いつのまにか、もとの姿に戻れなくなってしまった。
ディズニーランドが小さくなってしまった。正確に言えば、ディズニーランドが小さくなったのではなくわたしが大きくなりすぎてしまったっていうやつ、である。
敷地内に足を踏み入れたところから、それは始まっていた。
3年前、アーケード街が長く大きく感じていたのは気のせいだったのだろうか。3年前、一緒に訪れたきみは、どう感じていたのだろうか。
遅刻したせいだろうか。友達と開園前から並ぶということをしなかったから、夢の国への愛のような気持ちが欠けていたのかもしれない。
どちらにせよ違和感が拭えないままそれでも楽しいと思えるだけのクオリティであるディズニーに感服したのは事実である。
虚無の感覚は高まる一方であった。
わたしは何かを失ってしまったのだと直感的に自覚した。
ある程度のラインというものがある。大人になるうえでの気遣いや距離感、俯瞰してものを見る態度。社会に適合するためのスキル。その作用はディズニーでバグを起こし、決定的な亀裂を生んだ。
3歳の頃の純粋な目、真っ直ぐにものを捉えようと輝く目はいつの間にか光を失った。
高校3年生のエネルギー有り余る気持ち、死にゆくのは怖くない色褪せてはいけないと理想にしがみつく熱量は、現実を見なければならないと言う信じて良いのかよくわからない占い師の言葉によって壊された。
大人になってからは、好きという感情だけでは結ばれない恋になってしまうらしい。相手への価値は気持ちだけでない付帯される何かを加味して決める。社会がそうしている。社会へ適合するには純な気持ちを隠して……いや、純な気持ちなんて忘れてしまっているよな。「すき」だけじゃない、「周りへの気遣い」「富と名声」「彼はわたしのことを1番に考えてくれる」などなどの付加物で相手が自分にとって良い作用をしてくれるかどうかを図る。
わたしたちはもう戻れない。
わたしはモラトリアムの中でもがいている。
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