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#09.すべての答えは自分が知っている

 遠い昔、浪人時代のお話です。

 中学時代は引きこもり生活を送り、高校はなんとか卒業するも、希望する大学に現役で合格するほどの学力はありません。そのため、予備校に通いながら一年間浪人することになりました。


人生の岐路に立つとき、自分に素直になること

 通っていた予備校では、壁に講師から塾生に向けたメッセージが貼られていました。その中の一つがこれです。

”人生の岐路に立つとき、自分に素直になること”

 様々な言葉が並ぶ中でこの言葉が一番好きでした。そして、今でも覚えているのは、この言葉だけです。

 当時はまだ安定剤を飲みながら生活をしていました。受講生の多いクラスに出席するのは苦手で毎回吐き気がしていましたが、それでも、楽しい毎日を送っていました。

 生きる気力すらなかった中学時代、そして、学校に通うも一日一日を過ごすだけで精一杯だった高校時代に比べると、今は勉強だけしていれば良いということがとても嬉しかったのを覚えています。しかも、先生たちは教えるプロです。基礎から深く理解できるからこそ疑問も沸いてきて、その疑問を解いたときの腹落ち感は清々しくもありました。また、多くはないですが、一緒に授業を聞き、遊びに出掛けるような友人もでき、人生で初めて、充実というのはこういうことをいうのかと実感した時期でもありました。


遠くの方から少しずつやって来る違和感

 それが夏を過ぎた頃から変わってきます。段々と「このままで良いのだろうか・・・」という不安が出てきて、それまで順調だったはずの勉強にも身が入らなくなりました。

 しかし、夏が過ぎる時期というのは、浪人生にとってつらい時期でもあります。春先は入試がまだ先のことなので、やる気も十分にあります。しかし夏が近づくにつれ、嫌でも「夏を制す者は入試を制す」というプレッシャーを掛けるためだけに在るような言葉を耳にするようになり、夏が過ぎると「夏を制することができなかった自分自身」が姿を現します。つまり、この時期に不安になったりやる気をなくしたりするのは受験生にとっては当たり前のことで、勉強が手につかないのは十中八九受験から逃げているからだと言われるのが落ちなのです。

 自分自身も、そうなのだろうと思っていました。

 しかし、段々と「それは違うのかもしれない。自分は入試から逃げているのではなく、入試から逃げずに勉強に集中することで、今の自分が感じている違和感を見ようとしていないだけかもしれない」と思うようになります。なぜかというと、頑張って勉強しようとすればするほど現実感が無くなり、地に足が着かなくなっている気がしていたからです。さらには、何をしても「だから何なんだ」という冷めた感情しか出てきません。

 あんなに楽しかった日々は何処へやら。

 こんな状態で1年後の自分の姿を想像しても、大学生になっている自分は何処にもいません。志望校に落ちるとか、そういうことではなく、大学生になっていること自体を全く想像できなかったのです。

 その時に思いました。

想像できないということは、現実には起きないということだ。


違和感の答えは自分が知っている

 今の生活の延長線上に、自分の未来はない。

 これは私の進むべき道じゃないと感じました。

 私が打ち勝ちたかった相手は、入試から逃げている自分ではありません。そこにあったのは、入試から逃げていると思われたくないという恐怖感と、頑張って大学に入り世間からも認めてもらうことで、うつになって引きこもった惨めな過去を背負う自分自身を見返したいという想いだったのです。

でもそんなこと、自分の人生を生きられないことに比べればどうでもいい。

 私が最も恐れていたのは、試験に落ちることでも、承認を得られないことでも、再びうつになって引きこもり生活を送ってしまうことでもありませんでした。そんなことよりも、本来なら生きられるはずの自分の人生を生きられないことが、一番怖かったのです。

 10月も終わりに近づいている頃でした。

 このままではダメだと思い、すべてが終わってしまっても、ゼロどころかマイナスになったとしても、また最初からやり直せばいいという覚悟で私はベッドの上で胡坐(あぐら)を組み、ゆっくりと目を閉じて、腕を組むと、静かに自分自身に問い掛けました。


 本当に、どう生きたいの? 何がしたいの?


