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トランプ台頭と白人労働者の没落の経済的考察(長文)

 2024年のアメリカ大統領選挙はドナルド・トランプ前大統領の勝利に終わった。トランプは第一次政権の時から混乱とスキャンダルに彩られていて、退任時に起きた米議会襲撃時間は強い批判を受けた。トランプはいくつかの訴因で刑事訴追も控えている。これだけの問題にもかかわらず、トランプは良識派のハリスに圧勝を収めた。何がアメリカ国民をトランプに傾倒させているのだろうか。前回の記事では長すぎて収まりきらなかったので、今回は続編あるいは補足記事である。

 2016年の選挙の時に指摘されていたのは、アメリカの白人労働者の抱える不満である。彼らは既存の政治勢力に自分たちの意見が汲み取られていないと感じ、トランプへの投票行動を促した。トランプが支持を勝ち得たのはそれだけ多くの人間が現在の民主党系エリートに反感を持っていたという証である。同時にこの国の政治が不安定化していることも表している。トランプはこれまで選出された普通の大統領ではなく、アメリカ国民の分断と不満を体現した存在だった。その原因の1つがアメリカの経済構造にある。今回はアメリカが二重経済になっているのではないかという指摘について考えてみたいと思う。

二重経済って何?

 白人労働者の窮状の背景にはこの国が深刻な経済問題を抱えているという事情がある。数字の上ではアメリカの景気は絶好調なのだが、実際の庶民の生活とは明らかに乖離があるようだ。最近はアメリカの異常な物価高や住みにくさについて日本国内でも言及される機会が増えてきた。例えば小室さん騒動に関する報道でニューヨークの異常な物価水準について触れた人間は多かっただろう。年収1000万でやっとアパート暮らしといったレベルである。

 これらの原因として、アメリカが二重経済の国になっているという指摘がある。本来は二重経済モデルは発展途上国あるいは小国に発生する現象であり、主要先進国の理解に用いられることはない。だが、アメリカ合衆国においてはどうにも二重経済が発生しているような兆候が見られる。この指摘は万人の常識として受け入れられている訳では無いが、納得するだけの十分な論拠はあるのではないかと筆者は思っている。

 二重経済というのは、元々ノーベル経済学賞受賞者のアーサー・ルイスが提唱した概念だ。途上国に良く見られる、生産性の高い産業と生産性の低い産業が国内に同居しているような経済である。例えば工業化の進む発展途上国では、好況に沸く都市部で豊かな生活を送っている人々がいる一方で、農村では伝統的な暮らしをし、膨大な余剰労働力を抱えていたりする。戦前の日本もこのような国だった。都市部には近代化で作られた工場が立ち並び、財閥本社など大企業が多く存在していた。一方で農村部の多くは江戸時代の延長のような暮らしをしていて、中小企業の賃金水準はかなり低かった。山の手と下町は経済状況も文化も別の国のように異なっていた。

 しかし、新興国にありがちな二重経済は長期的に見ると解消されることが多い。理由は高賃金を求めて農村部から都市部に人口が移動するからである。日本がまさにそうだった。高度経済成長期に大量の労働力が金の卵として太平洋ベルトの工業地帯に移動した。お陰で農村の余剰労働力は枯渇し、もはや農村=貧困といった図式は成り立たなくなった。自動車産業のような製造業は莫大な雇用を作り出すため、高度経済成長期の失業率は極めて低く、一億総中流とまで言われるようになった。東京都においても下町と山の手の違いは希薄化し、単なる住所の違いとしか認識されなくなった。

 現在は中国がこれに該当するかもしれない。中国においても都市部と農村部の莫大な格差は問題になっていた。しかし、中国においては急速に工業化が進んでおり、一人っ子政策によって国全体の出生率は激減している。まだまだ内陸部には貧しい農村は存在するが、労働力が枯渇するのは時間の問題だ。

二重経済が構造化する場合

 一方、二重経済が構造化し、長期にわたって解消されない国も数多く存在する。典型例は産油国だ。石油は製造業と違って雇用をほとんど産まないため、他の産業に波及したり、サプライチェーンが国全体を覆うことはない。国内だけで経済が完結している場合は生産性が高い産業といっても収益には限界があるが、国外に輸出している場合はグローバル市場から膨大な資金が還流してくる。

