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現代日本における女性のデメリットについて考察する

 ネット上では日夜男女論が飛び交っている。男性優位社会だとか、女性が優遇されているとか、いろんな意見がある。筆者はどちらにも賛同していない。

 生物学にはフィッシャーの原理というものがある。自然界で雌雄の比率は1:1に収束していくというものだ。筆者はこれからインスピレーションを受け、男女の有利不利は必ず均衡していくものだという持論を持っている。あくまで持論であり、色んな意見があると思う。

    今回は現代社会で女性が抱えるデメリットについて考えてみたい。

 筆者の見解では、現代日本で女性が抱える明確なデメリットは一点のみである。他のデメリットは全てメリットの裏返しで、女性が不遇とは言えない。ただ見方を変えると男性もかなりのデメリットを抱えている可能性がある。ここは解釈にもよるだろう。

出産の身体的負担が高い

 これは真っ先に指摘されることである。

 雌雄は片方が自由移動を担い、もう片方が身体的負担を担うことを目的として作られた。男性は身体的負担が低い代わりに競争率が高くなり、生殖にありつくまでに激しい戦いを強いられることになった。女性は高い身体的負担に耐える代わりにあまり競争に参加する必要がなかった。近代以前は多くの女性が出産で命を落としていたが、同時に男性も異性を巡る暴力で命を落としていたのだ。原始時代の部族間抗争では女性は嫁候補として生きることを許されたが、男性は全員殺害されることが多い。

 女性の身体的負担の高さは同時に女性を競争から隔離してもいる。出産の痛みは確かに凄まじいが、そこを我慢すれば生殖にありつくことはできる。男女で有利不利はないはずだ。

女性は社会進出が妨げられている

 従来から指摘されていたことだ。確かに女性の社会進出は苦闘の歴史である。しかし、それは女性が劣っているからではなく、男性社会に女性が後から参加していったからである。初期の職業婦人の苦労は移民一世と同じだ。

 最近はアファーマティブ・アクションの影響もあって露骨な女性排除は減りつつある。確かに男性中心の職場で頑張るのは不利だが、主婦など古典的なジェンダーロールに逃げることもできる。女性が難関大に入るのは難しいが、男性ほど学歴が求められない。出世や年収も同様だ。女性はキャリアが断絶するリスクがあるが、男性と違ってキャリアの断絶が人生の断絶にはならない。

 こう考えると男女で有利不利というのは無いのではないか。

夫依存の人生になる

 女性は専業主婦として男性に依存する人生であり、捨てられたり死別した場合は茨の人生になると言われる。

 それは間違っていないのだが、男性が気楽に妻子を捨てられるのかと言うと違うだろう。稼得役割を背負うという重大なプレッシャーを背負っている男性は多く、配偶者を失うストレスも男性のほうが大きいとも言われる。「まさかの坂」があった時に見放されるのは夫のほうである。

 それに最近は女性の社会進出も進んでいるので、以前ほど男性依存にはならないのではないかと思う。

変態に襲われる

 女性の夜間の外出には制約がかかるし、治安の悪い地域には1人ではいけないだろう。こういった点で女性は変態に襲われるリスクを抱えており、不利と言える。

 しかし、これはメリットの裏返しだ。女性が変態に襲われるのは女性の価値が高いからである。女性が男性に尽くしてもらえるのもこれのおかげだ。金持ちになれば強盗に襲われやすくなるのと同じといえる。

 こう考えると、女性は男性に優しくしてもらえるが、襲われることもあり、メリットデメリットは表裏一体である。

非力である

 女性の不利な点として身体的な非力さがある。ただ、強健な体には相応のリスクが伴うものである。力士が皆短命であることは良い例だ。男性は男性ホルモンのお陰で強健な体を手に入れているが、同時に寿命も短くなっている。男性は力は強いけど、体は弱いのである。

