嫌な女
PMS期の終盤、気分が荒れに荒れると、悪い女・嫌な女の出てくる話がほしくなる。犯罪に手を染めるとか暴力を振るうとか、そういう法に触れる「悪さ」をしている女がただ見たいわけではない。社会にいまだ漂う「女性の美徳」や「女らしさ」といった型につばを吐き、あるいはそれを巧みに利用して、己の道を貫いている姿が見たい。才気走っている人がいい。
今月は、酒井順子さんの『平安ガールフレンズ』。清少納言も紫式部も藤原道綱母もみな、知性と「嫌な感じ」を兼ね備えていた。酒井さんご自身の文体も、同じようなにおいを醸し出していると思う。5月前半放送分の大河ドラマ『光る君へ』の女院様もよかった。どんどん悪くなれ、やっちまえ、と思って見ている。
先月は、松本清張『黒い空』と、映画『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』。松本清張の描く女は頭がよくて「悪いやつ」であることが多い。ひるむ男の横で平然としているのがいい。ヴィヴィアン・ウエストウッドは、まさにこの時期の私が求めていた「悪い女」だった。かっこよかった。
先々月は、柚木麻子さんの『BUTTER』。梶井真奈子だけでなく、真相を追う側であるはずの町田里佳も伶子も「嫌な感じ」であった。二人がどこまでカジマナに染まっていくのか楽しみながら読んだ。
こんなふうに、毎月この時期は嫌な感じのする作品に手を伸ばしている。毒々しい極彩色を放っているような女が周りを翻弄し、目的を達成するのをこの目で見たい。映画『CHICAGO』のレニー・ゼルウィガーとキャサリン・ゼタ=ジョーンズ、それに椎名林檎も、この時期私が欲しているものを与えてくれる女たちだ(林檎さんの、アルバム『放生会』に先駆けて昨日MVが一挙公開された各曲は、その最たるものでした)。
PMSの期間、私はほんとに「嫌なやつ」になるので(少なくとも内面は)、同類の活躍が見たくなるのかもしれない。はたまた、自分が女性ホルモンにがんじがらめになっているから、ほかの女たちが好きにやっているのを見てカタルシスを感じるのか。
PMSが明けると、こういう極彩色はあまり手に取らなくても大丈夫になる。PMS期の頓服として、私は彼女たちを欲するのかもしれない。