短編2 『とぷー・とぽん』
鏡に、私がうつっている。
横では、男が壁に寄りかかってクスクス笑っている。
なん? 気分悪いって。
「お前さー、三角巾をほっかむりしてどーすんだよ」
初対面でお前扱いかよ。まあ、店長だからしかたないか。
「だって、こんなのしたことないし」
「今ドキの高校生は、そーなんかなー。ほら、貸してみな」
あごの下でしっかりくくっていた、レースのふち飾りのある白い布を渡した。
男は、私の後ろにまわって、鏡の中からこっちを見る。ふつーにイケメン。
「そのボサ髪を、まとめて上にあげな」
「ひどーい。これセットすんの、すげ時間かかんだよ」
でも、ま、バイト初日だし。店長だし。おとなしく言うとーりにする。
男は、布を私のおでこにあてると、薬指と小指の先を私の顔の両脇にすべらせていき、首の後ろで動きを止めた。
スッゲーやらしい触り方だった。しびれが腰ではねて、顔が火照った。鏡の中をにらむと、男はおもしろそーに笑った!
男の名前は、石倉耕輔という。駅前のカフェ「ミザリア」の店長。
この店はけっこーイケてて。何回か友だちと来てたけど、先週バイト募集の紙がトイレのドアに貼ってあって、親にケータイ代くらい払えと怒られたのを思い出したのだ。
ここは、店長以外はバイトばっかし。厨房に大学生の男が2人。ホールは女が私を入れて8人のシフト制。
店長はやさしーしかっこいい。昔、サーフィンやらバンドやら、女にもてると思われるもの全部に手え出したって。
今はもう全部止めて、ここで店長してる。そんで、私と変わらない年の娘がいるんだって。すげー。
こーゆーことは、バイト仲間のマユカが教えてくれる。夕方の5時前とか、すげー暇な時間に。でも、なんかマユカ、店長とつき合ってるっぽい。
ありえねー、ブスのくせに。でも、なんで店長やたらあいつに触るわけ?ムカつく。
心の中に、ガラス玉がとぽんと入って、底にしずんだ。
なんかボーとしてて、レジのボタンを押し間違えて、どこ押してもピーピー鳴りだして、パニクってたら店長が出てきて止めてくれた。
そんで、レジにしがみついてた私を見て、楽しそうに笑った。
「そんな、必死な顔しなくていーよ。かわいーな、お前って」
とぽん。あいつの言葉はとうめいなガラス玉になって、とぷー・と心の中を落ちていく。
厨房で、店長がバイトの男と一緒に新作のサンドイッチを試作してるのを、暇なんで見てた。紫イモをマッシュしたのを色んな野菜と組み合わせたりして、きれいで面白い。
コロロロ、とドアベルが鳴り客が来たんでホールへ出た。
「抹茶ラテ、1つです」
バイトの男がカウンターへ来て、手際よく作り始める。そしたら店長が、私を手招きした。
つー、って近づいてくと、紫イモのサラダが入ったボウルを「うまそーだろ」って見せてくる。
「うん」って言うと、あいつはイモのかけらを指ですくって、私の顔の前にさしだす。
口を開けると、イモと一緒に指の先っぽも入れてきて舌に触った。げーっ、店長の味!
とぽん。とぽん。とぽん。
外は、どしゃ降り。
今日はスゴイ。夜の8時過ぎなのに客が1人もいない。
「もう、今日は閉めちゃおっか?」店長が出てきてマユカの頭をポンってたたいた。
私は客席のそうじをしていた。でも、待ってても店長はこっちには来ない。
「ねー、店長おー、車で送ってってよー!」
思わず、でかい声で言った。ざまみろ。マユカの家は歩いて5分の所にあるから、こんなこと頼めない。
「えー? めんどくせー」
なん? 嫌そーな声。
「こんな大雨、チャリで帰んの、怖いもーん」
思いきり甘えた声出してやった。マユカがけっこーマジで睨んでくる。ザケんな。てめーに負けるミアちゃんかっての。
店長の車はシルバーのBMW。ナンバープレートは1桁。かっちょいー。
助手席に座ると、きつい香水。暗い車内にBUMP OF CHICKEN の曲が流れた。
「ふーん、BUMPなんだ」
「おう、デビューん時からのファンなんだぜ」
この歌、お母さんよく歌ってるなー。そう言うと、「お前の親、いくつよ?」って言うから教えると、「えー、俺とほぼ一緒!」。
この頃は、もう変ちくりん。こんな、何でもない言葉たちがどんどんガラス玉に変わっていく。
ウソみたい。私の心は、もうガラス玉でいっぱいになっていて、どんどんあふれて止まらない。
苦しくなったから、言った。
「店長、好き」
長い間、BUMPの曲だけが流れていた。BUMPってこんなに優しい詩、歌ってたんだなー。
私の家の前で車を止めて、店長はこっちを見ずに「ごめんな」って言った。
なんでか、店長は前より優しくなった。私にも頭をよくポンポンたたいてくれるようになった。でも、私の前で他の女に優しくするのが、とても嫌だ。
今度の日曜日にバイト入れる子が誰もいなくて、そしたら新しく入ったレイナが「昼間だけなら入れます」って言った。
店長は大喜びで「お前は、いー女だなー」って、ホント何回も言う。レイナは目が大きくてカワイイ。どうしよう。
真夜中に、店長にLINEした。なんかもうムチャクチャ。
『レイナのこと、好きなの?』
『お前ねー、そんなことでLINEしてくんな。新しい子にはチヤホヤしてやらないと、すぐ辞めちゃうだろ? お前とかになると、こっちのしんどさ分かってくれてるから好き勝手言えるけど』
すっかり気分がなおった。しんどさ分かってくれてるって。へっへっへ。
夕方5時になる前は暇な時が多くて、その時に外の植木に水をやったり、客席の掃除をしたり備品の補充をしたりする。
今日もゴミ集めのついでに休憩室の灰皿も洗おうと思って裏口の方へ行った。そしたら店長が紙ナプキンの詰まった段ボール箱に座ってタバコを吸ってた。
その丸めた背中が小さい子みたいで、すごく疲れてるみたいで、私はしばらく動けない。
帰る頃、また雨が降り出した。大した降りじゃあなかったけど、「送って」って、頼んだ。店長はまた嫌そうに、「うん」って言った。
店を閉めた後、駐車場で傘さして長い間待つ。店長が来て、目を合わさずに「後ろの席に座って」って、言った。
心がちぎれて、ガラス玉が散らばっていく。私は平気なフリをして後ろのドアを開ける。
雨はあがって、空には切れ切れの半月。
月というのは、ウサギやら宇宙船やらを簡単にのせながら、遠いところにいる女たちの体さえも作る。
月の力に従って、私は体の中に栄養を作り続け、赤い血として捨て続ける。
月ごとに。とりあえず。
でも、ガラス玉が溜まりだすと、体の中は苦しいくらい熱い栄養でいっぱいになって、それが熱くあふれ出る。単純。哀れになるのはアホの私だ。
あいつは、あふれるような女は嫌なのだな。心のどこかをカットして、カットして、ガラス玉なんか知らないってふりをしなければいけなかったのだな。
家に入り、トイレの中で笑ってしまう。えーんえーんと、泣いてもみる。
(おしまい)
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