<MBTI>S型とN型の職業観や仕事の意味は全く異なる!!
S型とN型は恐らく16タイプの性格軸の中でも最も差異が大きいだろう。T型とF型やP型とJ型は衝突することが多いが、S型とN型は真っ向から衝突することは少なく、話が噛み合わないことが多い。好きの反対は無関心というように、S型とN型のギャップはそもそも議論が成立しないことが多いようだ。
「人はなぜ働くのか」これは古来から人類が抱いている大きな問いだろう。この問いにきちんと議論を行おうとすると非常に複雑になり、私の手には負えない。今回は16タイプ性格診断の観点から、仕事に対する価値観を考えてみたい。
N型は「ライフワーク」志向
N型の好む究極の仕事のあり方はライフワークだ。音楽家や芸術家の
言う「活動」がこれと同じ意味だろう。自分が社会の中で主体的に発信し、輝き続けること。それがライフワークだ。ライフワークに年限はないし、経済的必要性が価値の中核ではない。
ライフワークを見分ける質問の1つが「65歳で十分な年金が出て以降も仕事を続けたいか?」というものだ。例えば政治家は大半が65歳以上の老人によって構成されており、彼らは引退したところで生活の心配はないだろう。彼らが政治活動を続けるのは自己実現の一環であり、金は手段に過ぎないのだ。トランプ大統領に至っては在任中「無給」にするとまで言っていた。他にも実業家や作家など、生涯活動を続ける人物は多い。
有名人は基本的に仕事が自己実現の中心となっている。ウィキペディアに名前が乗っている人はほぼ全てが仕事で有名になった人間だ。伊藤博文にせよ、野口英世にせよ、仕事で名を挙げた人間であり、サラリーマンをしながら趣味の活動で偉人になったわけではない。彼らにとってはまさに仕事はライフワークなのだ。
中には「やりたいこと」ではなく、競争がワイフワークとなる人間もいる。精神的にはしんどいが、ライフワークであることは間違いない。新卒で入った会社で出世競争し、負けるまでライバルを蹴落とし続けるのだ。こうした人物は仕事内容が嫌いでも、65歳で競争を辞めたくはないだろう。あくまで定年制度は「時間切れ」のリミットであり、夢やぶれて引退するか、あらゆる手段を使って引き伸ばすかである。この手の終わらないエリート競争は一流企業に限らず、中央省庁や大学病院といった機関に蔓延している。元官僚の政治家もこの手のマインドから抜け出せないように見える。
非常に扱いが難しいのがライフワークと金の問題だ。確かにライフワークを無償でもやりたいという人はいるし、こうした人物は宝くじに当たれば実際に金に糸目を付けないで活動ができると喜ぶだろう。一方で、自分の仕事に対する評価こそが金であり、経済的な不安とは別に仕事の対価が欲しいという人は多いだろう。金を貰わないと仕事が無責任になるという考え方もある。多くのN型にとって仕事は金のためでもあり、それ以外の目的のためでもある。両者は切り離すことのできない存在と考えられる。
また、「金儲けそれ自体がライフワーク」という人物も多いだろう。ホリエモンは自著の中でこのことを名言していた。自分のビジネスが大きくなり、莫大な富を産めば、それ自体がやりがいになる。ウォーレン・バフェットは未だに投資で莫大な利益を生み出しているが、90代の彼は今更巨万の富を得ても使い道がないだろう。彼はライフワークとして投資活動をしているのだ。この手の経済人はいくら金を儲けても引退することはないし、生活はかなり質素だったりする。例えばバフェットは未だに普通の一軒家に住んでいる。贅沢は嫌いで、稼いだ財産は大半を慈善活動に回しているらしい。非常にN型らしいと思う。
S型は現実志向
こうしたライフワーク志向はあまりS型には見られない。S型にとっての仕事はあくまで金を稼ぐための手段であり、それ以上の意味合いは薄い。もちろん社会との繋がりを維持する手段でもあり、それを軽視するべきではないが、やはり現実的な問題として仕事を捉えるケースが多い。人間は大学を卒業したら就職するのが当たり前であり、65歳になれば引退するのが当たり前であるという価値観に基づいて生きている。
