現在の支援の「身体拘束」についての考え方と「さるく」の事件について考えた話
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ここ十年ほどで、支援における「身体拘束」についてかなり厳格になった印象があります
今、「身体拘束」って児童福祉の世界でもかなり慎重に対応していて、一時期「抱っこで場所を移動すること」でも支援者はナーバスになってた時期もあります
ここ最近は、「拘束でないか」という行動はしっかり記録に残し、監査でもしっかり確認されるようになってるんですよね
記録にのこし、支援者同士で議論することで、その支援の根拠が明確にるからです
NPO法人「さるく」の利用者さんの監禁、強要で、支援者が逮捕された事件は記憶に新しいと思います
一人の支援者だった私としては「到底許されることではない」と思いつつ、「じゃあなんでこんなことが起こったのか」分析する必要もあるのではないかとも思っています
今回の事件で行った利用者さんへの対応は
・記録に残していたか
・周囲の支援者が議論の末に行った根拠のある支援だったか
支・援を行う利用者さんの家族の同意の上だったか
・第三者的評価が正しく機能していたか
等、支援者が確認、精査しなければならなかったことがたくさんあります
恐らく「支援としておかしい」と感じたご家族、職員が動いたのではないか と推測されます
支援者と被支援者の間には、「支援を受ける」ことに対する「負い目」みたいな関係性が構築されることが多いです
実際に実績とそれなりの歴史があれば、強度行動障害で苦しんでいる本人、ご家族はそこに助けを求めるのは自然の流れだと思います
ある意味、「支援を人質にとる形」になるのです
この事件に関係のあるご家族の状況としては、支援も少なく、頼れる支援者もいない中でようやく見つけてた福祉の繋がりであるかもしれません
中には救われたという方もいるでしょう そこはそれでいいと思います
この事件は支援者が道を間違えた、自浄作用がなくなった法人の末路みたいなものなのです。ある意味、福祉の世界、歴史ではよくある事なのです
ご家族が罪の意識を抱えることはないのです
支援が罪になるかの境界線は常に曖昧です。それを常に議論し、根拠を明確していく、そして質の高いよりよい支援を構築していくことが福祉関係者の仕事であり、役割なのです