過去は今であり、未来でもある
私は子どもの頃からずっと、
夢がないと思っていました。
やりたいことも「特にない」まま
大人になったのだと。
大人になってからも、
仕事も趣味も長くは続かず、
私の人生は
なんのためにあるんだろうと
考えることもよくありました。
このまま何も成し遂げることなく
終わっていくのかと思うと、
残念な気持ちになることもありました。
でも、
本当はそうじゃなくて
「叶わなかった」のかもしれないと
感じる瞬間が訪れました。
あれが
私にとっては「本当にやりたいこと」
だったのかもしれない。
あれが私の夢だったんだとしたら…
そう考えだしたら、
色々なことが腑に落ちていきました。
今はもう、
それをやりたいとは思っていません。
ただ、
「それが私の1番の夢だった」と
認めたことで、
私の「今までの人生」を見る視点が
大きく変化しました。
その夢とは、
バレーボールに関する職業に就くこと
(出来ればプレーヤーとして)です。
恥ずかしすぎて誰にも言えなかったし、
自分でもそれが夢だとは
認められませんでした。
なぜなら、
クラブチームに入っていたわけでもなく、
強豪校にいたわけでもなく、
何かの代表に選ばれた経験が
あるわけでもないからです。
県大会出場を目標に頑張る部活で、
ただただ真面目に
ひたすらバレーを一生懸命やっていただけ
だったからです。
ひたすら練習することが
悪いとは言いません。
そこから将来につなげていく選手や、
結果を出してくチームもいますから。
でも、私が所属していたチームは
地区予選を突破できず、
私も「注目選手」として
日の目を見ることはありませんでした。
大学に入ってからも
一生懸命練習しましたが、
将来につながるような場所には
立てませんでした。
大人になればなるほど、
自分の夢を認めたくない気持ちが
強くなっていきました。
大人になっていく過程で、
どういう人が
どういうルートでプロになっていくのかが
分かるようになり、
自分のレベルがどの程度なのかが
どんどん鮮明に
分かるようになっていったからです。
当時はとにかく一生懸命で、
それ以外を考える余裕は
ありませんでした。
そういったことは、
バレーから離れ、
大人になっていく中で
気付いていくことになりました。
別の競技で
ある程度の成果結果を出した旦那からは、
「家族のサポートが皆無だと難しいよ」
「環境は大事だから」と
言ってくれましたが、
それだけが不足していたわけではないと
分かっています。
だから、
それが「本気の夢」だったとは
思いたくなかったのだと思います。
本気の夢だったなら、
「もっとやれることがあった」という
後悔の気持ちと、
「あれが私の精一杯だった」という
情けない気持ちとの入り混じりからです。
長い時間と
青春時代の全体力を掛けてきたからこそ
「それでも叶わなかった」と思いたくない、
それらを無駄にしたと思いたくない、
という気持ちもあったと思います。
どちらにしろ
「そっとしておきたかった部分」ですが、
そんな触れたくない部分と向き合うことで
吹っ切れたものがありました。
そうか!
私には夢があったんだ。
だから、
その夢が「叶わない」とわかったとき、
目印の書いてある地図を
取り上げられたような気分に
なってしまったんだと思います。
今立っている位置を見失い、
行き先もわからなくなってしまった。
そして、
「自分には何もない」
と、自信をなくしながらも、
目の前に見えている道を
ひたすら歩いてきたのだと思います。
どんなに頑張っても
いまいち手ごたえがないし、
この先どう進んでいいのかも
いまいちよくわからなかったのは、
だからなのかもしれない、と感じました。
本当は夢があったし、
目標地があった。
だから、どこにたどり着いても
「私が来たいのはこんなところじゃない!」
と、なっていたのかもしれません。
これに気付くことができたのは、
私の中でとても大きなことでした。
何より心がスッとしました。
私がなぜ、
これを記事にしているのかというと、
みなさんにお伝えしたい事があるからです。
「私は、あの夢を叶えたかった。」
それを自分で認めることが出来たら、
早速、現実が動き出しました。
今まで一度も、
「バレーをしてきたことが報われた」と
感じたことはなかったのに、
バレーを一生懸命してきたからこそ
繋がれた縁が、
「今の私を助けてくれる」と思えるような
展開を見せたのです。
私は今、
「人生は続いている」ということを
肌で感じています。
だからこそ、
「今」を一生懸命生きることには
とても意味があると思うのです。
なぜならそれは、必ず
未来の自分を助けることにつながると
知ったからです。
今、手探り状態になっているあなたへ。
今、何のために生きているのか
分からなくなっているあなたへ。
「今を一生懸命生きること」には、
意味があります。
その意味は、
今は全くわからないかもしれません。
今は、全く手ごたえがなく
結果も
出ないかもしれません。
でも必ず、
「それをしておいてよかった」と
思える時が来ます。
そのためにも、
一生懸命生きている自分を認めて、
安心して、毎日を過ごしてください。
SAYU☆