小林敏明『西田哲学を開く』(岩波現代文庫、2013年)を読んで。
西田哲学を解説する本は多い。上田閑照、藤田正勝、小坂国継らによって緻密な研究が積み重ねられており、田中久文の近著はその全体像を示すものと言えるかもしれない。しかし西田哲学を自分ごととして語る語りを選び、読者を西田幾多郎が立っていた地平に立たせようとすることにおいて、小林敏明氏の『西田哲学を開く』は抜きんでている。本文からも窺えるように中村雄二郎の西田論を意識して書かれてはいるものの、著者が海外で西田を紹介することを念頭に書かれたその一つひとつの論文は西田哲学を特色づける鍵語を生き生きと捉え直すことに成功しているのである。
本書の特徴は何よりも著者の従来の考察を背景に西田哲学を現代の哲学者たちとの対話の内に読み解こうとしていることにある。著者には既に西田の文体論と評伝とがあり、評伝において実に鮮やかに西田の心の内を汲み取りながらその思想的躍動を描き出している。その知的躍動の内実が如何なるものであるのかを著者の視点から解読するのが本書であると言えよう。対話の空間に呼び出される哲学者たちは、ハイデガー、デリダ、レヴィナス、アガンベンのみならず、キルケゴールや九鬼周造、それからトイニッセンや木村敏である。著者がそれまでに論及してきた主題をふんだんに盛り込みながら読み解く西田哲学は、それが今なお現役の現代思想であることを伝えてくれるのである。
著者の読解の一つの特色は、現代哲学の主流な思想と突き合わせるのみならず、木村敏の論考を導き手に精神病理学の深部に分け入ることにあろう。評伝の際もそうであったように著者の叙述に西田幾多郎その人を特定の病理の内に貶める意図はない。そこにはむしろ精神病理研究によって掬い上げられる洞察と突き合わせることにより、西田哲学の深部へと至ることができるのではないかという問いかけが含まれているのである。著者の叙述は一貫して平易であり、深遠な宗教思想の背後に隠れることがない。だがそれはそれまでに積み重ねられてきた西田の宗教理解を否定するものではなく、むしろ西田哲学をアクチュアルなものとして捉え、西洋の読者に提示するテクスト群であるからこその平易な叙述なのであろう。
副題の「〈永遠の今〉をめぐって」という言葉にもあるように、本書は西田の時間論でもある。「永遠の今」に凝縮された西田の時間論をアウグスティヌスらとの対話の内に解きほぐし西田哲学の可能性を提示してくれる本書は、繰り返し手に取りたくなる西田論である。著者の長年の研究が反映された本書は、西田の提示した問題群を通して著者自身の思想を窺える小林敏明入門としてもおすすめしたい一冊である。