鍋島直正公の軌跡③ 科学技術
オヤジブログ怪気炎 vol.138
話は先代の事件。佐賀藩は長崎の警備を担当していたのですが、内緒で警備の兵を減らしており100人しかいなかったところへフェートン号事件が発生。日本の国防力が手薄であることが露呈してしまった。
お台場と言えば、東京湾を思い浮かべるが、元々外国船来航に備えて、大砲が置かれた場所のこと。似たような台場が長崎にもあって、鍋島直正公が関わっていた。
佐賀藩で製造した大砲は、その後戊辰戦争でも大変な威力を発揮することになる。
この大砲を作るまでが大変で、反射炉の建設から始まり、多くのハードルを乗り越えています。けれど鋼鉄を自前で製造できるようになったことで、七賢人の一人佐野常民が蒸気船や機関車を製造する。もちろん日本初のことで、かの有名な田中儀右衛門(東芝の元を作った人=からくり儀右衛門)がエンジニアとしてスカウトされたのもこの頃。
工業にとどまらず、医学にも関心を寄せて天然痘予防のための種痘を自分の息子に接種している。医者の資格を世襲ではなく免許制に変えたのも直正公だ。
圧倒的な科学技術を誇った佐賀藩だが、当初中立的な立場を堅持していたことや直正が病弱で上京の機を逸したことから、倒幕運動への動きは後手に回り、最後に美味しいところを持って行った感がある。徳川慶喜に「ずるい」と言われたのは、その辺りの立ち回り方を揶揄されたのかも知れない。
しかし、佐賀七賢人の輩出を始めとして、後世への影響力は半端ない。もっと評価されていい殿様だと感じています。