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シリア・アサド政権の崩壊後、何が起こるのか

 ここのところ激変期に差し掛かっているシリアだが、なんとアサド政権軍がアレッポやハマに続き、ホムスからも撤退したとの報道がされている。これが正しければ、アサド政権は存亡の危機であり、おそらく近いうちに崩壊する可能性が高い。政権軍は残存兵力をダマスカスに集めているようだが、時間の問題だろう。こんな自体が起こるとは筆者も思っていなかった。世界史に名だたる大逆転だと思う。例えるならば1945年の日本が謎のパワーアップで沖縄とグアムを奪還し、ハワイを制圧しかけているレベルである。

 シリア内戦が激戦だった2015年頃でもこんなことはなかった。政権は大都市を全て抑えており、反体制派が抑えている主要都市はイドリブくらいであった。

 アサド政権は面積の上では結構押されているように見えるが、主要都市は押さえたままだった。一方、現在の戦況は遥かに悪い。

 危ない時期であっても手放すことのなかった、アレッポやハマといった大都市が陥落し、第三の都市であるホムスにも反体制派が突入している。ISISの包囲に3年も耐え続けたデリゾールからも政権軍が撤退している。ホムスが陥落するとアサド政権は沿岸部とダマスカスに分断されてしまう。こうなると崩壊は時間の問題だろう。真偽不明だが、ダマスカスなど南部でも再び反乱が起こっているという噂もある。残念ながらアサド政権が持ち直す可能性は極めて低いだろう。イラン・ロシアが介入する可能性もあるが、ここまで政権が脆いとなると、アサド政権を延命させることは難しいと思う。自ら立つ力のない政権を外国がテコ入れしても無駄ということはベトナムやアフガニスタンが証明しているだろう。

 アサド政権はテロ支援国家として、後に虐殺国家として悪名高い。しかし、この政権には一定の意味があったと言える。シリア国家は戦後に実質的な独立を迎えた後、ほとんど安定したことがなかった。独立から1970年までになんと9回のクーデターと、数え切れないクーデター未遂を経験している。イスラエルと4回の戦争を経験しているが、これらの全てに敗北している。1970年に空軍将校のハーフィズ・アサドがクーデターで政権を握り、ようやく安定した秩序が訪れた。アサドはハマで発生した反政府暴動を軍事力で粉砕し、弟との内紛を経て、ようやく安定した政権をシリアに打ち立てたのである。

 詳しく語るとめまいがするほど複雑だが、シリアを取り巻く地政学的状況を整理したいと思う。シリア・アサド政権はイスラエルと和平を結ばず、イラクとも敵対していたため、地域で孤立していた。1980年代になると反米つながりでイランとの同盟関係が生まれ、これをテコにレバノンへの進出を目論んだ。ポスト冷戦期の一連の戦争でアラブ世界が混乱すると、シリア・アサド政権はイランの地域覇権のための橋頭堡として役割を果たすようになった。

 シリアは中東の中心部に位置し、地政学的な重要度は極めて高い。シリアというパズルの中心のピースが欠けてしまうと、地域の安全保障は大きく揺らぐことになるだろう。2003年のイラク戦争に匹敵する地域の混乱が巻き起こるはずだ。西側とイスラエルはこれを恐れてシリア内戦でアサド政権に致命的な攻撃を加えなかった。2013年のシリア攻撃案も中止になっている。

 イスラエルは依然としてシリアと対立していたものの、一方で話ができる相手とも思っていた。シリアはイスラエルとの対立を内心では恐れており、パレスチナ・ゲリラがシリアやレバノンで活動することを抑制してもいた。イスラエルにとってはアサド政権が崩壊することはむしろ好ましくないことだった。シリアにどのような政権が樹立されたとしても、イスラエルとの友好関係を結ぶ可能性は低く、むしろイスラム過激派の伸張を招くからだ。したがって、イスラエルは宿敵の死を祝いながらも、心穏やかではないはずだ。どうも最近の報道だとイスラエルはシリアへの軍事介入を計画しているらしい。

