ロシア連邦は崩壊するのだろうか

 ウクライナ戦争を停戦させるとトランプは豪語して当選したが、今のところ停戦の目処は立っていない。

ウクライナ戦争は21世紀の戦争でもかなり重要度が高いことは間違いない。少なくとも冷戦終結後においては最重要の戦争だ。対テロ戦争は確かにアメリカが世界規模で繰り広げた戦争だが、相手はイラクやアフガニスタンといったならず者国家であり、大国の後ろ盾はなかった。ウクライナ戦争はロシアが直接参戦している上にウクライナは西側の全面支援を受けている。世界大戦には及ばないが、ベトナム戦争や日露戦争といった重要度の戦争ではあるだろう。この戦争の帰趨によって21世紀の地政学的秩序が変化すると考えて間違いない。

 最近の戦況を見ていると、この戦争が集結するとすれば、二通りのパターンに絞られるだろう。

 多くの人間が想像するのはウクライナが屈服するという展開。ロシアとしては2022年以前の中立ウクライナであれば容認できるが、NATOに加盟したり、ウクライナが反露軍事大国としてロシアの脇腹を脅かすのは容認できない。したがって、ウクライナは一定程度の軍備制限の元、米露に管理された中立地帯として存続する。現時点で占領されているウクライナ領土は正式にロシアに編入されるだろう。

 もう一つの展開も実は考えることができる。それはロシアの崩壊である。現在のプーチン政権が限界に達し、ロシア連邦の現体制が揺らぐというシナリオだ。この場合はウクライナの勝利となる。

 現在のロシアの政治体制の歴史を振り返ってみたい。ロシアという国の原型が固まったのは意外に最近で、16世紀頃である。ユーラシア中央部はそれまでいろいろな民族が跳梁跋扈していた。中世のタタールのくびきは悪名高いが、そもそもこの地域は遊牧民が支配的だった。近世になるとようやく遊牧民が衰退して情勢が変わってくる。モスクワ付近に起源を持っていたモスク大公国はモンゴルの衰退に伴って勢力を伸ばし、現在のロシアに相当する地域を領土にした。モスクワ大公国の王朝はイワン雷帝の少し後に断絶し、大動乱時代を経てロマノフ朝が始まった。ロマノフ朝は300年間栄えた後1917年の革命で滅亡し、ソビエト連邦が誕生した。ソ連は1991年に崩壊し、ロシア連邦となった。

 ロシアの政権はモスクワ大公国⇒ロマノフ朝⇒ソビエト連邦⇒ロシア連邦と交代している。現在は4つ目の「王朝」である。中国と同じく王朝の後退期には激しい混乱が襲い、多くの地が流された。王朝の最盛期には大帝とも呼ばれる存在が現れた。ロシア史において大帝と言えるような君主は5人存在する。イワン4世・ピョートル1世・エカチェリーナ2世・スターリン・プーチンである。

 プーチンは彼らのことは全員好きだろうが、特に思い入れが深いのはスターリンのようだ。プーチン時代になってから、最も偉大なロシア人というと多くの国民がスターリンを挙げるようになった。プーチンがこれを政治的に利用しているのは明らかで、戦勝パレードでは意図的に第二次世界大戦の勝利を強調するようになった。一方でレーニンのことは嫌っているようだ。プーチンは帝国としてのソ連は評価しても、共産主義のソ連は評価していない。スターリンは偉大な皇帝、レーニンはおかしな活動家という扱いである。

 ロマノフ朝が成立するまでには大動乱という激しい混乱期があった。このときのロシアはポーランド軍によって首都が陥落しており、ボルガ川付近から抵抗軍が反転攻勢してなんとか国土を取り返すことができた。ロマノフ朝が崩壊し、ソ連が建国されるまでは同様にドイツとの激しい戦争と、悲惨なロシア内戦が待っていた。ソ連が崩壊してロシア連邦が成立するまでの期間は大規模な内戦は起きなかった。人類史に照らし合わせるとかなり例外的である。

 それでもロシア連邦は苦しい草創期を経験した。GDPは半分に下落し、ソ連自体の周辺地域は全て独立してしまった。ロシアを襲ったのは途方もない混乱状態であり、殺人・自殺・アルコール依存症の激増によって死亡率は凄まじい値に上昇した。計算してみると、ロシアの超過死亡数は400万人にも上る。これが王朝交代の際の犠牲である。全国的な内戦こそ起きなかったが、チェチェン共和国では激しい戦争が起こり、かなりの人数が志望している。

 エリツィン時代のロシアの政治は本当にひどかった。エリツィンはソ連を解体したのは良いが、そこから先のビジョンは何もなかった。本人は酒浸りであり、人気は即座に低迷した。オリガルヒと呼ばれる新興財閥が政治を牛耳り、ひどい腐敗状態が誕生した。この時代のロシアの有力者はある日突然謎のギャングに撃たれて殺されるのが当たり前だったのだ。

 プーチンは無名の政治家だったが、1999年の突然首相として表舞台に躍り出た。エリツィンとその背後にいたオリガルヒは人気のあるプリマコフ元首相に権力を奪われるのが嫌で、忠実かつ無名のプーチンを後継者にしたのだった。プーチン新首相は第二次チェチェン紛争を始め、分離独立勢力を壊滅させた。これによってプーチンは一躍国民から支持されるようになった。プリマコフはプーチンに勝てないことを悟って手打ちし、選挙を諦めた。非常事態相だったセルゲイ・ショイグは御用政党の統一ロシア党を結成して初代党首になり、「新王」プーチンに献上した。プーチン体制の有力者の中でもショイグは別格扱いであり、国防相としてウクライナ戦争の重要人物となった。

