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女優になりたいと言えば 「あなたは太っているし訛っているしハーフだから素人の一人としてなら輝けるでしょうね」 ダンスや歌が好きだと言えば 「あなたに強みは何にもないのね」 大学を出て教員の免許をとったら 「ちゃんとしてるじゃん、芸能する意味ある?」 私の夢みる芸能の世界は 大きくて曖昧で受け入れられにくい だけどそんな世界に私は励まされて生きてきた 小学生の頃からその世界に入りたかった ダンスも歌も演技も モデルもグラビアも やってみたら全部ぜんぶ楽しかった 好き
消えたいという気持ちは大きかった。 力いっぱい握った包丁を お腹に突きつけた 涙が溢れて手が震えた 母が帰る音で我に返る 「この感情は誰にもバレてはいけない」 小学3年生の少女は知っていた。 だから、精一杯いつも笑顔な活発少女。 気づけば自分を見失った成人女性 消えたい気持ちはまだ消えない ある日、 大好きな人が自ら命に終止符を打った。 少しだけ羨ましかった 少しだけホッとした 少しだけ生きたいと思った 苦しみをハンブンコにして 喜びを分かち合った あの時間
今年は大学を卒業し、 社会人という肩書ができた。 まだまだ知らないことも たくさんあるけど、 この肩書って少し重たいな... そして、 別れと出会いも多くて心が忙しかった。 (心が忙しいのは毎年かもしれないな) これまでの自分にありがとうと 言いたくなるような出会いもあった。 あのとき、 あの選択をしていなかったら...と 気づけば小学生の頃まで振り返っていた。 人生は 日々の積み重ねなのだと 実感することができた年だった。 いろんな大人に 言いくるめられ、騙され
前からそうなのだが 思いや考えを言葉にすることが 難しい。 だから 記事の下書きが溜まっている。 ゆっくりゆっくり進めていこう。 自分のために。 と思う 今日このごろ。
ひとりで闘っていたとき 居場所はあの公園だけ そこに少年はやってきた お互い前に進みたかった 無理に進むことはなかった 歩く仲間を探していただけなのかもしれない 仲間は意外と近くにいるのかもしれない 人って なんだかんだ孤独で なんだかんだ仲間がいる おさんぽしたり 挨拶したり 居心地のよい場所に通ったり 思いのままに行動したり 自分からなにかしらの アクションを起こすことが 仲間と出会うきっかけになる と信じたい。
気づいてくれる人はいる きっといる そう思うだけで救われる 気づいてもらいたい 助けてほしい 助けたい さみしい 笑わせたい みんな同じことを思っているのかもしれない でも 生きがいは人それぞれよね 透明な人間になんて そう簡単になれない と思いたい。
小野寺の弟と姉の関係性に うちあたいするものがあった 相手を幸せにする優しさは 相手を傷つけているのかもしれない 相手に幸せになってもらいたいから 優しさを注ぐ その優しさで 自分の思う道に進めなかったり 嫌な記憶を思い出したり 自分が惨めに思えたり 相手を嫌いになったり 自分を嫌いになったり それが本当の優しさなのか 自立したい 離れたい そう思えば思うほど 私が隣にいることが 母にとって幸せなのではないか 私だけ思い通りの道を進み 育てて
母親の人生を心配することを やめようと考えたばかりなのに 母親の生き方を描いた作品に 出会ってしまった...笑 友人におすすめされた作品だった。 あらすじは読まずに観た。 恋愛ものと思っていたが 想像とは大きく異なっていた 学校へ行かせたこと 旦那を迎えに行ったこと 手話を教えていたこと カニを食べに行ったこと 銭湯を運営させたこと すべてが母親の愛だった 求めていた愛情を 娘に 旦那に ヒッチハイクの青年に 探偵の親子に みんなに注
ときどき、勝手ながら 母親の人生の主人公について考える 母親自身なのか それとも子どもである私なのか ここだけみると 自意識過剰にも思えるなぁ 課題に追われて徹夜したとき 母親は私に悪いと寝ずに ずっと起きていてくれたり ちょうどに割れない数のものは だいたい私に多く与えてくれたりする サンドイッチとか ケーキの上の苺とか 母親が一人で外出すると 帰ってくるときには必ずと言ってもいいほど 私の分の何かが一緒に帰ってくる いつも私のことを考えてくれている
いろんなボヘミアン 自分が自分である人生 素敵だなぁ 多様な性、治ることのない病、 全てを受けれて 自分らしくいること 周囲の目を気にして 自分が劣っているとか 必要とされていないとか ときどき考えてしまうことがある でも 自分が生まれて 自分の人生を歩んでいく 他人の存在で自分の存在を失いたくない なくしてはいけない 他人からの刺激を 自分を蹴落とすものでなく 生きていく糧としたら 自分は成長できるのだろう 人生を歩むのは自分 主役は自分じゃないか
クリストファーのプーに対する言動で 心を痛めたとき 自分も同じことをするだろうなぁ と、なんだか寂しくなった 無邪気で縛られない時間、発想を 兼ね備えていた子ども時代 気づけば 打算的になり 何かをしないと何もはじまらない という考えに縛られ、時間に追われ 自分の時間を失っている 意外と自分も余裕がないんだな、、、 ゆっくりすること 大切な人と一緒にいること 遊ぶこと 何もしないこと 心の余裕が 最高の何かにつながるんだろうなぁ カエルになりたい
彼は注目の的だった 堂々とした立ち振る舞い 圧倒的威圧感、、、 彼を選んだのは国民だった しかし 彼は国民の家族を迫害した 映画の中で 国民が私を選んだのは私と同じ 価値観をもっていたから... と述べていた なるほど、、、 人間に優劣をつけて 気にいらなければ排除しようとする そして 確かなことが分からなくても 納得できなくてもとりあえずトップに従う 目に入ってきた情報のみを信じ 確かなことがわからないまま 「あの人とは関わらない方がいい」 「あ
3/26-3/31まで ショートフィルムの撮影があった。 瑞泉(ずいせん)学徒隊の 故宮城巳知子さん役を演じた。 私はもともと平和教育に関心があった。 その理由は自分のルーツにある。 メキシカン系アメリカと沖縄の血が 混ざったわたしは小さい頃から 「えー外人」 「国に帰れや」 と言われることが多かった。 この私の経験を 「私のポジション「沖縄×アメリカ」ルーツを生きる」(琉球新報社,2017年) で書いて頂いたことがある。 ある日、 自分の
3/26-3/31まで ショートフィルムの撮影があった。 瑞泉(ずいせん)学徒隊の 故宮城巳知子さん役を演じた。 演技は中学1年生の頃に学び始めた。 そして翌年には、 舞台「授業」やドラマ「琉神マブヤー1972レジェンド」という作品に出演させて頂いた。 しかしその後は ダンスボーカルユニットの活動が主になり 私のイメージはダンスと歌だけになってしまった。 大学生になり講義内で 創作民話劇「鬼慶良間(おにげらま)」 という劇に取り組んだ。 そこで再び演技について
思ったこと、感じたことを 書き残しておきたい。 何に書こうかなー、、、 そうだ、noteに書こう。 ということでここに書くことにした。