 アサド政権は地域の安定に貢献しているが、その政権が素晴らしいものとは言えない。というより、アサド政権は北朝鮮やエリトリアと並んで世界の権威主義政権の中でも最も抑圧的な部類とされている。昨今の戦争でイスラエルによって殺害されたアラブ人は5万人を超えるが、シリア内戦においてアサド政権によって殺害されたアラブ人の数は20万とか30万といったレベルである。しかも10万人もの人間がアサド政権の収容所で拷問死したとも言われている。純粋に人道的な観点ではアサド政権の崩壊は喜ばしいことである。アサド大統領とその側近は反体制派の手に落ちれば確実に八つ裂きにされるだろうし、国際機関に拘束されれば人道に対する罪で終身刑になるだろう。イランかロシアに亡命するしか生きる道は無い。

 アサド政権崩壊後のシリアを予測することは難しいが、いくつかの予を立てることができるだろう。

 まず確実に言えることは、民主化はしないということだ。なぜならば、武力反乱による民主化は原理的に矛盾しているからである。民衆の世論などは関係がない。トルーマンは権威主義的な共産ゲリラを「武装した少数派」呼んだが、実際の権威主義国家の中にはロシアのプーチン政権のように国民の多数派から支持されている政権も多い。民主主義国家でも政権の支持率が10%ということはよくある話だ。両者の違いは国民に支持されているからではなく、民主的な手続きが守られているか否かである。いくら国民の多数派が支持していたからと言って、暴力による政権奪取は民主化には繋がらない。実際に武力で政権を崩壊させたリビアは現在も無政府状態が続いている。

 アサド政権が崩壊することで、シリアは複数の勢力が抗争するバトルアリーナとなる。2010年代においてもそうだったが、より一層その性質が激しくなるだろう。ただし、国民の多くは戦争に疲弊していると思われるので、絶対的な戦闘の規模は2010年代前半に比べれば穏やかになるかもしれない。しかし、シリア国家を取り巻く混乱は遥かに深刻となる。

 窮地に陥るのはアサド政権の支持基盤だったイスラム教アラウィー派である。彼らはラタキアを中心とする沿岸部に住んでいる。彼らはアサド政権が崩壊した場合に何らかの武力組織を作って自らの権益を守らなければならない。後ろ盾として頼れるのはイランだが、彼らを支援可能なのかは怪しい。隣接するレバノンでヒズボラが深刻な打撃を受けているからだ。沿岸部にはロシア軍の基地があり、ここはロシアにとって重要な軍事的拠点である。ただ、ロシアがどのようにしてこの基地を守るのかは定かではない。沿岸部のアラウィー派は何らかの武装組織を結成し、反体制派に対抗するのだろう。アサド政権はアラウィー派の独占状態だったことはなく、いろいろな宗派の融和を促進する政権だったが、アサド政権亡き後のアラウィー派はより宗派主義的になっていくだろう。

 反体制派は当初から烏合の衆だった。彼らは正規軍ではなく、単なるテロ組織や野盗のような集団もいる。反体制派で最も強大な勢力はシリアのアルカイダから派生したヌスラ戦線である。現在はシリア解放機構と名前を変えているが、メンバーは同一だ。西側メディアで取り上げられた自由シリア軍をはじめとする穏健な反体制派は全く力がないと考えて良い。以前、西側が穏健な反体制派に武器を供与したことがあったが、全てヌスラ戦線に売却されてしまった。もう一つの勢力は北部国境付近に陣取る親トルコ勢力である。彼らもアルカイダ系の南進に伴って攻撃を仕掛けているようだ。

 これらの雑多な勢力がダマスカスの陥落後に仲良しこよしとは思えない。当然のことながら、互いに反目して争い始めるだろう。

 内戦中に第三の勢力として生まれたのがクルド人勢力である。現在はアサド政権と協力しながら北東部を支配している。ISISを打倒したのも彼らの働きが大きい。クルド人勢力はトルコと敵対しているため、アサド政権の崩壊は存亡の危機を招くだろう。