 例えば世界で最も極端な二重経済の国として、アンゴラを挙げることができる。アンゴラは豊富な石油資源を持ち、一人当たりのGDPはアフリカの中でも上位にランクインする。首都のルアンダには高層ビルが立ち並び、見るからにリッチな暮らしをしている人が見受けられる。ルアンダの物価は世界で最も高く、海外駐在員の生活は大変だそうだ。

 それにもかかわらず、アンゴラの乳児死亡率はアフリカの中でも最悪クラスだ。資料によっても異なるが、一人当たりGDPの値から予測される数値よりも格段に悪い。この国の一般国民はニジェールやアフガニスタンと変わらない暮らしを送っていることになる。その原因は石油の富が一部の関係者しか潤すことがなく、一般国民には全く関係のないところで輸出産業が回っているからである。自動車産業が数百万の雇用を作り出すのに対し、石油産業は油田と輸送ルートさえ押さえれば良く、採掘すら外国の技術者がやっていることが多い。アンゴラの経済は石油産業に携わる一部の富裕層と、大多数の貧しい一般国民に分断されており、両者が交わることは殆どない。エリートにとっても、国民の労働力に依存していないので、国家全体を開発しようというインセンティブがほとんど働かない。こうしてオイルマネーは道路や学校の建設ではなく、富裕層向けの贅沢品として使われていく。

 アンゴラほど極端ではないが、同様の問題は多くの産油国が抱えている。石油による富を国民に還元するにしても、雇用を通した通常の経済的な手段ではないため、政治家主導の利益誘導やバラマキ政治になりがちである。イラクやナイジェリアといった国では石油の富に立脚して腐敗した非民主的な政治が行われてきた。比較的うまく行っているのは湾岸産油国だが、これは元々の人口が少なかったことが幸いした。もちろん王政の努力や大量の低賃金出稼ぎ労働者の犠牲も関わっている。

 二重経済が生まれる要因は、一部の生産性の高い産業があまり雇用を生み出さず、なおかつ外国から莫大な収益を得ている場合である。例えば100人の村があったとして、90人が普通の農業や小売業で生計を立てているのに対し、10人がネットビジネスで巨万の富を稼いでいる状態だ。彼らの取引相手は外部の人間なので、彼らがいくら富を得たところで他の村人とは関係ないところでビジネスが動いている。物品を購入する時も通販である。村人に雇用を生んだとしても、せいぜい小間使い程度だ。彼らの富を村全体に還流するには政治的に再分配をするしかないが、ネットビジネスをしている側は残りの90人の村人には関心がないので、再分配は不当な没収にしか見えないし、そのような行為は経済を衰退させると考えている。政治家の中にはネットビジネスをしている10人から資金を受け取っている者もいるし、庶民を無視してネットビジネスを応援した方が国家全体の富は増えると考える者もいる。当然、村人は怒るし、強盗を行う者も現れる。このような場合、政治はうまくいかない。

 二重経済の国は外国から直接収益を稼げる産業があまり雇用を産まず、地元の人間は伝統的な産業に従事し続けている国であることが多い。代表格はアフリカの植民地国家だ。アフリカの興味深いところは、国全体が貧しいにもかかわらず、先進国とそう変わらない生活を送っている人もいることである。アフリカのエリートは首都の高級住宅街に住んで、鉱山の利権を押さえていて、先進国との貿易で潤っている。国内だけで貿易していたら、購買力の低さでここまで富を得ることはできない。あくまで外国からの収益によって彼らの裕福さは支えられている。家具や自動車は舶来品で、子供は欧州の大学に留学させている。彼らは自国の一般庶民に関心はなく、地方にインフラや学校を建設するインセンティブはない。そのようなことをしても意味がないからだ。したがって一般の国民は放置される。エリートは反乱さえ起こさなければ庶民と関わることはない。

