。
最初の命題に従うのなら、私達の抱く『好き』の気持ちに意味は無い事になるし、後ろの方に従うのなら、
有ったところで結局価値の無いものになってしまう…。
こう考えると、私達の『好き』は、自然からも、そして、その末端である『人間』の営みからも拒絶されているようにしか感じられない。
あの時つい口に出してしまったのは、沈んでいく夕陽に浮かぶ景色が美し過ぎて、これまでの『人間』の営みに依って流された血で何も彼も染め上げられた滅びの世界にしか、感じられなくなって、ただ惨酷さだけを示しているのが、とても恐くて、ああでも言わなければ、みっとも無く泣き崩れてしまいそうだったから。
あんなに恐い思いをしたのは、あれが最後だった。
今では魑魅魍魎がとぐろを巻いて居るような魔都に居て、きっともっと酷い事を見聞して、自分自身も散々巻き込まれもして来たのに、
可笑しいよね。
<続>