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【現代語訳・枕草子】いじわるでセンス抜群インフルエンサー清少納言
ああ「春はあけぼの…」の人だよね!っと日本の学校教育を受けた人なら大抵は知っているのが清少納言の「枕草子」だ。
角川から現代語訳(原文もあり)が出ているので読んでみたんだが、
「清少納言って実はめちゃくちゃ性格悪い?」と思うエッセイが多いのだ。これは現代のブログで投稿したら炎上するレベル。
やべーと思った散文はもっとたくさんあったのだが、極一部を引用する。
「はらはらして困るもの」
にくらしい顔をした赤ん坊を、親だけはかわいいものだから、いとしがりかわいがり、赤ん坊の声色で言ったことなどを口まねするの。
教養のある人の前で無教養な人間が物知り顔で人の名前などを挙げるの。
ことに上手いとも思えない自作の和歌を他人に披露して、ほめられたことなんかを自慢するのも、聞いていて恥ずかしい
「似合わないもの」
下々の家に雪が降っている景色。またそうした家に月の光が射し込んでいるのも、せっかくの月が台無しだ。
「見苦しいもの」
色の黒い無器量な女が入れ毛しているのと、髭面でやつれ、痩せこけた貧相な男が、夏に昼間から添い寝しているの。……高貴な方ならまずまず風情があろうが、まずい容貌はてらてら光りむくんで、悪くすると頬がいびつに歪んだりしそうだ。そんな顔で男女が互いに顔を見合わせた時は死んだほうがまし
清少納言は天皇の后(中宮)に仕える女房で、中宮定子のサロンの一員として迎えられていた。華やかな文化と高い教養を行き渡らせ、定子を盛り上げる役目をしていた。
だからなんだろうね。
無粋なもの、品のないもの、美しくないもの、無教養なもの、風流でないものに対して、全くもって非常に厳しく、そこに少しばかりの慈愛すらない。
(紫式部には感じる気がする)
しかし「春はあけぼの」にも見られるように、千年前から現代にも通ずる美意識の高さや天性のセンスの良さは、サロンの必殺仕事人であったことが伺われる。
「定子様ラブ」ぶりは凄まじく身分の高い方に対しては徹底的に肯定するという俗人的な面も強く感じられる。
というわけで、学校で習う枕草子は清少納言の害のない段だけを取り上げているのであって、実は「性格わっるーー!」と思う部分は教えていないことがわかった。
清少納言が知性をひけらかす部分なども、いやらしく傲慢だなと呆れた。やっぱり奥ゆかしく人間の機微がわかる紫式部派だな私は。
最後に清少納言のセンスが光るなと思った段についても引用して、思っ切り下げてちょっと上げておきたいと思う。
「やるせない日々の追憶」
過ぎ去った昔が恋しく思い出されるもの。枯れてしまった葵の葉。人形遊びの道具。紫がかった青色、薄紫色などの布の端切れが押しつぶされて、本の間に挟まっているのを見つけたの。
また、もらったときしみじみと心を動かされた手紙を、雨などが降ってすることもないような日に見つけ出したの。去年の夏の扇。