ときどき日記(415)「山手線⇒遅延証明書」で嫌な記憶が暴走
山手線の運転見合わせで遅延証明書が想起されてしまい、そこから嫌な記憶が暴走してしまった。
最後の職場でのできごとだ。
年下の同じ最下級管理職がいた。誰もが認める「ちょっと変わった子」だ。副区長からも「あの子ちょっと変わっているからさ(よろしく頼むね)」と直々に言われた。
ある日、そいつが使っている路線の電車が遅延した。遅れる旨連絡が入ったが、待てど暮らせど出勤しない。お昼休みの時間も終わりかけた頃に出てきた。あとで分かったことだが、遅延証明書の遅延時間を目一杯使って足らずを時間休暇で埋めていたのだ。
そもそも時間休の使い方がルール違反だし、証明時間を目一杯使う感覚が私には異状としか見えなかった。
時間休暇は始業時間からの場合は前日に予め申請しなければならず、そりゃそうだろう、いちいち寝坊のたびに時間休暇を取得されたのでは現場は成り立たなくなってしまう。当然、当日の電話での申請は半日以上の取得しか認められない。
それもその時は、電車が遅延したとしか連絡を入れておらず、時間休暇の取得は申請されていない。しれっと自分で休暇申請システムに入力していたのだ。
それまでも、寝坊と思われる時間休暇の取得が目立った。大体は子どもの不調を理由にしていたが裏を取りようがない。
こいつはこれだけではない。一事が万事。仕事に向かう姿勢やら全てがこうなのだ。
しかし、私は異動してきたばかり、こいつのほうが事情に詳しい。
市税の滞納整理の仕事をしていたわけだが、困難な滞納者を持たされ、一向に差し押さえられる財産が見つからず、ガサ入れが決まっていた滞納者との折衝のたび、手柄を挙げたい課長から拷問を受け、そのとなりに何様のていで座っていたのも思い出した。
今考えてみると、この拷問はパワハラだったのではないかとおもう。
程なくして私はメンタルが壊れて病気休暇から休職へと至り、復帰がかなわず退職に至った。