 グローバル化を批判する左翼が論拠にしているのもこの辺りの論法なのだろう。ただし、二重経済の発生をもってグローバル化を批判するのはちょっと弱い。第一に、全てのグローバル化が二重経済をもたらす訳では無い。高度経済成長期の日本はアメリカ市場への輸出によって経済成長がもたらされたが、これは二重経済をむしろ解消する役割を果たした。第二に、二重経済がもたらされたとしても、国家全体の富はむしろ拡大することが多い。例えばロシアとウクライナを比較すると分かる。ソ連が崩壊した時、ロシアは豊富な石油資源をドイツに輸出することで糊口を凌いだが、国内の格差は拡大した。それでも国民はプーチン政権を評価した。一方のウクライナはというと、輸出産業が軒並み壊滅したために、格差はあまり拡大しなかったが、ひどい経済難に苦しむことになった。ウクライナの政情不安の最大の原因は独立後の極度の経済不振である。第三に、二重経済がもたらされたとしても、政治が慎重に富の再分配を行えば、歪みはある程度は押さえられるということである。湾岸産油国は国民に富を還元しているし、ノルウェーもオイルマネーを基金にしてうまくやっているようだ。ロシアも社会主義の名残によってある程度は格差が緩和されている。

 グローバル化が政治問題をもたらす場合は、あくまで雇用が拡大せず、それらが政治の腐敗などと結びついて庶民の不安を掻き立てた場合に限られる。湾岸産油国のように王政が慎重に国民への分配を行っている場合や、ロシアのように国民が別の問題に注目している場合は、二重経済は争点にはならない。

アメリカの二重経済

 議論あるところではあるが、筆者はアメリカが二重経済になりつつあるという主張には一定の説得力があると考えている。その原因はアメリカが世界経済の中心であり、世界中からヒト・モノ・カネが集中するという特殊な性質が原因である。

 アメリカを客観的な統計資料を元に考えてみよう。アメリカの一人当たりGDPは8万ドルを超え、主要先進国の中ではトップである。一方、不振に陥っているのは日本で、一人当たりGDPは3万ドルとアメリカの半分以下という状態になっている。GDPの辺りだけを見ると、アメリカは日本の二倍から三倍豊かな暮らしをしていることになる。

 ところが、別の指標を見ると、アメリカが豊かな国という主張は疑わしくなる。アメリカの乳児死亡率や平均寿命は先進国の中でも最悪クラスであり、もはや中所得国のほうが近いのではないかと思われる。一方、トップに君臨しているのは日本だ。どうにもアメリカ経済は実際の庶民生活とは乖離したところを漂っているのではないかという疑念は付きない。

 高い一人当たりGDPと、平均寿命や乳児死亡率の不振という特徴は、産油国と著しく近い。先述のアンゴラははもちろん、湾岸産油国などにも見られる特徴である。

 やはり、こちらのグラフを見ても、アメリカの社会経済上の水準は産油国に近いのではないかと思われる。

 二重経済の国の特徴は一人辺りGDPの数値が社会的な開発状況よりも上振れしていることである。例えばアゼルバイジャンとアルメニアは識字率や乳児死亡率はほぼ同じくらいだが、アゼルバイジャンは石油収入のお陰で一人当たりGDPがアルメニアの倍以上だ。アルメニアとアゼルバイジャンの庶民は似たような暮らしなのだが、アゼルバイジャンにはそうした庶民生活とは関係ないところで巨万の富を手にしている連中がいるということである。

 同様に、日本とアメリカに関しても、国民の質はそこまで変わらないか下手すると日本のほうが高いのだが、アメリカはそれとは別に一部の人のところに国外から資金が流入してくるため、庶民生活から乖離した富裕層が存在するというわけである。それが悪いというわけではないが、一般市民からすると面白くはないし、インフレを招いて生活水準が下がる可能性もある。それに二重経済はエリートと庶民を分断し、政治の機能不全を招くおそれがある。