最もS型に「やりたいこと」がないとか、上昇志向がないということではない。ただし、S型の上昇志向は大半が実利的か環境依存的だ。ただし、N型のように仕事に特別な意味を見出す人間は少なく、その分挫折も少ない。
S型に良く見られる成功願望は金だ。N型と違って彼らは素朴に金に対する欲求を持っている。金があれば高級車を買えるし、レジャーを楽しめるというわけだ。S型にとっては仕事で成功すると金が儲かり、金が儲かると豊かな生活ができるというわけだ。大変現実的である。65歳以降も働く人が増えているが、これも小遣い稼ぎという側面が強く、ライフワーク的な人物は少ないだろう。十分な資産と年金があるのに、わざわざ働くのは非合理だということだ。
S型の上昇志向は環境依存的な時もある。典型例は大企業の出世競争だ。大企業は必ず昇進を促す雰囲気を作っており、S型はこうした環境に順応することが多い。また、昇進すると給料が増えるし、なによりモテる。こうしてS型は結構な程度で社内の出世競争に邁進する。N型からするとS型の上昇志向はあまり理解できないはずだ。S型の人間は会社という環境にいる間はいいのだが、定年退職すると特にやることもなく、茫然自失としてしまうことも多いようだ。
S型に仕事の意義を聞いていみると、大体はシンプルな答えが返ってくる。それは「金が儲かるから」だ。「家族を養うため」「家のローンを返済するため」という答えも多い。N型からすると随分物足りないように見えるが、それがS型なのだ。
もっとも、S型にライフワーク的な要素がないわけではない。それはスポーツだ。S型は「役に立つ」仕事以外には冷ややかなことが多いが、スポーツ選手だけは妙に尊敬していることが多い。S型にとってスポーツは金には換算できない大きな価値があるようだ。「儲からなくても生涯を源氏物語に捧げたい」という人はS型から見ると変わり者だろうが、「スポーツ選手として生涯を捧げたい」という人には好意的だ。ただし、スポーツ選手の巨額の年俸の話など、金の話題はN型と比べると頻度が高いように見える。
S型の男性が挙げる成功者のパターンは非常にシンプルだ。大体は「一流のスポーツ選手」か「金儲けに成功した人物」だ。前者に関しても金の要素は強く、金銭的に控えめな五輪金メダリストよりも巨額の報酬を稼ぐメジャーリーガーの方が言及されることが多い。S型の男性にとって成功とは常に「金」と「モテ」に帰着することが多い。藤井聡太やバフェットのように両者に興味がなさそうな人物をS型はしばしば祭り上げる。
N型の苦悩
N型が職業生活を生きていくのは難しい。というのもライフワークを探り当てるのは極めて困難だからだ。少なくとも優秀でなければいけないし、往々にして学歴や資格の要件も必要となってくる。しかし、N型にとっての最大の苦難は「サラリーマン」だろう。というのも大規模な組織はS型を動かすことを前提に作られているため、N型にとっては非常に居心地が悪いのだ。ポジションにもよるが、月並みのサラリーマンはライフワークにしにくく、N型が閉塞感を抱えやすい。
組織社会は個々人の裁量が少なく、代替可能な部品として扱われる傾向が強い。個人としてどうありたいかではなく、あくまで環境の求める通りに動くことが求められる。新卒一括採用・年功序列・定年制の三本柱もS型にとっては特になんともない話なのだが、N型にとっては本能的に苛立たしい概念だろう。勝手に人生のコースが決められ、やりたいことを殆どできず、勝手に人生に終止符を打たれるのだ。S型の考えるプライベートのささやかな幸福もN型にとっては虚しく感じられるかもしれない。
N型の職業選択は難しい。ライフワークを見つける人間もいるが、大半の人間は不本意就職することになるだろう。N型は総じて自己実現的な要素が少ない職業を避ける印象がある。例えば階級制のある職業の二級職はN型が嫌がる可能性が高い。N型が総合職にこだわる理由の1つはこれだ。「やりたいこと」に関して天井が決められており、裁量の余地がないのだ。
