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大きな花を見た受験期の噺。
中学3年生のこと。
2年の頃から担任を持ってくれた恩師は、所謂「受験のため」のことを色々指導してくれた。情熱的と云うにはへらりとし過ぎていて、ヘラヘラしていると云うには、裏の顔は然り親のようですらあった。
とてもいい先生だったが、他のクラスに「〇〇(担任の苗字)教」と揶揄されるくらいには時代に似合わず大胆なことをする先生であった。
ヒーターの前に立てば運が飛んでいくから温風に当たるな、
先生には止まっておじきしてから挨拶しろ、大事なことを教えていただいた。
しかし休み時間は勉強。
ロッカーやドアの前でお話会を開催するやつは落ちるだの、
あいつはバカだの、口はすこぶる悪かった。
それでもついていったのは、僕たち以前に持っていた13代ものクラスで実績をあげ、現に彼の通りにすれば成績が抜群に伸びたからでもある。
親や塾の魅惑的な寄り添いよりも信じるべき指針であった。
長野にはびんずるというお祭りが夏に、冬にはえびす講の花火大会がある。
私の家は代々商業をしていて、父親が小さな市場を経営している。
えびす講は株主が招待されることもあり、祖父母の人数合わせに弟と四人で行くことになった。私は最初行きたくなかった。
先生の教えに背くことになってしまうからだ。(まあ彼は奥様とホテルのディナーを楽しみながら花火を楽しんだようだが)
今思えば、受験期で少なからず気が立っていたのかもしれない。
少しばかり顔を顰めながら車に揺られたものだ。
ディズニーが何周年だったか。
ドローンでキャラクターが作り出された後、盛大に花火が上がった。
いつだって花火は最初の演出が1番ドキドキする。
山に近いところで色とりどりの花火が噴き出したかと思えば上を見上げると
暖色の大きな花火が上がる。
かの有名な「僕のこと」や「私は最強」などのJ-popに合わせて繰り広げられた
花火は踊っているようにさえ思って、
「嗚呼このような音楽を作りたい」と深く感動した。
私は念願である生涯初めてのチーズハットグを食べながら、
感動を言葉に表し、心の中で詩を読みながら、祖父の隣で空を見上げていた
時折「ば〜ん!」と声を上げる幼子は、幼き頃の自分を彷彿とさせる。
ひゅ〜!と言いながらしゃがんでいた足を伸ばして花開くときに
ば〜ん!と空に大の字になって飛び上がる私。
子供はこうであっていい、こうあればいいとぼんやりと思っていた。
本能からくる行動でも、意図して少し恥ずかしがりながらはしゃぐ姿でも。
それだけで、顰めっ面でやってきた子供な私の顔は崩れて、笑い出した。
来てよかったと、来れてよかったと。
私が帰ってすぐにこのノートパソコンにメモしたのが下に書いたもの。
大きなひまわりが咲いた
君が語る綺麗な世界は
こんな形をしているんだろうから
月に届くかな
大輪を望む人々よ
明日を生きようとする人々よ
夜明けが来るまで
歌い明かそうか
「生きててよかった」
そう笑う君に
大袈裟だって笑ってみたけれど
ほおを伝う愛が溢れて止まらない
いずれこれも曲にしようと思って書いたのだ。
実は終わってから、来てよかったという思いだけじゃなく、
生きててよかった。とさえ思った。
しかしこの詩にでてくる「生きててよかった」は、私の言葉ではない。
祖母の言葉だ。
石階段を下ろうと並んでいる最中、こちらを振り向きながら放った、言葉。
私は驚いた。
同じだ、と賛同する心よりも先に此処で言える彼女の輝かんばかりの素直な言葉に
驚きが隠せなかった。少しの間私は沈黙した。
「大袈裟だよ、なぁ」
笑いながらいう祖父の言葉に放心しながらも私は笑ったものだが、
おかしそうに笑う祖父の顔にもどこか慈愛が浮かんでいて、
愛に当てられるが如く私は目を瞑ってしまった。(祖父の笑いながらいう言い方を文章にしたいのに、セリフだけ書くとなんとも味気なく感じてしまいますね。私は一年前の彼らの声音と息継ぎさえ思い出せるというのに、嗚呼、もどかしい!)
私はあの時花火大会に行かなければこんな思いはできなかった。
頑固な私を諫め、宥めて、連れていってくれた父には感謝している。
綺麗な愛を見た。
綺麗な花を見た。
綺麗な詩を描いた。
生を育み他者と関わる喜びを実感した。
そんな受験期の噺。
贅沢な子供の噺。