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言葉にするとチープに

いつもあたまはぐるぐると回って、ポンと浮き上がってくるなにかの処理に、ひたすら追われている。
勉強してるときも、音楽を聴く時も、お風呂に浸かっている時も、はたまた、本を読むときも。

そんな風だから、「今何考えてたっけ。」なんて現象も頻繁に起こる。
さっき考えていたことが何か、思い出す徒労の作業。
意味のないことがほとんどなのに、頭は忘れものをしてるんじゃないかって、懐疑的になることをやめない。
瞳は右斜め上を眺めて帰ってこない。

しかしこの癖は悪いことばかりではない。
日常を埋め尽くす思考の数々は、時に結晶のように、光り輝く核心をもたらしてくれたりする。
それが、数か月、もしくは数年間、ぼくの記憶に色濃くペーストされて、信念となることがある。
例えば、”説明つかない感情こそ美しい”なんてことば。
今、ぼくは、行動と思考が結び付かない、気が狂っているような状態を、褒めたたえるべきものだと心の底から思っている。
なんでこんな言葉が、あたまの中にふっと湧いてでてきたのかというと、まったく正体不明である。
たぶん、目にした文字きれや、印象深い思い出が、説明のつかないほど複雑ににらみ合ってできた結晶なんだと思う。

こんな風にして、文字にしてみたのだけれど、今も思う。
ことばにするとチープになるって。
ことばにすると、幾多の時をかけて、熟成させていた、じぶんだけの宝物が、世界の人たちに覗き見されているかのような。
その”宝物”を、鼻で笑われたり、踏みつぶされたりしているかのような気分になってしまうから。

これはなぜかって考えたときに、ぼくの宝物を、他の人に、赤の他人に、見ず知らずの人に、評価させる猶予をあたえてしまうからなんじゃないかって。

唯一の解決策は、、、、、

人に話さないこと。
一切、”宝物”を見せないこと。

今は、そんな風に思ってる。
けれど、このnoteにだけは、たまには、ちょっとだけ自慢しようかな。
やさしいひとであふれてる世界の隣人さんを信頼して。


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