製造業の衰退とIT産業の隆盛

 アメリカが二重経済に陥っている第一の原因は製造業の衰退ではないかと考えている。製造業というのは実のところ経済成長にとっては最も役に立つ産業だ。製造業は莫大な雇用を作り出すからだ。日本の場合、トヨタ一社で数百万人の雇用を生み出すとも言われている。雇用が拡大すれば政治的な不安定は抑制されるし、国民の教育意識も高まる。社会全体が産業に組み込まれ、一億総中流のような経済体制が生まれやすくなる。現に驚異的な経済成長を成し遂げた国は全て製造業がメインである。日本・韓国・台湾・中国・タイ、時代を遡ればドイツや(不完全だったものの)ソ連もそうだった。これらの国ではまず国家主導で大規模な普通教育やインフラ整備が行われ、それを元に優秀な労働者が大量に工業部門に供給された。輸出向け工業の富は新たな雇用を作り出し、国家の側も更に教育やインフラに投資するインセンティブを持っていた。

 一方、天然資源産業は製造業のような大衆的な雇用を作り出さないため、どうしても経済成長の起爆剤にはならない。むしろオランダ病と呼ばれ、通貨高で製造業の発展を抑圧してしまう。資源に恵まれるとむしろ製造業は衰退してしまうわけである。これはリカードの比較優位論から導かれる当然の結果だ。リカードの罠と言っても良い。

 1950年代の「古き良きアメリカ」は製造業が盛んだった。デトロイトはそれらの象徴である。アメリカは世界最大の工業大国で、多くの雇用が製造業によって生まれていた。労働者階級にとっては良い時代だった。ところが、現在は明らかにアメリカは製造業メインの国ではなくなっている。確かにGDPの割合を見ていると、製造業は未だに莫大な富を稼いでいるのだが、その国の経済力を見る時にGDP構成比を見てもあまり役に立たないことが多い。医療や不動産など、輸出産業にならない分野を多数含むからだ。地場産業が医療や不動産という地域はあまり多くないだろう。それより重要なのは主力企業である。もはやGMやフォードはアメリカを代表する企業とはいえない。世界最強の企業として名高かったGEですら、最近は傾いている。

 代わって花形となったのはGAFAを中心とするIT産業だ。ところが、これらの産業は世界中から収益を得ることができる割に、製造業のような大規模な雇用は生み出さない。GAFAで働いているのは一流大学出身のエリートか、外国から来た高技能移民であり、労働者階級には無関係な世界である。アメリカの製造業は衰退し続け、アジアからの輸入品に取って代わられていった。

 GAFAがアメリカの政治経済にどのような影響を与えるのかは定かではない。これらの産業はイノベーションの産物である一方、独占的な性質が強いという批判もある。油田よりはマシかもしれないが、似たような性質を持つ可能性はある。ノーベル経済学賞を受賞したアセモグル教授はGAFAが非民主的な性格を持つ危険性について論考を書いていた。こういった指摘がどこまで当てはまるのかは神のみぞ知るが、少なくともIT産業が一部の高技能労働者で回っている世界であり、多数の労働者階級にあまり雇用を与える分野ではないことは確かである。言ってしまえばアメリカ合衆国の富と繁栄は「IT油田」によって支えられているのである。

世界金融の中心という特殊な性質

 産油国についで二重経済をもたらす可能性が高い国家はタックスヘイブンである。世界の一人当たりGDPを見ていると、アメリカよりも数値の高い国は全て産油国かタックスヘイブンである。タックスヘイブンの国民は主要先進国の国民と比べて二倍三倍優秀というわけではないが、国外から大量の投資がやってくるので、一人当たりの富は豊かである。スイスやアイルランドと言った国のインフラや教育のレベルは日本と大きく変わるわけではない。しかし、タックスヘイブンとして成功したこれらの国の一人当たりGDPは日本の三倍である。これらの国の富は明らかに国外から流入した資金によって支えられていると思われる。
 
 アメリカはタックスヘイブンではない。しかし、アメリカは世界経済の中進国で、基軸通貨ドルを有する国である。したがって、この国は世界中から投資資金が殺到する国であり、タックスヘイブンに近い特徴を示すことがある。例えるならば、「カレンシーヘイブン」といったところか。

