『聲の形』は子供が観るべき映画だと思う。
ちょうど8/17に金曜ロードショーで放送されたということもあって、今回は僕の好きな映画『聲の形』について書いていきたいと思います。
2016年、『君の名は』が空前の大ヒットを記録していたなか、劇場でこの映画を観た時のことはいまだに覚えています。綺麗なアニメーションや巧みな音楽表現はもちろんのことですが、なにより作中で描いたテーマに心惹かれました。隠れた名作にはならないでほしい、と強く思いました。
そしてタイトルに書いた通り、ぜひ子供に見てほしい作品だなと思いました。それはなぜかというと、
➀本作品のテーマを感じ考えてほしいから
➁テーマを読み解く読解力が鍛えられるから
以上二つが理由です。
どういうことなのか、以下に書いていきます。
作品の中身に触れるため、ネタバレ注意です。
まずストーリーなのですが、耳が不自由な少女・西宮と元いじめっ子の少年・石田が高校生になり再会するというものです。小学生の頃ガキ大将であった石田はクラスメイトとともに転校生だった西宮をいじめるも、そのことが明るみに出てから自分がしでかした事の大きさに気付きます。かえっていじめの対象となったり、母が賠償金として多額の金を渡したりといった様子を見たりするうちに芽生えた罪悪感に苛まれた日々を過ごします。その過程で人の顔を見れなくなった石田は、人の悪い部分しか感じ取れなくなってしまいます。
そんななか、病院で西宮と再会します。自身が傷つけてしまった罪悪感から西宮に償いをしようと石田が決意し動いていく中で、新たな知人やかつての同級生たちなんかと関わっていく…そういったものです。「障がい」「いじめ」「自さつ」といったセンシティブな題材を取り入れながら高校生たちの複雑な人間ドラマを描いています。
石田がいじめを始めたのは、耳の聞こえない転校生という未知の存在との遭遇がきっかけでした。いわばゲームのような感覚でしかありません。それがどんなことなのかを知らないままいじめを続け、そのことが明るみに出てからはむしろ自分がいじめられる立場になることで、行ってきた行為がどういったものだったのかにやっと気付きます。また、かつての級友たちから一転いじめられることになるため、本当の友達とは何かがまるで分らなくなってしまい、次第に人の顔を見ることを拒むようになります。人と関わることにネガティブになり、いじめを起こすような最低な人間である自分をみんな悪く思う、と思い込みひたすら自責し続けます。
一連の流れから、石田は自らの視野の狭さからいじめを起こし、以降の出来事でもさらに視野を狭め続けていっていることが分かります。そして、自分を含め人の悪い面しかとらえられなくなってしまいます。そんななか高校生になった石田は西宮と再会し、謝罪して仲良くなれるかもしれないと動き始めます。
では西宮はどうなのかというと、彼女は反対に人の良い面を見ようとし続けるキャラクターとなっています。黒板に書いた攻撃的な文章を見られて消し始める石田に対し「ありがとう」と伝えたり、手話で「仲良くなりたい」と言ったり。石田と再会し話しかけられてからも、始めは驚き避けるもののノートを渡されたことで一気に距離を縮め、その後も一緒に行動をとる機会が増えます。自分と仲良くしてくれるのがうれしくて、恋心まで芽生えていく西宮の心情に共感できる人もそうそういないのではないかと思います。
悪い部分しか見られない石田と良い部分しか見ない西宮。彼らが見ている景色って真逆なんだろうと感じます。彼らの気持ちが作中ですれ違い続けるのは、言葉の壁以上に価値観や視点の違いが大きいのです。
人の良い部分しか見ないことって何か問題があるのか?と思われる方もいらっしゃると思いますが、結果として西宮がその後どういった行動をとったのかを見てもらえればわかるかと思います。彼女は人の良い面を見ようと努めてきましたが自身が人に迷惑をかける存在であるという意識から離れられず、無理をした結果自さつ未遂に走ります。石田も冒頭橋から飛び降りようとしていましたが、対極的な2人が最終的に辿り着く行動は同じものでした。
このことからこの作品がなにを伝えたいのかというと、人には当然善悪の二面性があるということ、そしてその両方を理解し広い視野で物事を見ていくことが必要だということでしょう。良い面もあれば悪い面もある。そのどちらかしか見れない人生ではいつか綻びが生じていくということなんだと思います。西宮の飛び降りを庇った石田が意識不明で入院したことで西宮は自分の良くない面とも向き合おうと決意し、2人の気持ちのすれ違いが解消される橋の上でのシーンはぜひ見ていただきたいシーンの1つです。
