誕生日に想うこと
灌仏会、または花まつり。お釈迦様の誕生日ですね。何か縁を感じて、手塚治さんの『ブッダ』を読んで感動してみたり。月も日も偶数っていうのが、何か自分らしいなとか、いや奇数だったとしても親近感を持つものなんでしょうけどね(笑)
01 表現にまどわされずに
「アラサー」とか「アラフォー」とかいう表現があまり好きになれずで。だいたいの場面で、「もうアラサーだから…」とか割とネガティブに使われるなーと。分かったような言葉とか表現には気を付けないと。何かをあきらめるために使われるのって、あんまり良くないんじゃないかと。
自分はもうある時期から、年齢のことは考えないようにしてます。生まれてからの日数をざっくり365で割った数字、ぐらいな。単に便宜的なものにすぎないなって思ってます。
年齢がどうしても関係することもありますが、それでも何かを始めたいとか、試みたいとか、そういう時に年齢を考えたりする時って、だいたい「あきらめるための理由」を探していたりするものなんじゃないかなって。もちろん、周りからも「もう〇〇歳なんだし…」っていうことも言われたりするでしょうけれども。
年齢以上に大切なのは、「気持ち」ですよねやっぱり。「やりたい」のか「やりたくないのか」。もし「やりたい」とか「やってみたい」って気持ちが少しでも上回ったのなら、それはもう”GO!”だと思うんですよね。
02 恥という呪縛から逃れるために
日本ってどうしても「恥の文化」がまだまだ根強く残っている気がします。失敗したら恥ずかしい、笑われてしまう…。でも失敗せず、笑われもせず安全運転で過ごして納得ならいいんですが。どこかで後悔してしまうのなら、やっぱり”GO!”ですよね。前にも書きましたが、評価軸を他人に渡しても、あんまりハッピーにならないな、というのが自分の経験上、言えることです。何かこう、とっても窮屈というか…。
自分自身、ある時期から「振り切って生きる」ことを選択して、そこからは生き方としては納得してます。もちろん、自分が嫌だとか嫌いだという人もいると思います。でもそれ以上に、好意的に受け取ってくれる人が増えました、明らかに。
きっと、分かりやすいんですね、その方が。そうやって生きているんだなと感じてくれるので。
人生で何を大切にしたいかってことを、追い込まれて追い込まれて、とことん追い込まれた中で考え続けました。そこで出た答えは、「自分らしさを出して、振り切って生きる」でした。正解とかなんとか、それは分かりません。ただ周りを気にして窮屈に生きるか、自分らしく生きるか、どっちを選ぶかと問われれば、もう完全に答えははっきりしてるという感じです。
ま、こういったお話、よくあるとは思うのですが。きっと自分らしさ全開でその人生をまっとうしたであろうゴータマ・ブッダが生まれた日に、改めて感じました。お読みいただき、ありがとうございました!