『わがまま』と『特性によるどうしようもないこと』の区別がつかない という話を深く考えてみる話
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『わがまま』と『特性、こだわりによるどうしようもないこと』の区別がつかない
とこぼしているご家族の方がいらっしゃいました
記事にしたい旨を伝え、ご了承をいただきました。ありがとうございます
今回、この内容を記事にしたいと思ったのは、私もこの境界線が曖昧なことが多々あるからです
プロでも難しい内容ですし、対応を失敗する方も多くいるんじゃないでしょうか
しかし、
こういった考えを大切にしていたよ
こういった関わりを大切にしていたよ
は発達支援の世界で形成された経験があるので私の中でまとめておきたいと思ったのです。今後の自分の対応のために…
疑問の中には、「ワガママ」と「特性」を判別する装置が欲しいという話もありました
これはわがまま 叱ってよし
これは特性 対策すべし
これがあるなら私も喉から剛腕がでるほど欲しいです(´・ω・`)
まぁ…わがままであれば叱ってよい という話でもないのですが…ただ、
基本的に「人間」は「喜怒哀楽」の感情があります
その制御の仕方を、人と関わり、自分で考え、試行錯誤しながら、長い年月をかけて学ぶのです
実際、子育ての場面でお子さんに「怒らない」ということは「不可能」だと考えていますし、人間の「怒」という感情を
制御するためには、実際に体験して、それをわが物とするために、自分で制御する成功体験をどこかで味わってもらう必要があります
なので、私は子育て(人間育て)の場面で「叱る」「怒る」というのは自然なものである
という考えも持っています。「叱らない子育て」というのも、行き過ぎれば不自然なものです
もちろん、怒ることのデメリットもありますので、それはこちらで語っています
うまーくバランスが取れればいいんですが、その匙加減が難しいんですね(´・ω・`)
●「わがまま」と「特性」のどのように見極めればいいのか
さて、話はそれましたが、では「わがまま」と「特性」のどのように見極めればいいか という話をしていけたらと思います
私はこの行動を分けてみています 図にするとこんな感じです
わがまま
特性(こだわりや強い拒否)
その境界は明確でなく、スペクトラム状になっていると考えます
しかし、その行動がでる「根源」が違う という認識です
以下に記述していきます
わがまま
まず「わがまま」ですが、この行動が出ている時は、本人は「ポジティブに余裕がある」「他者との関係性が構築されている」と感じます
・身体面、精神面、環境面において、本人の心の余裕がある
・周囲の大人に「甘えてもいい」、例え甘えても関係性が崩れないであろうという他者への信頼
があるのです
「わがまま」と呼ばれる行動は、他者との関係性ができており、自分の意をまっすぐ主張できる環境でないと成立しないのです
お子さんのあの地べたに這いつくばってでも自分の意を通そうとするあの凶悪な様相の裏には、そういった「ポジティブな要素」があると考えられます
特性(こだわりや強い拒否)
特性といえば、すぐに何が浮かびあがるでしょうか
ADHD特性
ASD特性
感覚の過敏さ
感覚の鈍麻さ(低反応)
などなどが頭に浮かぶのではないでしょうか
特性になってくるとその行動の裏が違ってきます
お子さんの行動が
「しなければいけない」
「しないと気持ち悪い」
「やらないと不安で仕方ない」
「~をするのは命に関わる」
といった「不安」や「恐怖」が根源にあることが多いのです
例えば、感覚ベース(味覚、嗅覚、触覚、視覚、聴覚)の話で
「野菜を口にすると吐き出してしまう、大人を叩いてしまうほどの拒否をする」という行動があったとします
これが味覚、嗅覚の過敏さ(特性)で引き起こされている時、この「吐き出してしまう」「大人を叩く」といった行動は反射に近い「防衛反応」になっていることがあります
これは「わがまま」のような「ポジティブな要素」はなく、「命を守る緊急避難」なのです
命を守る反応であるため、その後は「逃避」することに気持ちが固まってしまい、こちらの声掛けが入らないこともあります
ここで怒ってしまうとどうでしょう
本人とって「命の危険」を感じているのに大人は更に強要してくるという状況は、信頼関係を著しく損なう結果になるのです
●「わがまま」だったら、特性だったらどう対応していくのか
なので、「わがまま」と「特性」の見極めはその行動の根源が何なのか
「ポジティブな感情なのか」
「不安や恐怖なのか」
を確認していくことが一番重要なファクター なのだと考えています
一度だけの行動だけをみて「わがまま」と「特性」の判断はほぼできません
・日常的に起こっていることなのか
・一過性のものなのか
・表情はどうか
・誰に対しても出ている行動か
それも判断材料になります この一連の行動も、自分の気持ちをなかなか言語化できないお子さんの「声なき声」と捉えることができます
そして、また性格や別の特性が絡みあうことでみられる「行動の複雑化」も考慮に入れる必要があります 大変ですよね…
「特性」と「わがまま」で対応が変わるかという疑問もあると思いますが
正直、ここに大きな対応の差はないと考えています
具体的な対応は明言できないのが正直なところです
なぜならお子さんの
取り巻く環境
人間関係
いままでの過ごし
特性
お子さんの自身の気持ち
など、様々なものが入り交じった末に「行動」として現れるので、「これ」というのものを断言するのはできないのです
最初の図で示したように「わがまま」と「特性」の垣根は曖昧で、混合しうるものでもあるのです
皆さんの反応をみるに
「お子さんの話を誠実に聞いてみる」というのが最も合理的で、包括的な対応を実践しているのではないでしょうか
ここに少しエッセンスとして、
・お子さんの行動が「ポジティブ由来」か「ネガティブ由来」かという見立てを加えること
・「声なき声」を拾い上げる意識を大人が持つこと
を推していきたい というのが私の考えです
●まとめ
ここまでまとめましたが、正直、子どもであるがゆえに気持ちを言語化できない、大人であれば解決できることが「わがまま」とされている部分もあるのではないでしょうか
彼らは
お金も
動き回れる自由
も制限されています。なぜなら、まだ、精神的にも身体的にも認知的にも、経験的にも未熟で、大人の保護がなければ「生きていけない生き物」です
我々は大人になったら解決できる、というか、ある程度好き勝手出来るじゃないですか
それは、成長の過程で様々なことを培ってきた「総合能力」ゆえなのです
目の前のお子さんが「分からない前提で大人は立ち回る」ことが大事です
大人同士でも気持ちが分からないじゃないですか。子どもならなおさら
「一人一人にどうすれば伝わるだろう」をその都度考えることが大人である我々の役割なのだと考えます
重いけどね 役割…