
出来物が腫れてとっても痛い…。気がつきゃ年末年始が過ぎ、1月下旬。色々なことがありすぎるが、とりあえず伝えたい話
つい、この間「ピザのブログを書いたなぁ…。」と遠い目をしながら、久々にnoteのマイページを見ていたら、2024年10月から全然書いてなかった…。
▽その時に最後に書いた、ピザの話はこちら。
実は2024年、私は健康面で問題のある年と、某占いにより分かっており、色々戦々恐々としていたが、8月以降怒涛の日々を送っており、病院に全然行けていなかった。
この怒涛の話は、また別の機会にすることにして、本当は「何か健康上、ヤバいことになってるかも…?」と心配しつつ、特に問題もなかったので、ホッとする反面、膿を出しておかなければいけない時期に、膿が出てないことに、焦りと心配が頭の隅っこにあった。
ちなみに2025年はその占い上、超絶頂期で、やりたいことがあるなら、ぜひ着手しておきたいところであるが、前年の膿が出ていないと、後々もっとエラいことになるというのがあり、そこも恐れていた。
そして、元旦に私の実家に行って、無事健康に年を迎えられたこと、その他諸々の話をして、帰ってきた。
その日までは、8月以降の疲れはあったが、特に問題はなかった。
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2日、夫は朝から箱根駅伝にかじりついて見ている。箱根駅伝で頑張っているランナーや監督、スタッフ、そしてファンの方には非常に申し訳ないが、私は全く興味がなく、しかもこの正月の連休でしかできないことを夫とやりたいのに、2日間お昼すぎまで夫が動かなくなるので、余計箱根駅伝にますますよろしくない感情を持つようになってしまった。
しかし、何だかこちらも疲れが溜まってしんどいし、気がつくと胸が痛い。
「今日は寝る!!」と決めて、ゴロゴロしていた。
しかし段々激痛で、寝返りをうったり、横向きで寝るのが痛すぎる。場合によると仰向けもキツイ。
日に日に胸の激痛が酷くなってきた。…といっても胸の中とか内臓的なものではない痛さなのである。
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そんなある日、寝付けず夜にトイレに行った際に、服をまくると変な臭いがする。
「何、これ?」
トイレで用を足した後、洗面所の鏡で患部を見ると…。
真っ赤に腫れ上がり、その真ん中から黄色の膿がドロドロ出ている。
どうやら、臭いはその出ている膿からだったようだ。
「何じゃ、こりゃーっっ!!」と松田優作のことを思い出しながら、夜中に小さめの声で、絶叫した。夫には深夜申し訳なかったが、起きてもらい、見てもらいながら、応急処置を手伝ってもらった。
確かに数年前から出来物ができていたが、大きくなったり、小さくなったりするものの、痛くも痒くもなく、物ができやすい体質なのもあり、全然気にしていなかった。
しかも元旦まで、全くどうもなかったのに、どういうことなのだ?!
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何科にいくべきか、ひたすらインターネットで調べると、どうも皮膚科か形成外科に行ったほうが良さそうと判明。できれば近くで、両方兼ね揃えた病院があると助かるなぁと思いながら探すと、近くにあった!!
明日にでも病院に行きたいところだが、残念ながら翌日は休診日だった。
「この素人の応急処置でいけるのだろうか?」
激痛を抱えつつ、2日後を迎えて、夫と病院に行った。
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病院はきれいな感じで、ここ数年前に建てられたものらしく、先生も色々な病院で経験を積まれており、皮膚科と形成外科も兼ねられており、希望通りの病院だ。
早速、夫といっしょに行き、問診票を書いて順番を待っていた。しばらくすると呼ばれた。
出来物を覆っていたガーゼを留めていたテープを剥がすのも、敏感肌なのもあり、痛くて思わず声を上げてしまう。
先生はやさしそうでソフトだが、その中にも簡潔にサササッと説明してくださった。
「これねぇ…。粉瘤ですねぇ。これ手術で切ってしまえば、一発で治るんですけど。」
「え?!手術?!全身麻酔とか、腕に麻酔とかしてもらえないのですか?局所麻酔をこの出来物付近にするのですか?今の状態なら無理です。絶対無理です。私、注射がものすごく苦手で、今まで各医療機関にご迷惑をお掛けしてるので…。その他に方法はないのですか?」
夫も「妻は注射が大の苦手で、とにかくダメなんですよ。」と口添えしてくれた。
「ん~、では一応抗生物質の飲み薬と、塗り薬で治す方法もありますけど…、その分時間がかかりますよ。時期はハッキリ分かりませんが、最低でも1ヶ月ですかね。」
