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【一千文(字/時)評】ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME. 3
動物虐待を糾弾するために虐待してもいいのか?
この映画が公開されるのをどれ程待ち侘びたか…。その反面、このまま公開されないままでもいいかな、なんて思ったりもしていた。
それだけガーディアンズ・オブ・ギャラクシーというチームがお気に入りだったし、彼らが次で解散と考えるだけで悲しくなってしまっていた。
そしてついにやってきたVol.3。
まるで大好きなバンドの解散ライブのような、最高の作品だった。それぞれのキャラに見せ場が用意されていて、それぞれに真摯に向き合ったからこその新しい行く先を見せる。
ファンとして大満足で見たし、作品としても本当に素晴らしいものだった。スタッフとキャストの皆さんには心からの感謝を送りたい。
だが今回は、そんなこの映画を大好きな人間ではあるが、それでも映画を見ていて覚えた少しのモヤモヤを言語化してみようと思う。
そのモヤモヤは実験動物にまつわるものだ。
この実験動物というテーマがこの映画の根幹をなすものであることは言わずもがなだろう。
そしてガーディアンズの中でも特にアイコニックなキャラ ロケットのオリジンと結びついており、劇中では過去にロケットが受けた思わず目を覆いたくなるような残虐な仕打ちが示唆される。
もちろん、この映画の伝えるメッセージは「実験動物や動物虐待への糾弾」ではある。あまりに酷い仕打ちを行ってきた憎々しい悪役ハイ・エボリューショナリーをガーディアンズがフルボッコにすることで、動物虐待への怒りがカタルシスへと昇華されるわけだ。
だが振り返って考えてみれば、この映画に出てくる実験動物たちの末路はそうは言ってもあまりにも残虐で救いがなさすぎる。
ロケットの親友だった3匹の仲間たちは何の救いもなく殺害されてしまう。
敵軍団の戦闘要員となっている半分機械の改造動物たちは使い捨て前提の戦闘によりガーディアンズたちの機銃掃射によって甚大な数が死んでしまう。このシーンはロケットの一瞬怯むショットを挟む配慮はあるものの、起きてることは大虐殺だ。
そして実験動物たちの暮らすカウンターアースという星は子供じみた理由で滅亡。それに対して大したフォローもない。
これらは観客の動物虐待に対する怒りを募らせるためのものではあるのだが、そのために作中の動物たちを過剰に虐殺してもいいのか。
動物愛護を謳うことは立派だと思うが、作中の動物たちの扱いにあまり愛を感じられないのは気になるところだ。