
「現実」は一つではない
こんにちは、ねねです。
ひとつ前の投稿では、
弟夫婦が別れたということを、突然聞かされた話をしました。
そして、その週の金曜に実家に行ってきました。
平日は仕事の弟が、半休を取っていて会うことができました。
嫁(義妹)は県外出身者だけど彼女の実家には帰らず
同じ市内に一人で暮らしているとのこと。
嫁が家を出る原因になったことについて話をしたら
ジジイ(父)はもちろんのこと、”母” のことについて、弟の思いを知った。
母は、父の理不尽さには到底及ばないが、子どもの頃は父とは違う怖さがあり、反抗は出来なかった。また、母の苦労話を何度も聞かされてきたし、「お金は汗水垂らして稼ぐもの」「節約、節約。贅沢などしていられない」という価値観の人なので、私の中にある「お金のバリア」は母の考えに大きく影響を受けていると思う。また、私のADHD傾向の言動も理解されていなかったから、両親に「片づけられない」「ボケっとしている」「気が利かない」ことについてよく怒られた。
でも、母は私たち子どものことを第一に考えているのはわかっていたし、とても苦労してきた人で、理不尽な父に耐えながら、ささやかに暮らしてきた。それがここ10年くらいは体調を崩し、結果腎臓病となり人工透析を受けるようになった。そして、昨年からは痴呆症が始まった。(現在72歳)
私は、父のみならず、母から言われたことでも影響を受けていることは多々あり、私の生きづらさに繋がっていると思う。でも、基本母親のことは大切にしたいと思ってきた。ずっと苦労話を聞かされてきたから、せめて人生最後の時には、「生まれてきてよかった」と思って欲しいと思っている。
それが私の「現実」だった。
でも、弟の「現実」は違った。
弟は父のみならず、
母のことも相当恨んでいたのだ。
もはや昔の厳しさなどみじんも感じられない
小さく、弱く、はかなくなってしまった母の姿を前にしても
弟には「許せない」という気持ちが強くあるのだという。
それは、私にはよく見えていなかった
実家の建て替えや同居に際しての、母と弟の認識の違いによるものだった。
私はどちらかというと弟よりは母と話をすることが多かったので、
それらの話は、ほぼ母からしか聞いていない。
弟と母の認識の違いについて説明すると相当込み入ってしまうため、
具体的なことはここでは割愛したいと思うが、
弟は「だまされた」とさえ思っているほどだ。
私にとっての「現実」は、
父 対 母、弟家族
だと思っていたのが、
弟にとっての「現実」は、
父
対 弟家族
母
だったのだ。
私が覚えている限り、
弟は子どもの頃から親に反抗はあまりしてこなかった。
私はよく父に怒鳴られ、口答えし、さらに理不尽に怒鳴られた。
弟はそんな私の「不器用さ」を見て賢く振舞っていたのだと思っていた。
母はよく、悪気なく、
「○○(弟)は優しい子だ。小さいころから優しい子だ。」とよく言っていた。だからと言って、私を優しくないと言ってたわけではない。
でも、そう言われてるのと同じだった。
弟は優しい。私は優しくない。
私にとって、弟は、穏やかでユーモアもあり、
自分の弟とは思えないくらい人格者だと、私は思っていた。
理不尽な父がいる中、20年以上も両親と同居してくれた。
私みたいに口答えしないのは、優しさと賢さからだと思っていた。
父ならまだしも、母のことを恨んでいるなど、微塵も思っていなかった。
家族って何なんだろう。
血のつながりって何なんだろう。
知っているようでお互いのことは余り知らない。
生れてから、たかだか十数年一緒に暮らし、
もはやお互いの配偶者と一緒にいる方が長くて、
親や兄弟のことよりよく知っている。
そして血がつながっているからと言って、
目の前にある「現実」が同じとは限らない。
同じものを見ているはずなのに、
全く違うものに見えている。
50歳を目前に
こんなことに気が付くとは思ってもみなかった。
人によって「現実」が異なるなら、
「現実」は捉え方次第で
良くも悪くもなる。
昨年から続く様々な困難と思えることは
ピンチと思えばピンチだし
チャンスと思えばチャンスである。
何のチャンスと捉えるかはまだ模索中である。
今日も極小キャパの私の頭はショート寸前です。
今日もここまでお読みくださり、ありがとうございます。
乱文をお許しください。
またよろしくお願いいたします。