2024年振り返り(リワーク&就職)
私にとって2024年は、人生の中でかなり重要な意味を持つ1年だったと思う。
では、実際どんな1年だったか、具体的に振り返っていきたいと思う。
リワーク(1月~9月)
正確にいうと、昨年の11月上旬から。
さらにいうと、6月中旬からは、就職(週3日勤務)しているので、週に1度のペースに落として利用していた。
1月は週4日、2月~6月中旬は週5日でリワークに通っていた。
「週5になってからが本番」
今振り返って思うのが、週4と週5の壁が大きかったこと。
「週5になってからが本番」
そう、担当スタッフさんも言っていた通りだった。
週5になる前となった後では、リワークそのものの見え方が違うと感じた。
週4までの景色は、あくまでリワークの一部を見ているに過ぎなかったのだ。
週5になって初めて、リワークそのものを理解できるようになったし、自分自身の病気からの回復という意味で、体系的に理解できるようになったと感じた時間だった。
心の病気になりやすい考え方を知ること
リワークに通所する中で、何よりも大きかったのが、病気を通した自己理解だ。
病気を引き起こすきっかけにもなりかねない、人間にありがちな「認知の癖」を知り「思考の歪み」を知ることが、何よりも私には大発見なことだった。
たしかに、初めて今の病院で診察してもらったとき、主治医から「あなたは思考に癖がある」と言われた。
まさにその癖が、自分を自分で苦しめていた。
リワークでは、その自分を苦しめている思考パターンは、私だけの問題ではなく、人間にありがちな癖なのだと知った。
私が通所していたリワークでは、1つのプログラムが2か月ほどで完結する。そのため、長く通っていると、同じ内容の講義を2~3回受けることになる。
非効率的に見えるが、これこそ大切なことに他ならない。
繰り返すことで、癖で歪んでしまった思考回路を自分で認識することができるようになり、「あ、今あの状態になってる」と自分で気づけるようになったことで、軌道修正ができるようになっていったと感じる。
もちろん、個人差はある。
それでも私にとっては、世紀の大発見のようだった。
リワーク仲間
リワーク仲間は愉快だ。
個性豊かで、面白い。
また、自分と同じ病気の人もいるので、「人の振り見て我が振り直せ」のように、双極症(双極性障害)ならではの躁状態とうつ状態を客観視できる機会が多くあった。
てっきり性格なのだとばかり思っていたことが、病気が由来していることだと気づけることもあった。
集団生活をするという意味でも、仕事復帰に向けた練習の場になっていたと思う。
何より、自分と同じような病気を持っているもの同士のネットワークができたことで、「一人じゃない」とも思えた。
さらに卒業していく先輩たちを見て、「自分もあんな風に卒業していきたい」と思うようになっていた。
仕事(6月~12月)
6月中旬からパート事務の仕事を始めた。
ここからは、リワーク併用期間と仕事1本になってから思ったことを書いていきたいと思う。
リワーク併用期間(6月~9月)
印象としては、とにかく暑かった。
就業した時期が夏に向かっていく時期だったので、汗だらだらかきながら出勤していたのが何より印象深い。
職場でのコミュニケーション
私は、コミュ力があまりない。言わないことで、こじれることもあれば、言いすぎてしまってこじれることが、過去に何度もある。
その理由は、双極症ならではのうつ状態・躁状態であることも多い。
でも、そもそも根本的に、基本的にはコミュ力が低い。
実際に、職場の人とランチに誘われて、嬉しい反面、金銭的な理由で毎日は厳しいという状態があった。
そんなときこそ、リワークで習得したアサーションの出番である。
ランチに誘ってくれた人に、勇気を振り絞って自分の気持ちを伝えたら、すんなり受け入れてもらえた。とても嬉しかった。
アサーション
私の癖で、できる限り誰とも衝突せず、何もない状態でいたいという願望がある。
しかし、人と一緒にいる限り、考え方の違いや、トラブルが起きたときの対処策を考えるときなど、意見のぶつかり合いは、常日頃からあるのが実情だと思う。
喧嘩ではない。
一人ひとり違う人間だからこそ、小さくても衝突は、必ずと言っていいほどあるはずだ。
★★★★★★★★★
これまでの私は、衝突を恐れるあまり、深い人間関係を作ることから逃げていた節がある。
衝突があってもいい、むしろそこで話し合うことができると、人間関係は深まっていく、このことに気づいたのが26歳頃。
26歳を起点に、私の交友関係は広くなり、30歳になった今、深まりのある人間関係が築けるようになったという、成功体験がある。
★★★★★★★★★
頭では分かっている。
それでも、やっぱり新しい環境にいくと、何事も起こしたくない願望にさらされるのである。
そんなときこそ、「アサーション」。
アサーティブなコミュニケーションが、仕事をよりよくしていく。
そう、自分に言い聞かせている。
仕事1本(10月~12月)
私の所属している会社は、障がいや病気への理解が進んでいるため、パート・社員ともに病気を持ちながら働いている人も多くいる職場だ。
正直な話、あまりにも順調で怖かった。
何もかもが計画通り。
だから逆に、「躁やうつの状態がまた来たらどうしよう」「人事や採用に携わった上司は私の病気について知っているけれど、一緒に仕事をしている人には、話していない。この状態で何かあったとき、後出しだと言われたらどうしよう」そんなことばかり考えていた。
休職(12月)
恐れていたことが起こった。うつ様の到来である。
年末にかけて仕事が忙しかったというのもあるが、あろうことか、丸一日薬を飲み忘れたのだ。
それから早退と欠勤を繰り返し、最終的には2週間の休職になってしまった。
ただ、先述したような、後出しへの批判はなかった。
休職になる前日、出勤はしたものの、体調が悪くてもう限界という状態になった。
そのときの私は、一緒に仕事をしている人と、病気を知っている上司に自分の状態を伝えた。
仕事を一緒にしている人は、病気のことは詳しく知らない人ではあったけれど、私が簡単に伝えると、理解してくれた。
具合は悪かったけれど、奇跡的にアサーティブに自分のことを伝えられたんだろうな、と思っている。
おまけ:初彼爆誕1ヶ月で散る
私の中では、仕事関係以外でも人生初の出来事が起きたので、書き記しておくことにする。
見出し通りだが、初彼ができた。
しかし、宗教を理由に、別れた。
私から別れを切り出した。
難しい問題である。
そして、別れてから私の婚活が始まったかに見えた……
が!そこで休職である。
うつが来る前、たぶん、初彼が出来てから、土日の予定が全て埋まるという状態が続いてたので、少し躁状態になっていた気もする。
でも、確実に良い経験だったと思っている。
まとめ
2024年は、私にとって激動の1年だった。
この記事を振り返ると、文章量が多すぎる。
それだけ、色んなことに取り組めた1年だったとも言える。
悔いなく、新しい年を迎えられそう。
また来年も、挑戦していきたい。
新しい初めてのことが起こる予感がする。
この長い長い記事を最後まで読んでくれてありがとうございます。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします!
なっちゃん