思いはただシンプルに
夕飯作り
私は、いつも夕飯を作る前に、「今日はしんどいな。」「お弁当買おうかな。」「とにかく何かしなきゃ」と、いろんな思考が浮かぶ。疲れている時は、たくさん出てくる。元々、料理はあまり得意ではないから尚更だ。
気持ちだけ焦って、いつもやる気がおきない。
先日、友人宅でスープをご馳走になった。軽やかに手早く作る様子を見て、料理を作ることは、本来は楽しいことなのではないかと思った。どうして私はこんなに気が重いんだろう。
中学校時代、母親がフルタイムで働いていて、夕飯を作る時には、本当にしんどそうにしていた顔がなぜか浮かぶ。料理はしんどいものだという思いこみがあるのかもしれない。
また、私以外の家族は全員お休みなのに、私だけ休日出勤だと「私ばっかりしんどい。誰か夕飯作ってほしい」と思う。
お気に入りのもので気分アップ
最近、少しでも料理を楽しくするために、木のまな板を購入した。今枝ゆかりさんのくいしんぼうラジオをスタエフで聴いた時、木のまな板をとてもおすすめされていて、自分も使ってみたいなと思った。
木のまな板が届いて、始めて目にした時、その模様が美しく、少し桧の香りがすることも、とても気に入った。野菜を切ってみると、いい音がする。お気に入りの道具で心地よさをアップすることも、マインドフルな時間につながる。
なぜか、料理のアイデアも浮かぶ。道具って大切だ。
また、時々、自然栽培のお野菜もとることにしている。
始めて自然栽培のキャベツを千切りにしたものを食べた時、その美味しさに驚いた。
キャベツ特有の青臭さが全然無く、シャキシャキしていて、みずみずしい。今まで食べていたものは、なんて味が薄いんだろうと思った。
自然栽培のお野菜は、送料もかかるし、お値段も通常より高いので、月に一度位しか買えない。
でも、料理するのがとても楽しいし、大切に使おうと思う。
野菜本来の味を知るいい機会だ。
マインドフルな時間をもつこと
以前に、マインドフルネス道実践会で、先生がこんな例え話をしてくれた。
身体の中の水を想像する。いろんなものが入った水は、とても濁っていて、まるで泥水のようだ。
でも、しばらくすると、泥水が段々澄んでくる。すると、本当の自分がうっすら見えてくる。
マインドフルな時間を持つことで、濁った泥水が澄んできて、本当の自分はどうしたかったのか見えてくる。
本当は、家族に美味しく食べてもらいたいだけ。その顔を見ながら、自分も美味しく食べたいだけ。
疲れたり、いろんな思考で見えなくなってしまっているけど、シンプルに、私の思いは、ただそれだけ。
そして、ご飯をつくることも、難しく考えすぎていたかもしれない。いつも、ちゃんと作らなくてもいいし、作れない自分もいてもいいんだと思えた。