 アメリカの一人当たりGDPは他の先進諸国と比べて20%〜30%ほど高い。これは実は「古き良きアメリカ」の時代から変わらない。この時代のアメリカは確かに日本やドイツに比べて高い国民的な基盤を持っていたが、それから予測される数値と比べても20%〜30%ほどGDPは嵩上げされていたようである。第二次世界大戦前はイギリスやオランダがこの特徴を持っていて、「世界覇権国プレミア」と言えるかもしれない。

 その理由として考えられるのは、アメリカに世界中から資金が還流しているからである。世界の通貨決済はドルが中心であるため、世界中の投資家はドルを持っておきたいというインセンティブが働く。ただし、漫然とドルを持っていても意味がないので、必然的にアメリカの国債や株式市場に資金は還流していく。こうしてアメリカの金融市場は他の先進諸国と比べても極端に膨大なマネーを擁している。アメリカが莫大な貿易赤字を垂れ流すことができる理由もこれである。アメリカは中国から工業製品を購入し、中国はそこで得たドルをアメリカの株式市場に還流する。こうしてバランスが取れ、形式上はアメリカの貿易赤字ということになる。

 基軸通貨を有しているという特性は本当に強い。アメリカではパンデミックの後遺症として強烈なインフレに襲われており、FRBは利上げを十分に行わなかったため、現在もインフレは亢進している。同様の状況に陥った国、特に発展途上国においては単に通貨が下落するだけに終わる。例えばトルコがそうだ。トルコはエルドアン政権のポピュリズム的な政策によって猛烈なインフレに襲われており、トルコリラは極めて低い評価となっている。なんとトルコの政策金利は50%である!!(それによってトルコの経済水準が東欧に肉薄していることは忘れられているようだ)ところが、アメリカの場合はこのような構図は成り立たない。ドルはあまりにも強く、アメリカのインフレでむしろ通貨安に陥ったのは日本だった。トランプ政権がドル安を導くにはかなり強引な政策が必要で、インフレを更に悪化させるだけにとどまるかもしれない。

 産業構造の変化とはまた別の話だが、アメリカは国際金融の中心地であるため、世界中から資金が還流しやすく、二重経済を元々生みやすい土壌となっている。例えるならば、日本の中の東京に近い。東京は日本の首都であるため、東京にしか無い特殊な産業が多数存在していて、物価や平均所得はダントツで高い。これは別に東京人が人種的に優れているからではなく、首都という性質から自然に発生するものだ。したがって、東京で生活するにはそれなりの資本やスキルが必要であり、なにもない人間が東京にやってきても、生活は苦しいだけである。

移民大国という性質

 アメリカの二重経済を支えている要因の1つはこの国に殺到する移民希望者である。トランプ支持者が不法移民に反対するのは最もな理由がある。不法移民は賃金水準を押し下げ、低賃金労働者にとって重大な不利益を与えるのだ。

 日本が二重経済を解消できたのは、高度経済成長期で製造業が発達したからだけではなく、その少し前に出生率が激減したからでもあった。農村の余剰労働力は枯渇し、貧農という概念は過去のものとなった。これは韓国や中国といった国でも普遍的に見られる現象である。どこの国でも経済成長に先駆けて出生率が激減し、失業者予備軍を減らし、一人当たりに十分な教育を施すことが可能になる。議論あるところかもしれないが、中国の驚異的な成長を支えたのは工業化だけではなく、一人っ子政策でもあった。もし中国の出生率が高いままであったら、製造業が吸収できないだけの大量の貧農が農村部に滞留し、平均値は遥かに引き下げられていただろう。

 香港やシンガポールといったいわゆる金融センター、言ってしまえばある種のタックスヘイブンが極端な二重経済に陥っていないのも、これらの国が余剰な農村人口を抱えていないからである。湾岸産油国の場合も人口希薄であるため二重経済は抑制される。

 一方、人口爆発が起きている場合、二重経済は深刻になる。例えば先述のアンゴラでは特殊合計出生率はアフリカの中でもかなり高い水準であるため、仮に石油の富をきちんと政治家が開発に充てたとしても、次から次へと農村から余剰人口が湧き出てきて、貧困問題は全く解消されないだろう。