考えてみれば、本作に登場するキャラクターにはすべて二面性が描かれています。級友の一人である上野は仲の良かった石田との関係性を大きく変えた西宮をよく思っておらず、観覧車の中で詰めたり手をあげたりと最もきつい過激さが目立つキャラクターです。ただ入院中の石田につきっきりで看病したり、最後のシーンでは手話を披露したりといった行動も見せています。もちろんとった行動のなかには許容できない箇所もありますが、彼女なりの行動原理を理解すればうまく付き合っていける人間なんだと西宮が伝えてくれています。
今作の登場キャラクターで最も反感を買っているらしい川井についても同じことが言えます。どうしても自分を守りたがる言動の目立つ節がある彼女ですが、死のうとした西宮を咎めたり、入院していた石田のために千羽鶴を用意していたりという行動も見せています。個人的には現実世界で最も多いタイプではないかと思うのですが、果たして彼女は悪いのかと考えるとそうではなく欠点のない人間でもない、そういう人なんだということだけです
今作を観終わった後、あいつら嫌な奴だな!とだけ思う人はまだ石田と同じ段階にいます。良いところにも目を向けてみようか、と考えを広げてみたら世界の見え方が変わる。そういうことを多くのキャラクターが織りなす青春劇で描き切っているのが本作なのです。そして私が子供にこの映画を見せたいと思っている理由が、このことを早いうちから知っておいてほしいからです。物事の片方だけを見て知った気になってしまう。あの人は良い人だ!悪い人だ!と判断してそれっきりの人間関係しか築けない人になってほしくはないのです。あの人ってどうなのかな?もうちょっと知りたい。そのワンステップを踏めるだけで人生が大きく変わるかもしれないことを知ってほしいのです。それでも良いところが見つからない人もなかにはいるでしょう。ただそれも無駄ではなく1つの発見になるでしょう。思い込む前に多角的に見ていようとするステップが大事なのです。
そしてもう1つは、これまで書いてきた内容を鑑賞中に読解できるような力を養うのに適しているのではないかと思ったところです。どういうことかというと、今作は漫画を原作としている作品であるため、かなり内容を絞った構成になっています。よってややダイジェスト的な見せ方が続くため、ストーリーのつながりがわかりにくくなっている場面がいくつかあります。また登場キャラクターも多いため少し複雑にも捉えられがちかなとも思います。
ただ、作品を注意して観ると、ところどころにヒントとなる場面やセリフが登場しており、こういったものを見逃さないで捉えられれば決して意味のわからない作品ではないと思います。例えばグループで遊園地に行き、石田が佐原の隣でジェットコースターに乗るシーン。上野との確執を石田が尋ねると、
「デザイン性は参考になる。前までは怖くて乗れなかったけど、見方変えてみた。乗ってから決めることにした。まだ怖いけどね」
こんな感じで人間関係をジェットコースターになぞらえて答える佐原。そして下降シーンでハンドルから手を離す佐原と離せない石田の対比。これはまさに今作のテーマそのものでほぼ答えのようなものです。
また、嫌気が差した石田がメンバーそれぞれの悪い面をぶつけてしまうシーン。石田がぶつけるセリフは非情なものもありますが、言われた側は何も言い返せずその場を去っていきます。なぜ言い返せないのかと言うと、それらがまごうことなき事実であったためです。ここは石田や西宮の今後に関わる重要なシーンですが、観客への印象付けを改めて行うシーンでもあると思います。こういった各要所を逃さず整理しながら観ることでしっかり内容を把握できるようになっている作品となっています。
少し速いテンポとちょっと整理が必要な情報量、という難易度であることがこの作品を子供に勧めたい理由です。セリフや場面を見て伝えたいメッセージを探っていく練習をするのにちょうどよく適しているのではないかと思いました。
以上の2点が、私が『聲の形』を子供に観てほしい理由となります。テーマや構成以外にも映像や音楽等々素晴らしい要素が多く詰まったこの作品から学べることは多いと思います。「映画を考えながら観る」ことの楽しさ、面白さをこれからの子供たちにも味わってもらいたいです。
拙い文章ですが読んでいただきありがとうございます。ぜひご感想などあればよろしくお願いします。
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