【一千文字】ソー:ラブ&サンダー - タイカ・ワイティティのオーガニックな魅力
ハリウッド中で大暴れ中、ニュージーランドの気鋭タイカ・ワイティティ。好みが分かれる監督ではあるが、私はとても腕があると思うし好きな作家だ。
今や数少ないアベンジャーズ初期メンバーの生き残りになってしまった“雷神ソー”のシリーズ4作目。2作目まで登場していたヒロインのナタリー・ポートマン演じるジェーン・フォスターが復帰、それも新たなソーとして!という嬉しい展開もある。
かくいう私もシリーズ最初の2作におけるジェーンの「典型的な守られるヒロイン」という置かれ方に不満を感じていた。『スター・ウォーズ』のパドメのような理知的で戦うヒロイン像が好きだった身からすると「これってナタリー・ポートマンのイメージが退行しちゃってんじゃないの?」と思わずにはいられなかったのだ。そういった点で今作の「強すぎるヒロイン」像はまさに我が意を得たりといった感じ。
そんな「扱いに困っていたシリーズ」だった『ソー』に新たな道を示したのがタイカ・ワイティティだ。彼のスタイルはとにかくカメラを回し続け、俳優のアドリブによって作品を推進していく。良い言い方をすれば、素材の味を活かすオーガニックな演出の達人とも言える。
俳優が素を出さなきゃならない状況を作ることで、キャラ=俳優化が進み、それによって双方向に新たな可能性を生む。その好例はやはりクリス・ヘムズワースで、作品を重ねるにつれてソーの人格はクリヘム自身のそれに接近してきている。ソーをクリヘムらしく改造することで、ソーというキャラは息を吹き返したのだ。
彼はそんな行き当たりばったりな演出に加えて、アメコミ映画に必須の“決め画”センスも持っている。しかしその作り方ゆえ、脚本面が粗くなりがちなのは否めない。その点をとって、映画のキャラクタービジネス化に拍車をかけているように見えるのも確かだ。
一方で私は「この作り方は本来インディペンデントのやり方なんだよな」とも思う。物語ではなくキャラと演技で見せていく方法論はジョン・カサヴェテスの時代からアメリカ・インディペンデント映画の伝統だ。マーベルはその血をハリウッドメジャーへ輸血しようとしている。だからこそタイカ・ワイティティ(彼はニュージーランド出身だが)やジェームズ・ガンらインディペンデント出身者をフックアップしたし、実際彼らが台風の目になりつつある。
ちょっと褒めすぎてるかな?
いやいや、それだけ腕のある人だと思いますよ