「半年くらい掛かりそうですか?」
「そこまではかからないと思いますけどね。まぁ、テープ剥がすくらいで、これだけ痛がってるから、手術はやめたほうがいいと思います。」
「では、ゆっくりで結構ですので、手術じゃない方でお願いします。」
といって、診察室を出た。
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「良かった、手術まのがれた…。こんな状態で注射されたら、失神してまうわ!」と夫に言った。
そこからしっかり薬を飲み、塗り薬はできた場所が見にくいので、夫に手伝ってもらいながら、指示通りに塗られてない日はあるが、できるだけ頑張って塗った。
ゆっくりコースなので、毎日毎日、膿がダラダラ出ている。臭いは当初よりだいぶんマシになり、無臭の日と少し臭う日があるくらいになった。最初は服にも付いて、臭いも付いているときがあったが、何しろ洗濯を入念にしても汚れが取れない時もあり、ホトホト参った。
8月から怒涛の日々を送りながら、あるプロジェクトを行っていることも、少しずつ進んでいるが、そちらも色々問題が生じており、スッとは進まない。
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しかし、数カ月後に予約したい乳がん検診がこのままだと場所的な問題もあり、かなり検診日をずらさないと受けられなくなってしまう。1ヶ月は我慢できるが、本当にもうちょっと早めに何とかならないのだろうか?
先生を信頼してない訳では無いが、私なりに粉瘤について調べてみた。
どこのサイトも、手術方法は2種類あるとか書いてるが、私の目に止まったのは「手術をしないと、中にできている袋の中にまた再発する可能性があるので、完治するのには袋ごと取る手術が一番。」と書いてあり、しばらくボー然としてしまった。
「えぇ?!やっぱり手術から逃げられないの?先生は『うちの病院では腕の麻酔とかはできないんでね。できる病院に紹介状書くから、そこへ行って手術してもらってください。』って仰ってたけど、どうしよう?!イヤすぎる…。」と目を白黒させながら、ボー然と遠くなる一方だった。
その間にも8月末から行っているプロジェクトの問い合わせや連絡が入ってきて、どうするか考えながら返事をしなければならない。
しかも両親には心配をかけるだけなので、伝えるつもりはなかったが、とあることで言わざるを得なくなり、今の状態を話すと母に「なんでもっと早よ病院に行かんかったんや!!」と心配のあまり怒鳴られてしまった。
「だってお母さんも病院行った方が良いよって言っても行かへんやん!!」と電話で攻防する羽目になり、最後の私の一言はぐうの音も出なかったのか、反論はなかった。
その後、母は心配しすぎて、寝られなかったり、ふとした時に私のことを思い出して、いてもたってもいられなかったと、後日言われた。済まない、両親よ…。
母は手術を最初から進めていたが、私にはその決断の勇気はなかった。今度診察に行く時に先生に「袋を取りきらないと、再発してしまうのかどうか。」を聞いてみたいと思っている。それと他の注射系で痛みがほぼない、他の科でやっていたウルトラC策も、この患部に使えるのかも合わせて確認するつもりだ。
手術中痛くないようにするための麻酔にどうしてこんなに怖がってしまうのか、自分でも呆れてしまう。…それは過去の経験がそうさせているのだが、人一倍怖がりで痛がりなので、どうしようもないのである。(ちなみに歯医者の麻酔は耐えられるのが、自分でも不思議である。)
まだまだ8月以降動き出している“プロジェクト問題”も引きずりながら、この膿を出す謎の腫れ物に、戦々恐々とした毎日を送っているのである。
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私の某占いでは、「運気の悪い時にしっかり膿を出しておかないと、幸運期に活かすことができない。」とよく言われており、肝に銘じてはいたが、本当にこんな形で、幸運期に「膿を出す」ことになるとは夢にも思わなかった。
実際父と夫は年運が絶不調期、母は年運は良いが、月運が絶不調期。その分、両親は元気でいてくれているので、逆よりましかと思うようにしている。両親とはいつか別れが来るだろうが、できるだけ元気で長生きしてほしい。
その“膿”だけならともかく、他にも健康問題で心配していることがあり、通院が頓挫しているものがあるので、この出来物問題が落ち着いたら、改めて診てもらう予定にしている。頼むからそちらまで悪化していないことを、祈るばかりだ。
もう病院や注射、手術は勘弁やで…と心配で眠られずブログを書きながら、遠い目をしている、らびっとなのであった。