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『エッセイのまち』の仲間で作る共同運営マガジン

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#自己紹介

あたらしい服を買うということ。

久しぶりのnoteを書いている。 気持ちはここにあるのに なかなか書けていなかった。 最近夜の映画が楽しすぎて 幸せな夜更かしをしてしまうせいだ。 登場人物はおとなの恋人同士のふたり だけなのに。 まるで高校生みたいなのだ。 いつも舞台は違う。 彼らはただ話しているだけなのに とても幸せそうで楽しそうで。 わたしは勝手に3人目の登場人物になった 気分でいつも見ている。 幸せのおすそ分けをもらっている。 いつかその映画のことをくわしく 書いてみたい。 この間久しぶり

言葉はどこからやってきて、どこへゆくんだろう。

この間、ふるい喫茶店で話をしながら。 文章を書く時どんな感じで言葉が 手元にやってくる? みたいな話になっていた。 言葉ってみなさんどこからやって 来るんだろう。 どこで決断してその言葉を選択しようと どんな働きがあって、その言葉を獲得しているのかみたいなことに興味がある。 わたしは短歌をはじめた頃から 言葉はなにも浮かばない。 映像で頭に浮かんでしまう。 浮かんだ映像が頭にあるので、それを こんどは逆に言葉に翻訳している。 そんなふうに答えたような気がする。 最近

夏風邪と三ツ矢サイダー。

あーって扇風機の前で言ってみる。 あーってふるえる声が辺りに放たれる。 蝉が鳴いていた。 いつか網戸に蝉がくっついていて、部屋中に 蝉の声が鳴り響いていた。 あんなに思い切りなにかを言えたらすっきり するだろうなって夏の蝉に勝手に憧れる。 あー風邪ひいたかもしれん。 大学の終りの夏。 卒論疲れを感じていたわたしは 身体だけが取り柄だったはずなのに風邪をひいて、彼の部屋で悔しがっていた。 おでこに手をやるんじゃなくて、おでこで熱を測るあれをやってくれて、すこしだけお

「安全な場所に居続けてください」、もうひとつの意味。

もうひとつまえの台風が、やってくるとテレビのニュース 番組でアナウンスされていた時に、耳に止まったのが このフレーズだった。 安全な場所に居続けてください。 もちろんこれは災害に向けての命を守るための文言だし。 この文章の意味以上の意味はないのだけど。 わたしはすぐに思った。 ほんとうに、そうしたいと。そうありたいと。 Xとかを柄にもなくはじめてみたのが二年前だった けれど。 やり始めてみると、やたら内省するようになっていた。 内省し始めると、わたしのメンタルは

今さらですが…自己紹介っぽい記事を書きました

《連続1814日目!》 noteの世界では、自己紹介記事を書くのがいいらしい。 と、いろいろなところで聞く。 自分という存在を知ってもらえれば、自分の書く記事をより親しみを持って読んでくれるし、より深く理解をしてくれるはず。 それはわかっていたのだけど… なかなか、自己紹介記事を書くことをしなかった。 いや過去には書いたことがある。 それは、連続300日を過ぎた頃。 今から、4年以上前になる。 さすがに4年間経っていたら、 自分の状況も変わっているだろうし…

1000日チャレンジを1800日続けたら、マツコの隣に座っていた話

「石の上にも三年」 ということわざがある。 冷たい石の上でも3年間座っていれば、 物事が好転していくという意味らしい。 では、3年間ではなく5年間座ってみたら… とっても素敵なことが起こったので noteに書いてみました。 noteの中でチャレンジをしている クリエイターのみなさんへ この記事を贈ります。 ◆ 「あなた、まったく同じ色のジャケットを持っているじゃないの」 鏡の前でジャケットやTシャツを並べて、ポーズをしながら着せ替えをしている自分に向かって、妻が呆

幸せそうに、言葉がそこにいた。

言葉っていつも自分の中には どこを探してもいない気がする。 今こうしていても、ほんとうは なにも浮かんでいないけれど。 言葉を作ってくださいという わたしにとっては幸せなリクエストが 舞い込んでくるとき 自分の中なのかよくわからない 場所から言葉の種が、土の上に こぼれて芽を出す。 そしてやっと双葉になったときの それをわたしはそっと見つめる。 そんなふうにして、じぶんの掌の うえに言葉が触れてきているような 気がする。 この間、だいすきなお友達の うわの空さんか