 また、現代社会において腕力が必要な場面は少なくなっており、女性の非力さは以前ほど問題にならなくなっていると思う。

男系氏族制度

 近代以前は男女格差の元凶だったが、現在はかなり解消された問題である。

 近代以前は女性が男系家族に嫁入りする家族制度の地域が多かった。このような場合は女性側が圧倒的に不利である。男性同士は血縁関係があるため、過ごしやすい。女性はよそ者として婚家に入っていき、女性同士も血がつながっていないため、常にライバル状態にある。しかも女性同士の対立が氏族を引き裂くのを避けるために男尊女卑文化が発達することが多い。中国の纏足、インドのサティ、アフリカのFGMといった残虐な風習はこうした社会背景によるものではないかと思う。現代においても地域によっては女児が中絶されるところがある。

 男系氏族制度が女性に犠牲を要求することは間違いないが、最近は核家族化が進み、男系氏族制度は過去のものとなっている。農家と違い、サラリーマン世帯に「男手」は必要ないし、継承する「イエ」概念もない。さらに少子化で大家族そのものが絶滅危惧種である。先進国で女児選好が高まっているのはこれが原因の一つだろう。

女性は生殖コストを放棄できない

 現代社会の女性のデメリットと思われる。

 男性は簡単に生殖コストを放棄することができる。現代社会はポルノが氾濫しており、性欲を満たすことは容易い。生殖を望まないのなら無理して競争する必要はないし、生殖を望むにしても常に競争する必要はない。もちろん完全に競争社会から離脱するのは難しいが、仕事やスポーツは自己実現的な要素も含まれており、必ずしも生殖のために強いられているわけではない。

 一方、女性の生殖コストは生来的に付与されたものであり、自分の意志で放棄することはできない。出産の数は激減したものの、代わりに40年に渡る月経が負担となった。更年期や子宮筋腫のリスクはむしろ上がる。仕事やスポーツと違ってこの手の負担が何らかの自己実現に繋がったという話は聞いたことがなく、むしろ社会進出の足枷になっている。

 ただ、男性が完全に生殖コストを放棄できているのかは疑問が残る。男性の生来持つ競争心は社会に活力をもたらしてきた。しかし、際立って有害なのが暴力だ。石器時代であれば暴力は生殖に必要だったのかもしれないが、現代文明は非暴力化されていて、暴力性向はデメリットのほうが多い。しかし、原始時代からプログラムされた本能は現在も残っている。

 男性の暴力は女性に向くこともあるが、犠牲者の圧倒的多数は男性である。暴力が荒れ狂っている国、例えばウクライナでは多くの男性が徴兵され、命を落としている。これでは男性が生きやすい社会とは言えない。

 日本は平和な国であり、男性は極めて非暴力的な環境で過ごしている。そういった意味では日本人男性は気楽と言える。ただ、自殺や薬物乱用はやっぱり男性のほうが多い。これは男性の内に潜む暴力性が絡んでいるのかもしれない。ここに関してはなんとも言えない。

まとめ

 筆者は男性だけが得をしているとか、女性だけが得をしているといった言説にあまり賛同していない。それは男女のメリットデメリットの多くが表裏一体だからである。次世代を作り出すには男性と女性の両方が必要であり、どちらが優れているとか偉いというわけではない。男女が民族対立のような関係にあるわけでもない。全体としては男女は均衡すると筆者は信じているし、仮に格差があったとしても過渡期の混乱に過ぎないのではないかと思う。

 女性が不利だと思われるのは身体的な生殖コストを放棄できないことである。しかし、広い視野で考えると実は男性の放棄できない生殖コストも深刻な問題となっている可能性がある。ただ、ここに関しては時代と地域にもよるので微妙である。ジェンダー格差の定量的な測定は本当に難しい。

 恋愛や仕事など自分の人生を軸に考えると男女対立になってしまうのだが、子供で考えると違った風景が見えてくる。自分の子供が男児だったらどうか。女児だったらどうか。そこまで格差があるだろうか。

 男系氏族制度の時代は男児選好があったが、最近はそういった性向もなくなっている。厳しい競争に晒されない分、女児の方が育てるのが楽な気もするが、ここもジェンダー平等の流れで崩れてきているので、本当になんとも言えない。やはり男女は均衡するのではないかと筆者は考えている。


 


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