木田元『ハイデガー拾い読み』(新潮文庫、2012年)を読んで。
木田元にはいくつものハイデガー論がある。刊行順に『ハイデガー』『ハイデガーの思想』『ハイデガー『存在と時間』の構築』『ハイデガー拾い読み』の四つがある。木田元のハイデガー論で定評があり、よく紹介されるのは岩波新書の『ハイデガーの思想』である。この本は『ハイデガー』と『ハイデガー『存在と時間』の構築』の間に位置する著作で、二著で扱われた学問的なハイデガー像を提示することに加えてナチズムとの関わりを論及した本で、学問的にはこの本が最初に入るべき入り口であろう。しかし木田元のハイデガー論に興味を持った読者に薦めたい一冊はどれかと問われれば評者は『ハイデガー拾い読み』を選ぶ。
先にあげた三つのハイデガー論の後に、木田元は『反哲学史』や『反哲学入門』といった一般向けの著作で広く知られていくことになる。その中で本書『ハイデガー拾い読み』もハイデガー紹介の試みとして著された一冊といってよいのだが、本書には他のハイデガー論にはない特徴がある。それは講義録の紹介を主体にした連載であることから、ハイデガーが『存在と時間』で取り上げた主題が敷衍された形で論及されていることである。他の著作では概説のような形で通り過ぎられてしまうカントやデカルトの実在論をめぐる考究は『反哲学入門』における哲学史を思わせる生き生きとした内容で、ハイデガーが念頭に置いていたであろう問題意識がくっきりと浮かび上がる仕組みになっている。ハイデガーがアリストテレスやニーチェ、そして中世の存在概念を覆そうとする様子を通して哲学史家ハイデガーの姿を見出すであろう。
上記の『存在と時間』での存在をめぐる考察を経て世界内存在をめぐる考察へと移るのだが、そこで世界内存在という言葉の来歴や、自然概念の検討がなされる。この後半部では意外な角度からハイデガーと東洋思想との親近性が取り上げられ読者はそこで言及される岡倉天心の『茶の本』や丸山眞男へと興味をそそられるであろう。それまでの木田元のハイデガー論では扱われることの無かった主題がここにはっきりと現れるのである。ちょうど本書はハイデガー研究と哲学者木田元の思想とを架橋する本と言える。
上記のように、本書はハイデガーの思想を講義録の読解を通じて紹介するものであり、著者のそれまでのハイデガー論で扱われた内容をより具体的に解説してくれるものである。本書によって読者は周到に『存在と時間』の核心へと案内され、なおかつ一つの哲学史の見通しが与えられ、そして哲学者木田元の仕事を目の当たりにできる、何とも贅沢な本なのである。本書は哲学を学ぶことの愉しみを伝えてくれる一冊と言える。