皮肉なことに、N型の人間はS型と同等かそれ以上に仕事を経済的手段と割り切っている人が多い。ライフワークと違うことをやっている場合、N型にとって仕事は時間泥棒でしかなく、仕方なく働いていることが多い。早期退職に手を上げてやりたいことを模索する人もいるが、多くは人生の盛りを過ぎており、挫折する。不本意就職でサラリーマンになったN型は、自分の人生で一番活動的でいられる時期を盗まれているような感覚に陥るはずだ。家のローンや子供の養育費で身動きが取れず、嫌いな仕事を無理に続ける奴隷のような気分である。
この苦悩から生まれた倒錯した論理がFIREだ。一般的な社会のレースから大きく外れているので、こんなことを試みるのはN型だけだろう。生活費のために仕方なく会社員をするのなら、金を貯めて早く会社からオサラバしてしまおうというアイデアである。ただし、先程述べたように仕事とは経済的手段であると同時に、社会での居場所であり、FIREをしてもあまり人生の意義は楽しめないのではないか。実際のところ、引きこもりや隠居老人とあまり変わらないと思う。「宝くじに当たっても仕事をやめるな」と言われるように、FIREをしても社会での居場所を失うリスクが大きいように思える。問題はFIREというよりも、FIREしたくなる仕事にしか就けなかったことだろう。
なぜ子供は勉強するべきなのか
典型的な親は子供に「勉強しなさい」という。勉強しないといい学校に入れないからだ。子供が「どうしていい学校に入らないといけないの?」と聞くと、「いい学校に入るといい会社に入れるからだよ」と返ってくる。
こうしたテンプレ的な世界観はS型に一般的だ。勉強に限らず、いつの時代もテンプレとはS型のものだ。ところがN型にとっては勉強の意味は全く違ってくる。N型が勉強すべきなのはライフワークに到達する可能性を上げるためだ。例えば医学部に入らなければ医者になることはできないだろう。選択肢を増やせば増やすほど、ライフワークに到達する可能性は上がる。ただし、選択肢を増やしても間違った選択肢を引き当ててしまうと意味がない。「誰でもできる仕事」は被用者としての性質が強く、N型にとっては屈辱的だと思う。
S型の学歴感は単純だ。一流大学に入る理由は就職に有利だからであり、単にステータスが上だからでもある。これ以外の価値観はあまり見たことがない。ところが高学歴のN型にとって学歴とはもっと重い意味を持つ。学術的な興味が深かったり、自分の知性を証明したかったり、熱狂的な学歴マニアだったりする。もちろん新たな出会いの場であるとか、ライフワークの探求の場ということも考えられる。
大学という機関はN型の要素が非常に強いので、提示されるキャリア観はライフワーク的だ。大学教育の延長にある職業は基本的に専門職か学者だ。ところが一般企業の大半はS型の論理にしたがって動いているので、両者の間には齟齬が生じる。日本の文系大学が機能不全に陥る原因だろう。S型の人間は大学に関して「就職に有利」と「ステータスが上」以外の要素を見出しておらず、一般企業の側もそうだ。ただし、先述のようにスポーツは例外的にS型が好む活動なので、体育会系の学生は非常に評価が高い。一般企業で好まれる学生像とは「学術に興味はないが高学歴で、体育会系の上昇志向が強いS型」である。
難関大学に通うS型とN型を見ると両者の特徴を見出すことができる。東大のような場所でもS型は基本学術に興味はなく、単なる成績取りだと考えている。自分の学歴を振りかざすS型もいるが、彼らにとっての学歴は鍛え上げた筋肉や高級外車のような役割であり、単なるステータス以上の意味を持たない。ところがN型は難関大学の称号を自分の知力の証明と捉えており、しばしば学術的な関心も強い。N型は興味のある分野と一般企業の就職で葛藤することが多く、しばしばポスドク問題のような事態に繋がる。