 すると、私は遠い昔海外に行きたいと思っていたことを思い出しました。中学3年生のときの家庭教師の先生が高校に入って一度手紙をくれたことがあり、その先生が「外国に行きたいと言ってたよね」と私の夢を覚えていてくれたことを思い出したのです。

 海外に行くという夢は浪人時代も持ってはいましたが、その頃は漠然と、大学に入学してから(当時興味があった)ドイツ、または、他のヨーロッパの国に1年間ほど交換留学ができればいいなとだけ考えていました。

 しかし、そのときに思います。

 大学に入ってから1年間の交換留学をするというのは、留学の方法としてはおそらく最も一般的な方法で、それが一番楽で現実的だと思ったからその方法を選ぼうとしていただけで、実は自分が望んで選んだ方法ではなかったのだ、と。その他の方法は難しいと勝手に思い込み、他の選択肢を探そうともせず、可能性を無意識のうちに捨てていたのです。


留学したいならさ、今すればいいじゃん。


 その瞬間、今まで霧掛かっていた視界が一気に晴れ、きらびやかに輝いた世界が目の前に広がっていったのです

 私は確信しました。これこそが私の進む道だ、と。
 一瞬にして、視界のすべてが光り輝いたことがその証拠です。

 それに気づいた時点で、留学する未来の自分は決まっていました。あとは方法を探すだけです。そう、もう既に未来は決まっているので、方法は探せば必ずあるのです。


答えを見つけた後の行動と結果は、当たり前のようにやって来る

 翌日、留学に詳しい英語の先生に相談すると、ある留学プログラムを紹介してくれました。留学先は「米国」か「英国」のどちらかを選べるということだったので、私は迷わず即座に「英国」を希望しました。

 憧れの地、ヨーロッパです。

 それからすぐに親に相談して承諾を得て、プログラムへ申し込みました。翌月には筆記試験、その翌月には面接を受け、年が明けた雪の降り積もる日の夕方、ポストには合格通知と大学案内が届けられました。

 留学しようと決めてからは、すべては最初から決まっていたかのように、何もかもが驚くほどスムーズに進んでいきました。

 もちろん、落ちるかもしれないという不安もありましたが、それよりも、受かるという確信(=根拠のない自信)の方が大きかったです。


人生の岐路じゃなくても、自分に素直に生きよう

”人生の岐路に立つとき、自分に素直になること”

 いいえ、人生の岐路に立っていなくても、いつも、自分には素直に生きましょう。その方が人生の岐路に立ったとき、自分の声が聞こえて来やすいです。

 人生の過程では、誰かに相談したり、時には、占いに頼ったりすることもあるでしょう。でも、答えはあなたにしか分かりません。統計的には99%の人が当てはまるケースでも、あなたは残りの1%かも知れないのです。でもそんなこと、親も、先生も、友達も、隣にいるおじさんもおばさんも、お兄さんもお姉さんも、分かりません。

 だから、静かに、ゆっくりと落ち着いて、こころを穏やかにし、誰の言葉でもなく、自分が語る自分の言葉に、耳を傾けましょう。

 疲れたと思えばエネルギーが溜まるまで休めばいいし、辞めたいと思えば辞めればいいのです。やりたいことがあれば精一杯に挑戦し、頑張りたいと思ったらとことん頑張り、それでも、やっぱり違うと思ったら、また別の道を探せばいいのです。

 ひょっとしたら、人生の道を迷うということすら、実は自分がこの人生でやってみたいことの一つなのかもしれないのです。でもそれは、他の人には分かりません。自分にしか分からないのです。

 また、一度で良いので「我慢や忍耐が重要で、やりたくないことを黙ってするのが大人であり、立派な社会人だ」という言葉は社会が作った幻想なのだと考え、すべての思い込みは捨て去って、自分自身の声だけを聴いてみませんか。 

 ひょっとしたら、人生で失敗を経験するということすら、実は自分がこの人生でやってみたいことの一つなのかもしれないのです。でもそれは、他の人には分かりません。自分にしか分かりません。


◆◆◆


 そうそう。疑問に思うかもしれませんね。
 なぜ「あなたがすべてを知っている」と言えるのか、と。

 それは、今のあなたが、そのままの状態で、既に完全で完璧だからです。

 生まれてきたみんながそうです。

 この世に命を宿したあの瞬間から、あなたがあなたの人生を歩んでいく上で欠けているものは、何一つないのです。

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