誰かの手で描かれた「字」に溺れてる。

最近、手紙をひさしぶりにもらって。 やっぱり手書きっていいよなって、 思っていた。 便箋の選び方や、インクの色も含めて その人だなって。 文字の角が丸くなるところとか、句読点の 打ち方まで、愛おしくなることがある。 そう、わたしはジフェチ、字フェチなのだと 思う。 だから、書体もゴシック書体とか 明朝とか いろいろありますが。 やっぱり手書きが好きなので、わたしは 今日本棚をみながら、手書きのタイトルを 探したりしていたんです。 荒木さんのこのしゅしゅしゅっと柳のような

Googleフォト、写真のなかに写らないあの時間は記憶になってゆく。

スマホとか持ってしまうと、写すという ことの負荷がほとんどないので ひたすら撮ってしまうようなところが あるけれど。 これはほんとうに、素人なんだろうなって 思う。 反射神経的に撮ってしまう。 記録と記憶をアプリに頼ってしまう。 そうやってわたしにも莫大なフォトライブラリが増えてしまって。 整理するつもりで、削除する画像をみつけようと。 なにげなく検索ボックスでそれをやってみることにした。 断捨離フォト編ぐらいのつもりで。 確かにその時は、思っていたのだ。

僕らの「ら」に会いたくなって。

なかなかnoteに遊びに来れなくて。 またちょっと夜な夜な来ています。 いま部屋にひとり。 母がすやすや眠ってくれたので 二階にほんのり散歩しに来ている。 もともと母が眠っていたベッドが今は 空いているのでそこにパソコン持ち込んで あぐらかいてnote書いてます。 いつもはひとりだなって感じていることの 方が多いけれど。 今日は久しぶりにnoteに来てみたら、 タイトルに「僕ら」って書いてあるものを たくさん見かけた気がする。 もともとはShihoさんのnoteで出

じんせいを人生と書いてみたい、8日間だった。

ずっとnoteもおやすみしていて。 メンタルも弱っていて。 メンタル補強してからじゃないと、泣き言を書いてしまいそうなので。 その機会を待っていました。 母の介護。 やっと8日目を迎えられました。 まだ新米の新米だからなんもいえねーわけですが。 思ったよりはしんどくはなかったのに。 労働的に。 でもしんどかったのは、心でした。 作業の合間に、そのぽっかりした余白に 泣きそうになったり。 こらえたり。 みなさんこういう時間を過ごしているんだろうなって想像してみ

はじめてで、最後の妹。

4月19日。 まるで夏の訪れを感じるような春の日。 5カ月の入院生活を無事に終えて、 母が帰ってきた。 退院の時は、リハビリテーションのみなさんが 退院おめでとうの声を集まってかけてくれた。 母は平然としていたけど、わたしの方がうるっと きてしまった。 あの病院の主治医をはじ療法士さん、看護士さん スタッフの方々、すべてが恵まれ過ぎていた。 わたしが同じ病を得たら、お世話になりたいと決めて いるぐらい。 そんな母はいますべての今日の出来事を終えて 夏の全国高校野球

E90: 自己紹介風エッセイ3

自己紹介というのは、皆さんの前でフルヌードになっているような恥ずかしさを覚えます。うっすら腹筋が割れていた35年前なら、それなりに自信があったのですが、今のお腹は恥ずかしくて仕方がありません。見ないで! …え? 何の話でしたっけ? では続きを。 このシリーズは今日で終わります。長々とすみません。 私が若い頃、世の中には「マザコン、ファザコン」なる言葉が流行っておりました。父や母とべったりである人を批判するような風潮がありました。 そういう流れで言うと、私は「精神的ババ

藤井風「満ちてゆく」に満たされて。

リリースされてしばらく経っているので 後だしジャンケンなところは否めない。 藤井風の「満ちてゆく」の動画を見ながら いつも号泣してしまう。 noteは遺書だからって前から言っている そのあたりも映像と重なってわたしに とってドンピシャだった。 人が生きて悩んで生きて失ってまた ふたたび老いてゆく自分を生きて、 すべてを差し出しながら死んでゆく という世界観にわたしはとても共鳴 していた。 音楽的の技術などについてどう感じたかは 専門外なので書けないのでこの歌詞にこの映