書籍#09.『哲学と宗教全史』山口治明(著)~これはもう皆にとっての易しい教科書だと思う~
2019年に出版された山口治明氏著の『哲学と宗教全史~A World History of Philosophy and Religion』を読み終えたので、今回はその感想について書きたいと思います。
興味はあるけれども、難解という印象から哲学や宗教の書籍には手を出しづらいという方には特におすすめの一冊です。
◆本書の特徴
3000年の本物の教養を一冊に凝縮
世界史を背景に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」を現代の知の巨人が初めて解説!
タイトル通り、本書では3000年にもおよぶ哲学と宗教の全史について解説しています。哲学および宗教とは何なのか、また、それらがどのように発展し、人類の歴史に影響を与えてきたのかを分かりやすく解説しています。
ゾロアスター教、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、バラモン教、仏教、儒教、タレス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、孔子、墨子、孟子、仏陀、マハーヴィーラ、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、フロイト、レヴィ=ストロースなどなど、これだけの宗教と哲学者を網羅し、しかも分かりやすい言葉で簡潔に説明しているというのは、兎に角すごいとしか言いようがありません。
東京大学教授の池谷裕二氏曰く「初心者でも知の大都市で路頭に迷わないよう、周到にデザインされ、読者を思索の快楽へと誘う。世界でも選ばれた人にしか書けない稀有な本」。
◆おすすめの理由
1.ただの羅列ではない、哲学と宗教「全史」
本書のすごさは、難しい印象しかない哲学と宗教の特徴を分かりやく説明しているという点にあると思います。しかも、ただ羅列しているわけではありません。孔子とプラトンの類似点など思想同士を比較したり、当時の政治的・社会的背景を考慮した上で、それぞれの思想や宗教が互いにどのような影響を与えたのかを解説しています。
まさに哲学と宗教における易しい教科書です。
2.著者おすすめの参考図書がついている
各セクションの最後に、出口氏が推薦する関連図書が記載されています。そのため、ある特定の思想または宗教に関して知識を深めたいと感じれば、これらを参考にすることができます。
『サピエンス全史』しかり、「全史」の欠点は各項目おける深堀が難しいことにあると思います。しかし本書では各宗教・思想における「その先」を提示してくれているので、本書をスタート地点として自分の好みに合わせてその先の道を進むことが可能です。
3.知識のバランスと偏りに気づく
人というのはどうしても知っていることと知らないことに偏りが出てしまうものだと思いますが、本書はそれを教えてくれます。
例えば、私は仏教に関する内容は比較的知っていることも多くすらすらと読んでいましたが、イスラム教に関しては本当に何も知らないということを実感しました。
言い換えると、日頃のニュースなどから得る受動的な知識は、自分自身で咀嚼しなければ偏見として蓄積されるだけなのだと感じたのです。
4.「無知の知」を知る
3にも通じますが、自分の知らないことにも気づくことができます。
「知らない」というのは不思議なもので、自分で認識している無知もあれば、認識していない無知もあります。
この「無知の知」から分かるのは、やはり疑問を持つことの重要性です。例えば、私はキリスト教の経典として旧約聖書と新約聖書があることは知っていましたが、なぜ新約聖書が作られることになったのかは知りませんでした。疑問にも思わないので、知ろうともしなかったのです。そのことに本書の「第7章1:新約聖書が成立するまで」が教えてくれました。
◆ソクラテスの話が一番印象的だった
本書を読み終えて、一番印象に残っているのがこの箇所です。
ソクラテスは朝食を終えると、粗末な衣服を身に着け、裸足でアテナイの街へ出かけたといわれています。そして…(中略)…誰彼となく捕まえると問答を仕掛けるのでした。
ソクラテスは問答を仕掛けて、相手に自分の不知を自覚させようとしました。しかし、自分の不知に気づかない相手を無明の闇から引っ張り出すには、彼が不知なるがゆえに主張している論理を妥協なく否定する必要だあります。そのためには、相手の考えを強く論破したり、一笑に付する必要も生じます。相手によってはソクラテスに対して感情的になり、殴りかかったり、足蹴にしたりすることもありました。そんなとき、決して抵抗しないソクラテスを見て、市民たちがあきれていると、彼はつぶやくのです。
「もしロバが僕を蹴ったのだとしたら、僕はロバを相手に訴訟を起こすだろうか」
街でこういう人に絡まれたら嫌だわー。
ソクラテスよ、実はすんげぇ面倒くさい奴だったんだな。
◆レヴィ=ストロースをもっと勉強しておくんだった
読み終わって思うことは、大学時代にレヴィ=ストロースの構造主義を深く勉強しておくんだったということ。
当時の講師は、構造主義を次のように説明してくれました。
「例えば、今映画館にいるとする。映画が始まる前には、避難方法の説明があるね。その映像を見ることで、非常口の場所や逃げ方が分かる。さて実際に映画館で火事が起きたとしよう。みんなは最初に習った通り自分の席から一番近い非常口から逃げるだろう。これが、構造主義だ。この映画館という箱が社会で、そこには壁、ドア、椅子、スクリーン、映像という構造があり、これらがみんなの行動を決定しているんだ。直線で逃げるのが一番早いからって、誰も壁に向かって逃げようとはしないだろ」
社会ではこれらの構造が目に見えるとは限りません。例えば、同調圧力や社会規範は目には見えませんが、やはり人の行動を動かしたり限定したりする構造として機能しているのです。
この構造主義に関して、本書には以下の記述がありました。
(本質主義とは)すべての物事には変化しない核心部分である本質が存在する、という考え方です。超自然的な原理の存在を認める立場です。プラトンのイデア論も本質主義的な考え方です。そしてこの考え方は、構造主義が強く否定している思想です。ところが、構造主義と本質主義の間に、本当の学問的な意味での決着はまだついていません。決着がつけにくいのです。
この「(本質主義は)構造主義が強く否定している思想」という箇所が、どうも解せないのです。
それは、私自身が構造主義と本質主義の両方を支持しているからかもしれません。構造主義は、人を「社会的な生き物」として捉えた場合には優れた理論だと思うのです。レヴィ=ストロースの「人間は自由な存在ではないし、主体的にも大した行動はできない」という考えにも賛成します。しかしそれはあくまでも社会的な生き物としての人間であって、もっと深い所には本質主義が存在しているのではないかと思うのです。それは仏教でいうところの「空」、自然科学でいうところの「プラズマ」、はたまた天文学でいうところの「ダークマター」のような現代では発見されていない何かなのかもしれません。
そもそも構造主義は本質主義を否定する必要はないと思うのですがーー。今の私では答えは出なさそうです。
最後の「決着がつけにくい」という意味がこれなのかな・・・。
と、モヤモヤする終わりを迎えたので、あらためてレヴィ=ストロースの『野生の思考』から読み直そうかなと思っています。ああ、あとブルデューやフーコーあたりも読むかなあ・・・。