 プーチンの快進撃は目覚ましかった。就任して間もなく国民的な支持基盤を武器にオリガルヒの壊滅を図った。これによってベレゾフスキーやグシンスキーといったボスは権力を失い、経済が一気に健全化された。追い風となったのは石油価格の上昇である。プーチン政権はソ連時代の重工業中心の国家から産油国へと転身を図り、ソ連時代の経済水準を取り戻すことができた。ソ連崩壊後の混乱からロシアはようやく立ち上がり、ひとまずの安定を手に入れた。

 こうした過去が示すのは、プーチンは単なる大統領ではなく、一つの政治体制ということだ。ロシア連邦はプーチン大統領の下しか安定していない。ロシアの国民にとってプーチンとは国家であり、プーチンなきロシアは想像することができない。これがプーチン政権の支持率が絶大な理由である。プーチン政権以外の政権となると、エリツィン時代の暗黒時代か、ソ連しか思い浮かばない。

 現在のロシアの政治体制は個人独裁と言っても良い状態である。もはや国家がプーチンという特定の指導者とセットの状態であり、体制は本質的に不安定だ。一党独裁国家の中国は党というシステムがあるが、ロシアにはそういった制度が脆弱である。中国と違ってロシアの有力者はみなプーチンのコネでありついた人間であり、腐敗の水準は高い。

 個人独裁政権はリーダーの失脚とともに体制そのものが崩壊し、混乱状態になるのが特徴だ。一党独裁と違ってエリート間の意見対立は起きにくい。政権が崩壊した場合は代わりになるような勢力は現れず、巨大な権力の空白が生まれるだけである。個人独裁政権は腐敗の水準が最も高く、民主化の可能性が最も低いタイプの政体だ。ロシアの今後は一筋縄ではいかないだろう。

 個人独裁が崩壊した後の具体的な事例はあるだろうか。カダフィ政権崩壊後のリビアは国家が無政府状態に陥ったケースである。しかし、比較的穏当に進む場合もある。フランコ死亡後のスペインは順調に民主化が行われた。ロシアはこの間のどこかに位置するはずだ。

 ソ連崩壊後の旧ソ連諸国を見ていると、ロシアと似たような個人支配体制の国は目立つ。アゼルバイジャンの場合は独立後の混乱を収集した元ソ連副首相のアリエフが個人支配体制を形成し、その息子によって現在も体制は続いている。カザフスタンの場合、独裁者が失脚しても変わりの人間が現れてより似たような体制を引き継いだ。ジョージアの場合は独裁者が支配体制を構築するのに失敗し、混乱しつつも民主政が生まれた。

 ただしプーチン体制が揺らいだ場合、これらの国よりも混乱は大きくなる。旧ソ連諸国はロシアの後ろ盾があるが、ロシアはより上位の後ろ盾がない。中国に頼ることもできるが、両国は親密というわけではなく、地理的にも離れている。それにロシアは高大な領土を抱え、その分紛争の種も多い。ロシアが混乱すればウクライナは思うままの現実を作り出すだろうし、コーカサスのイスラム教徒はこれ幸いと反乱を起こすだろう。

 プーチン政権の歴史とはソ連崩壊で弱体化したロシアが復活していく物語だった。プーチンが就任したときのロシアはGDPがソ連時代の半分で、領土も縮小し、チェチェンではロシア軍が打ち負かされていた。プーチンが就任するやいなや分離勢力は壊滅し、経済は復興し、ロシアが大国であったことを思い出す人が増えた。中でもウクライナを回収することはロシア復活の重要課題だった。そもそもソ連が崩壊した直接の理由はウクライナが独立を決めたからである。プーチンは旧ソ連諸国を直接併合することはしなかったが、ロシアの影響下を離れて西側に合流するようことは絶対に許せなかった。

 ウクライナの政治的苦境もロシアに侵攻を促したのではないかと思われる。ウクライナはロシアよりもさらにひどい経済難に苦しんだ。ウクライナは民主政とされていたが、実態はエリツィン時代が続いたような状態だった。いわばプーチンが誕生していなかったときのロシアのIFルートだ。周辺諸国と比べてもウクライナは突出して貧しい。ソ連時代、ロシアとウクライナの格差はほとんど無かったが、ソ連崩壊後は二倍以上に開いている。クリミア併合で現地住民が不満を溜めなかったのは、社会保障がロシアの水準に引き上げられたからである。プーチンにとってウクライナは間違った道を選んだ結果、自爆している同胞であり、ウクライナ併呑は道徳的に正しいと思っていても不思議ではない。そういった点では1979年のアフガン侵攻との共通点がある。

 今のところロシアの民衆はプーチンを支持しているようだ。他に代わりうる候補が想像つかないのだろう。それはプーチンが単なる第一人者ではなく、体制そのものだからである。ロシア人にとって他の指導者と言えばエリツィンとゴルバチョフしか思いつかず、彼らに比べればプーチンのほうがマシである。ウクライナ侵攻が仮に不人気だったとしてもプーチン政権の崩壊は困るといった考えの人も多いだろう。ただウクライナの戦争がこの先も長引けば、万が一ということもある。1905年の日露戦争時も国力で上回っていながら、国内不安によってロシアは敗北した。ロマノフ朝は首の皮一枚繋がったが、結局長持ちしなかった。四半世紀続いたプーチン体制はまだまだ続くだろうが、ロシア連邦という政体はプーチン一代限りの国家となるかもしれない。


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