【一千文(字/時)評】アラビアン・ナイト 三千年の願い
ジョージ・ミラー作品の副読本として
『アラビアン・ナイト』を冠するこの作品を見てから振り返るとジョージ・ミラーという監督はいつも「物語を語り継ぐこと」についての映画を創っていたなと思う。
この何重もの複雑な入れ子構造を織りなす「物語についての物語」は、ジョージ・ミラーの物語哲学のようなものをそのままイメージ化したように見える。いつもハッキリした物語構造があるミラーの作品にしては例外的に、様々な解釈の余地がある、抽象性の高い、難解とも言える作品になっている。
『マッドマックス』の創造者として最もよく知られるミラーだが、前作『怒りのデス・ロード』で彼が80年代を代表するアクション映画監督というレッテルでは済まされない実力とビジョンを備えた作家であることはすでに証明済みだ。かといってミラーの映画が難解だったことはこれまでなかった。いつも語るべき物語、伝えるべきメッセージが明確にあるのが彼の映画の特徴でもあったから。つまり、この『アラビアン・ナイト』はそれまでの作品とは決定的に異なった何かだ。
では、この物語は何を語ろうとしているのか。物語論研究者のアリシアと封印された瓶から解放されたジンの物語は絶えず「物語はなぜ必要なのか」という問いを繰り返す。元の『千夜一夜物語』におけるシェヘラザードの逸話を連想させるムラト4世と語り部の物語、ジンが願いを叶えようとして叶わなかった物語と叶えることを拒んだ物語。そのどれもが教訓を含み、現代で願いを要求されるアリシアへと継承される。そしてなにより語り手であるジンの孤独とアリシアの抱える孤独が共鳴する。
物語の中に語り手が登場しまた物語り…。この入れ子構造を辿るほど、物語は古い時代へ遡り、映像は燦然と輝く。現代に近づくと輝きも失われる。それと呼応するように挿入される「科学が発展することで、物語は必要無くなっていくのでは?」という問い。この作品はそういったミラーの自問自答がそのまま込められているように見える。その問いには明確な答えなど出しようがない。
だが少なくとも明らかのは、ミラーはいつも物語の力を信じて映画を創ってきたことだ。この映画を副読本として彼の過去の作品を見直せば、ジョージ・ミラーがいつも「物語を語り、継承していく」ことを描いていることが見ててくるはずだ。この作品にはミラーの他の物語と関連づけてこそ、込められた真意がハッキリする気がしている。
アラビアン・ナイト 三千年の願い
2022年 / オーストラリア・アメリカ / 108分
監督: ジョージ・ミラー
出演: ティルダ・スウィントン、イドリス・エルバ