大半の人物は問題の折衷として「東大⇒官僚」のような学歴と結びついたエリート職に目を向ける。外銀や外コンはS型にとっては経済的ステータスなのだが、N型にとっては自分のエリートとしてのアイデンティティの証明にも絡むのである。
なお、「子供は勉強すべき」といったが、N型にとっては別に子供の時期に勉強は限られない。N型にとっては人生そのものが勉強であり、年齢的な制限はないだろう。子供が勉強すべきという価値観自体がS型の発想なのだ。
N型はどう生きるか
N型の著名人の殆どはライフワークを運良く引き当てた人間だ。政治家にせよ、映画監督にせよ、金のためにイヤイヤやっていて、貯金が貯まれば引退したいという人は皆無だろう。彼らのうち、特に高齢の人物の場合はある種の超越的概念というか、ライフワークに関して達観していることが多い。ある程度の名誉は望むが、金や権力には興味がなく、死ぬまで自分のライフワークで人の役に立ちたいという願望である。黒柳徹子のような人物が今更金を稼いでも仕方がないのに、寿命が尽きるまでテレビに出続けるのはこうした価値観と思われる。
ただし、ライフワークを見つけるのは容易ではない。選択肢を広げないと手に入らないし、選択肢を広げたところで別の選択をしまえば無意味だからだ。それにライフワーク的な働き方は普通の仕事よりも遥かにハードだ。したがって能力がかなり高くないと難しい。ライフワークに勤しむ人々は普通の職業人よりも優秀で努力家だ。「プロ意識」という言葉は上司からの説教として使われることが多いが、ライフワークに携わるN型は一般人よりも遥かにプロ意識が高いだろう。この手の人物はしばしば性格の強烈さやパワハラで悪名を馳せることがある。
N型の大半は現実と折り合いをつけて一般企業に就職していく。ただし、サラリーマンという職業はライフワークとかなり相性が悪い。会社に勤めながらライフワークをしている人もいるが、こういう人は自分のことをサラリーマンとは定義しないと思う。転職や早期退職で模索する人もいるが、この問題の解決は容易ではなく、「脱サラ」的な人物には一種の悲哀が見え隠れする事が多い。多くのN型の人物は悶々としながら65歳を迎え、社会から消え去っていくのである。
仕事上のライフワークを見つけるのに失敗したN型が良くやるのは2パターンだ。1つ目は趣味であり、2つ目は競争だ。前者に関しては良い面が多いが、それでも何者にもなれないという疑念だけは浮かんでくる。趣味は社会的な評価に繋がらないことが多いし、仕事上の成功とは切り離されるべきと考えられている。趣味に打ち込むのは非常に良いことだが、「表の社会」での成功とは別物だろう。
競争にライフワーク性を求める者もいる。これはエリート層に非常に多い。競争に勝って自分が優秀であることを証明し続ければ自己実現に繋がるという価値観である。ただし、これは極めてハイリスクだ。どこまで行っても上には上がいるので、どこかで必ず挫折する。また、競争は周囲の人間関係を悪化させるので、幸福感に繋がりにくい。実際に他者貢献で得られる幸福に比べて競争の幸福感は非常に不安定で危険が大きいようだ。
これと比べると、個人事業主のN型は比較的自分の仕事をライフワークにしやすい傾向がある。裁量の大きさと自由が理由と思われる。現実と折り合いを付ける必要性からは逃れられないが、自分で判断するのと他人の手でシステム化されるのは別ということか。何れにせよ、個性を重んじるN型は集団や組織といったものとの相性は良くないのだろう。
御年89歳の田原総一朗はテレビで「35歳までにやりたいことを見つけろ」と言っていた。まさにライフワーク主義そのものだろう。N型がライフワークを見つけるのは難しいし、運も絡む。通常の社会システムはS型に合わせて作られているため、N型が充実した人生を送るには工夫が必要だ。老齢になって、社会システムから自由になった時には手遅れであることが多い。なんとか人生の前半期にライフワークを見つけることがN型にとっての目標となりうるだろう。