 日本とアメリカを比較した場合、二重経済に陥る可能性が高いのは圧倒的にアメリカである。日本は少子化が進んでおり、外国人の流入もまだまだ少ない。したがって、失業率は低下していて、余剰な人口は全く存在しないと考えて良い。この場合、二重経済を生み出す余地はない。ところが、アメリカの場合は人口増加が長い間続いている。理由は色々あるが、1つは不法移民の存在である。不法移民はアメリカに絶えず流入し、労働者の賃金水準を切り下げるため、二重経済はより激しくなる。いわば、メキシコやエルサルバドルからアメリカに貧困が輸出されているわけである。

超格差社会アメリカ

 格差社会を論じるのは難しい。日本や韓国といった格差が少ないとされている国でも、実際は国民が格差に怒っているということはある。日本は小泉政権時代に格差社会がトレンド入りしていたし、韓国でもパラサイト半地下の家族がヒットとなった。格差の水準を定量的に図るのは難しく、いかようにでも言えてしまうところがある。

 ただ、それらを踏まえたとしても、アメリカの格差は巨大である。アメリカは統計上は日本よりも遥かに豊かな国だが、一般市民の生活水準が日本より高いとは限らない。むしろ、最近ではアメリカが住みにくい国であり、日本の方が遥かに豊かな暮らしができるという言説も広まっているようだ。

 このようなアメリカの性質は今に始まったことではなく、「古き良き時代」にも存在した。しかし、ここ最近は産業構造の転換でより悪化しているようだ。2020年代に入って、アメリカの殺人事件発生率は上昇傾向にある。平均寿命もこれほど医学が進歩しているのにもかかわらず、伸び悩むどころか低下しているようだ。

 昔のアメリカに存在した豊かな白人労働者階級は今は没落の一途をたどっている。それはアメリカという国の主力産業がITと金融に変化したからであり、途上国から殺到する移民が少子化による人手不足を解消しているからでもある。白人労働者階級を支えた製造業はもうない。これらの産業は全て東アジアに取って代わられてしまった。

 このような格差社会は単に住環境を悪化させるだけではなく、深刻な政治問題を引き起こしている。格差社会において富裕層と貧困層は別の国民のような状態であるため、両者の文化的なギャップは大きくなる。もはやアメリカのエリートは労働者階級の思考回路を良く分かっておらず、リベラルの弱みもこの点にあるのではないかと思われる。疎外された労働者階級はポピュリズムに走り、国政を更に混乱させる。これはまさにベネズエラで起こったことだった。ベネズエラは南米最大の産油国で、まさに二重経済の国が抱える問題を共有していた。二重経済は統治エリートの性質も歪める。エリートにとってはグローバルな高収益の産業に投資した方が実入りが良いため、貧困層は放置されてしまう。エリートにとって労働者階級は金の卵ではなく、単なる犯罪者予備軍でしかない。富裕層は貧困層の振る舞いが理解できないため、彼らのために税金を使うことをためらうようになり、公共財に対して不信感を向けるようになる。実のところ、アメリカで皆保険制度が導入されない理由は国内格差の大きさが一因かもしれない。こうして国民はどんどん分断されていき、民主主義は機能しなくなる。

 アメリカを論じる上で重要なのは、このような二重経済の問題は人種差別の問題とは別だということである。黒人の貧困は南北戦争以前の奴隷制に起因するもので、産業構造の転換とは関係がない。したがってポリコレをいくら進めたとしても、焦点がずれているため、国民の不満を抑えることはできない。富裕層は貧困層の思考回路を理解できないため、トランプ躍進の理由を彼らの「知性のなさ」に求めるようになるし、貧困層は富裕層の思考回路を理解できないため、ディープステイトが国家を操っているように思えるのだろう。

(なお、筆者は黒人差別問題を軽んじるつもりはない。というより、白人労働者の失業よりも遥かに深刻かつ根が深いのではないか。ジェファーソンの時代からトランプの時代まで黒人問題は続いているし、今後も続く公算が高い。それくらい奴隷制の弊害は大きかったのである)

