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韓国近現代美術を代表する画家・張旭鎭~「最も真剣な告白」at 国立現代美術館④~

 過去3回に続き、今月まで国立現代美術館の徳寿宮館で開催されていた「最も真剣な告白:張旭鎭 回顧展(가장 진지한 고백: 장욱진 회고전)」についての記事です。最終回です。

※張旭鎭(장욱진/チャン・ウクジン)は韓国の近現代美術を代表する画家です。

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4番目の告白「心から描く絵」
(네 전째 고백 - 내 마음으로서 그리는 그림)

 最後のセクションでは、1970年代以後の作品が展示されていました。

 730点余に上る張旭鎭の油絵のうち約8割を占める580点余が、最後の15年間に描かれています。晩年期に多作になった理由は、描き方の変化に拠るところが大きいと言われています。《家族》に象徴されるような、1960年代までに多用されたマチエール(※)は姿を消し、絵の色層は薄くなり、水墨画や水彩画のようなさらっとした澄んだ質感が主となりました。結果的に、作品創りにかかる時間も減少したわけです。

※マチエール:素材や材質を意味するフランス語で、作品の材質がもたらす効果をいう。

《黄土の道(황톳길)》1989年

東洋の精神と形態を一体化させた彼の油絵は、詰まる所『金剛経』の核心である「無想(※)」に集約される。……圧縮され、平面的だった初期の頃の作品が西欧のモダニズムの影響を受け、物事の属性を抽出して模した「抽象」の作業だったとすると、晩年の作品は「無想」の作業である。省略と凝縮、時空間の超越を通じて張旭鎭の省察と内面世界を表現しながら、真正な韓国的モダニズムを創出したと評価することができる。

※無想:心の中に、何も考えないこと。あらゆる想念をなくしてしまうこと。(コトバンクより)

展示パンフレットより一部抜粋・拙訳・加筆

 そんな張旭鎭の最後の告白――。

 それは彼の作品がそうであるように、純粋で、可愛らしく、しかし、仏教的哲学が染み渡った言葉でした。

絵とは描かれるものではなく、ぴょんぴょんと飛び出してくるものだ。心の中から……そのためには、心を明るい鏡のように、透き通る海のように、純粋で何も存在しない空っぽの状態にしなければならない。人の心の奥には、雑然とした染みや残滓が多い。喜び、悲しみ、欲望、執念が凝り固まり、熱病のように湧き上がっている。それを一つひとつ、取り除くのだ。すべてを取り除くと、小さな心だけが残る。子どものそれのように、小さな……このようにがらんと空っぽになった心には、すべての物事が純粋に映し出される。そんな心になってこそ、筆を握ることができるのだ。

張旭鎭、「京鄕画廊」、『週刊京鄕』1967年6月
(筆者による拙訳)
《木と家族(나무와 가족)》1982年
《太陽と月と虎(해와 달과 호랑이)》1987年
虎の下に誰かいる。
《並木道(가로수)》1986年
《道端で(길에서)》1987年
イ・マンイク作《張旭鎭の肖像(장욱진의 초상)》
イ・マンイク作《考えに耽る張旭鎭(생각에 잠긴 장욱진)》1972年

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 展示会以前、張旭鎭についてはほとんど何も知りませんでした。観たことのある絵画もほんの2,3点ほど。そんな張旭鎭独自の哲学と、ある意味で画家らしからぬ子どものような純粋で可愛らしい絵画は、韓国の近現代西洋画への興味をさらに掻き立ててくれるものでした。

 本当に楽しい展示会だったなあ。

 最後は、張旭鎭のこの言葉で締めくくりたいと思います。

絵を描くのは苦しいが、それほどに良いこともない。
一つの場所に留まり、感覚を研ぎ澄まし、精神を集中させれば、
そこには私以外、何も無い。

張旭鎭

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■■参考文献■■

韓国国立現代美術館『가장 진지한 고백: 장욱진 (1917-1990) 회고전 (The Most Honest Confession: Chan Ucchin Retrospective)』. 2023.

■■過去記事■■


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