2024/11/19
朝、いつも通り目が覚めて、んんうわあああああ〜!!!って大きい声を部屋中に轟かして、
ふわわわわあ〜、ねむう〜さむう〜と思いながら、当たり前に携帯に手が伸びて、ぼーっとした意識の中、ひとつの訃報に目がとまる。
子供の頃から慣れ親しんだ方の訃報。
そうかあ、と思い、毛布で包んでいた体をより一層丸めると同時に、今日は谷川俊太郎さんの本を片手に出掛けることを決めた。詩集と絵本を何冊か。
久しぶりに読み返した。正直、小学生の時も大人になった今も谷川俊太郎さんのことばを読み解く事や理解する事がいまだにできない事がある。
でもなんだか今日は、ひとつひとつのことばが得体の知れない感情をつれてきて、読み進めていくと時折、涙が溢れそうになる。そこに確かに谷川俊太郎さんはいて、ことばのリズムや、言い回しに表れていて、これからもたくさんの人の中に生き続けるんだろうと思った。
そして私はふと思い立って、《詩》という言葉を辞書で引きたくなり、すぐ調べた。
詩=谷川俊太郎でも良いんではないかと思うくらいにピッタリな意味で、今更ながら国を代表する詩人であったことに異論のある人はなかなか居ないだろうと思う。
しかし、谷川俊太郎さん本人は、詩人と言うこと、言われる事を嫌がっているというような記事を何度か読んだ事がある。今となっては本人に尋ねる事が難しくなってしまったが、一個人の私の意見としては、ただただことばを連ねること、文字として残すことが日常の中にあって、それがたまたま詩として残されていただけで、詩人としては生きていなかったんではないかなあ〜なんて。
全ての作品を最初から最後まで覚えている事はとても難しく、なかなかできることではない。でも、いくつかの作品を手元に持っておき、ふとした時に、谷川俊太郎さんの詩に触れる事で得ることの出来る何かがあると私は思う。
これから先も、私の家には谷川俊太郎さんのことばたちがいくつか残っていく事だろう。
谷川俊太郎さん、
たくさんのことばを残してくださって
本当にありがとうございました。
そして、ここから先は、私の感じる事と思う事をつらつらと書いているので、本当に読みたいと思って頂ける方が読んでくだされば嬉しいなと思います。
・言葉を扱う人や職業について
日本ではよく、ポエマーなどと言い、詩的表現をした時や詩を制作したりすると少し侮辱的な反応を示す風潮があると思っています。私はこれに関しては本当に子供の頃からずっと違和感が絶えなくて、なんでそんなに小馬鹿にする事ができるのかなと多々思った事があります。私自身、学生の時の小論文や作文を書くこと、詩を読むこと、物語を読むことがとても大好きでした。
ことばのうつくしさ、きれいさ、日本語の持つたくさんの表現の幅、それを知る事がとても楽しかったですし、ワクワクした事を覚えています。
みんながみんな、文を読むこと、書くことが好きになれと言っている訳ではありません。ただ、運動が好きな人がいたり、ご飯を作る事が好きな人がいたり、ゲームをする事が好きな人がいるように、詩を書く事が好きな人もいるという事。
ポエマーという意味を調べてみると、辞書には載っておらず、インターネットでいくつか調べてみると、和製英語だという事を知りました。紐解くと、日本で作られた言葉で、日本国外では通じない表現だということ。ポエマーという英語はなく、日本人が詩(ポエム)を書く人のことを知らず知らずのうちにポエマーと呼ぶようになったと。ちなみに英語だと詩を書く人はpoetと呼ぶらしいです。
つまり、ポエマーという、少し侮辱的に捉えられる表現は日本人が作り出したということです。この事実にただただ悲しいなと私は思います。
そして、より掘り下げていくと、昨今よく言われているコンプライアンスや〇〇ハラスメント。ここの言葉を使い分ける塩梅のむずかしさ。正解を見つけるには難しすぎる難題だと思いますが、これはもう信頼関係があってこその世界なのではと私は思います。
愛を込めていじっているだけ、面白おかしく言っているだけ、だとして、それはそれが許される関係性があってこそだと。
お笑い芸人さんの関係性こそ、良い例なのではと思います。人々を笑わせる事を卓越したプロの技で幸せな空間へと導いています。でもそこには信頼関係があって、それを愛するファンがいる。きっと苦手な人ももちろんいると思いますが、そこはしっかり距離をとって、自分自身を守れば良いんではないかと、思います。
わざわざ指をさして、バカにして良い事ではないのではないかと。お互いに。
もちろん誰も幸せにならないことをしているのならば、それは止めるべきだと思いますが、受け手としての力もこれからは必要なのではないかなと思います。
でないと、もっといろんな人に知ってほしい表現者や隠れた逸材がいるかもしれないのに、見えない攻撃的な人のせいでその可能性を閉ざしているかもしれないのです。時に、その試練を乗り越えてこそ、みたいなところがあるのも分かりますが、いきすぎた批判的な声というのは時に取り返しのつかないことになりかねないのではと思います。
しかし、これから先もずっとこういうことは、100%無くならないんだろうなという事も事実です。
悔しい事です。悲しい事です。
それでも、表現し続けている表現者の方達。本当に素晴らしいです。歌手の人や、俳優さん、ダンサーさん、画家さん、写真家さん、そして詩人さん。その他にもたくさんの表現者の方達がいます。人間なので失敗する事もあるだろうに、世間を相手にしていく事。怖いだろうなあと思います。でもその先には、素敵な感動があることも確かで、たくさんの人とその感動を共有できることも確かです。
素敵な事で、とてつもなく尊い事です。
そして、表現者でなくとも日々学校に行き続けたり、仕事に行き続けたり、時には自分を優先して、毎日を過ごしている事もすごい事です。私たちはそれぞれに皆頑張っていて、しあわせになる事ができる権利を持っていると思います。
いっぱい失敗して、ちょっと成功して、
また大失敗して、大成功して、
少しずつ成長できたらなって思います。
それぞれがそれぞれに
向かいたい先に向かっていけるよう
助け合っていけたらなあと思います。
今年ももうあと残りわずか、
悔いなく今年を締め括れるよう
残り1ヶ月弱、過ごしていきましょう
ここまで読んでくださって
ありがとうございました。
<あとがき>
はー、緊張緊張!
いつか言葉で表現していく事ができたらなんて思ってたんですが、これから少しずつ自分のペースで表現していけたらなと思います。私自身も、中学?くらいの時にポエマーって言われたことあって!それはそれはとてつもなく傷ついたし、恥ずかしい事なんだ!ってその時は思ってたけど、大人になった今でも書く事は好きだし、やっぱり書くことで何かしら表現できたらなって思う事が何回もあったので、私書きたいんだなって!侮辱的な声を跳ね返せるくらいの心持ちを今は全く持ち合わせていないので、少しずつその力をつけていけたらと思います!あと、かわす術も身につけていきたいっ!(いつになることやら)