 アメリカでまさに起きている不安定を半世紀前に経験した国がある。それはイランだ。当時のイランは石油収入で膨大な利益を得ていて、国王はトップダウン的な近代化を進めていた。しかし、それは典型的な二重経済であり、一般庶民の暮らしとは乖離したところで行われていた。帝政イランは女性解放運動を進めたが、これらに反応したのはエリートのみであり、庶民はイスラムの教えに従い女性の社会進出に強い反感を感じていた。1979年の革命でイスラム主義のホメイニが革命体制を構築した。これは21世紀に繋がる右派ポピュリズム運動の走りとなる革命だった。

 筆者はトランプ政権がホメイニの革命体制になると主張しているわけではない。アメリカとイランではあまりにも社会経済の構造が異なる。しかし、トランプが世界のいろいろな地域で見られる右派ポピュリズム政権と同じ振る舞いをすることは十分に見込めるだろう。ここで留意すべきは同じポピュリストであっても、南米に見られるような左派ポピュリズムではないということである。ブラジルのトランプと呼ばれたボルソナロとは政治的な対立軸が全く異なる。

 筆者はトランプ政権に一番近いのはトルコのエルドアン政権ではないかと考えている。トルコという国家は長年イスタンブールの世俗主義エリートとそれ以外のイスラム主義の民衆によって引き裂かれてきた。エルドアンはそういった国民の不満に注目し、イスラムの庶民的価値観を尊重することで、国民の人気を勝ち得ている。そしてトランプの経済政策もエルドアンに似たものとなるかもしれない。2018年にトルコが猛烈なインフレに襲われた時、エルドアンは金利を「下げる」とインフレが止まるという謎理論を中銀に押し付け、インフレを更に悪化させた。トランプも同様に減税でむしろインフレを亢進させる政策を打ち出そうとしている。アメリカの生活難はトランプ政権で更に悪化する可能性は否定できない。

まとめ

 今回は経済的な側面からトランプ旋風の背景について考えてみた。アメリカの不安定化の背景には産業の構造転換による白人労働者階級の没落がある。製造業を中心とした古き良きアメリカは消え、GAFAと投資を基調とする現在のアメリカにおいて、彼らの居場所はなかった。そうして生まれたのは二重経済とも言える格差の拡大である。格差が拡大すると、富裕層と貧困層の文化的なギャップも大きくなり、政治問題へと飛び火する。現在アメリカで起こっている混乱の背景には経済的な要因を背景に持つ文化戦争なのだろう。

 このような経済構造は時の大統領の方針では変わらないことが多い。大統領ができるのは、経済構造を変えることではなく、構造的な問題を政治問題の焦点から外すことだ。おそらくトランプはそれが可能な状態ではないだろう。トランプ政権下でインフレは更に激しさを増し、リーマン以来の経済危機がアメリカを襲うかもしれない。

 アメリカの構造的な問題はどのようにして解決されるのか。おそらく共和党にせよ、民主党にせよ、経済左派的な政策を打ち出すことは間違いないと思われる。特に重要なのは大学の学費の減免だろう。現在のアメリカの一流大学は日本で言うところの私大医学部のような状態であり、万人を受け入れるような状況ではなくなっている。教育は公共セクターが得意とするところであり、現在の市場任せの体制では困窮者は増えるばかりだ。教育こそが最も重要な社会インフラであり、この問題を避けて通ることはできない。他にもやりようはあるかもしれないが、筆者が思いつくのはこの辺りである。

  議論あるところではあるが、今後世界のトレンドが経済左派の方向に向かっていく可能性は高まっている。第二次世界大戦以前の世界は非常に格差が大きい世界だった。それが国家総力戦という究極の経済左派政策によって一気に格差が縮小した。しかし、1980年代になると規制緩和の動きが強まり、レーガノミクスなど経済右派的な政策が強まり、ソ連崩壊も相まって以前のケインズ経済的な体制は時代遅れとされた。2008年の世界金融危機は新自由主義のひとつの到達点だったと言えるだろう。アメリカの左傾化により、このトレンドに再び揺り戻しが来る可能性は大いにある。

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