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ルーティーン関係のメモっとく事

わたしは、食欲無くても運動はし、睡眠も同様に扱う。価値観的理由としては道具を絶対視しないという心掛けかと想う。ツールは目的とは違う。そうそう、区別や、差と、差別は、違うと、これも分かろう。大人になって、それを分からないとか大変の極み。
その際は、ストレッチや深呼吸をし、調子は整え運動に適応させる訳。
思春期のありのまま信奉者は中二病を肯定すると虐めを決して辞めない。そんなありのまま、将棋してたら、愚かなのは分かりそう。ま、これも分からないか。許してやりゃ善いか。わからないヤツって優しくしてもらえるもんな。甘えてりゃいいし。してな狡猾な輩らしく。
本当に惨めな弱さはそういうの。
自分を、認めても、認めても、認めた気はしない。
地獄も味わったら苦み走るかもね。
そう、私はこういう事は楽しめるから言っている。正道にストレートに生きるには惨憺たる努力をし、みとめてやる事は出来る。無償の愛をこの上、与えなくても、やれる筈。重い期待を重く生きたらイイ。
即物的とか、たんらくてきとか、そういうやつなら楽しめない。
狂った敵も楽しめなきゃ、つまらない。悪の命乞いも涙なしには聴けないかも知れない。確信犯の衝突。

衝突をするなら、堂々と。
ちなみに、私は一度追突されている。
その時は相手の人生を守って通報はしなかった。

そう、そんなやつこそ天然かも知れないから。
後悔はしない。
しないし、負けていいとも想わない。勝たれないと道義を分からない大量の人間の存在。愚かとはこういう事かと感激も催す。

外向的とは、信頼、してくれた人にとことん尽くす、やや、適度に他者志向な人。

実力をわからない人は危険。よわい!とか、そういう事、以上に。

手加減をしたくても、勝敗白黒つける時は、ある。

「ありのままの私を分からない」「本当の人生分からない」「傷つけたかも知れない」
それは、確かに深刻。
悩みなよね。
助言もしていいかなくらい。
毎回助けてたらキリは、無い。

人間与えられないかも知れない物に期待しては、いけぬ。
典型的な家庭像や、中流意識や、俗な仲間の作り方や、その1つ1つに気を払ったり、してちゃ誰も、守れないし、助けあいと言って助けては、居ないし、実質と言って籍とそれを混同してたりする。

固定化された生活は、やはり要らないかもしれない。
頼り甲斐を楽ちんに育てようとするなんて、矛盾はしてる。

外来語を受けつけないのは習慣を絶対視した人に見られる。改めて考えない。既成のものから根拠を求める。行動力、ひくめ。

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Besuちゃん
相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。