 あくまで噂ベースだが、イスラエルは国家安全保障のために緩衝地帯を用意すべく、北進するらしい。南東部に存在した親米勢力も西進しているという。こうなると、シリアは西側勢力によって領土の一部を支配されると考えて良いだろう。シリアは西側・トルコ・イランに近い勢力によってそれぞれ三つ巴の抗争を行うことになる。あまりにも複雑であるため、正確なところを予想するのは不可能である。だがシリアが「大きなレバノン」になることは間違いない。

 筆者は以前の記事で2020年代の中東はイランとイスラエルの抗争によって形作られるだろうという趣旨のことを書いた。これは既に起きていることである。アサド政権崩壊後のシリアでも当然両国の抗争は起きるだろう。イランが政権支持派を守るために介入することは間違いなく、どうにかしてレバノンとの接続も確保したいだろう。しかし、これらの細い補給線は全てイスラエルの攻撃対象だ。レバノンで起きたような戦争がシリアで起きる可能性は高まっているだろう。シリアとレバノンにおけるイランの地盤は大きく揺らいでいる。だが、イランは黙って撤退するとも思えず、イラクのシーア派民兵などを動員して決死の抵抗を見せるかもしれない。

 イスラエルの弱みはイスラム世界であまりにも憎悪されていることで、地域に親イスラエル勢力を作ろうとする試みは全て失敗してきた。イスラエルがシリア南部に進出しても、現地住民の反感を買う可能性が高く、ましてや親イスラエル政権を打ち立てることはできない。こうした現実から、両者の抗争は決定打が無いままではないかと思われる。

 反体制派に最も影響力を行使するのはトルコだ。今回の攻撃もトルコの支援を受けていないとは考えられない。トルコはシリア難民を持て余しており、アサド政権の存続はトルコの利益にならない。アサド政権が崩壊したら喜んでトルコはシリア難民を送り返すだろう。そしておそらくトルコはかつてレバノンにシリアが影響力を行使したような形でシリアを支配するかもしれない。トルコはクルド人勢力と敵対しており、シリアを支配下に置くことは地政学的に大きな意味を持つからだ。トルコはアラウィー派やキリスト教徒への民族浄化を阻止する力もある。トルコが地域に強い影響力を行使すれば、政治的混乱を収集できるだろう。

 シリアで予測不能なのは、トルコの支援を受けてた反体制派がイランとイスラエルのどちらの側に近いのかという点である。これに関しては本当に分からない。派閥によっても違うだろう。

 遠い未来の話かもしれないが、冒険的な予測をしてみたい。それはイランとイスラエルの和解である。イスラエルはアラブ諸国と深刻な対立状態にあるが、イランもまたアラブ世界とは対立している。両国の地政学的な相性は良く、1979年までは盟友だった。イランとイスラエルが対立しているのはイランが反米国家で、シリアとレバノンに進出しているという事情が大きい。イランがもしシリアやレバノンでの権益を失った場合、むしろ両国の協調は復活する可能性がある。アリ・ハメネイは死にかかっており、以前のような原理主義底な政策が維持されるとも思えない。シリアに住むアラウィ派やキリスト教徒にとって西側勢力との協調は有益だ。

 このシナリオで共通の敵となるのはトルコである。したがって、トルコが今後どの程度地域覇権を狙うかによってシナリオの成否は左右されるだろう。トルコが勢力を拡張し、西側と対立するのなら、イランとイスラエルは融和し、新たな包囲網が完成する。トルコが現在のような西側に留まっている状態なら、相変わらずイランとイスラエルは対立状態だろう。トルコは中東最強の力を持っていながら、その力を行使するのを渋っている。トルコの動きによって今後のユーラシアの地政学的秩序は規定されていくはずだ。

 

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