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没男のショートコント③【ザ・ベスト・オブ・イレバ】

 ある爺さんが、とんでもない入れ歯をつけてたんだ。ほら見ろよ、コレ。ほら、これ。入れ歯だろ? 普通の。でも、とにかくすげぇ入れ歯なんだよ。

 ここに普通の入れ歯がある。俺の親父の入れ歯だ。さっきの入れ歯とは見分けがつかないだろ? いや、親父の方はちっと汚ねぇか。

 ものは試しだ。トンカチを持ってきた。ガンとやれば、親父の歯は粉っごな。すげぇ入れ歯は? ガンガンガンガン‥傷ひとつつかない。

 ダイヤか何かじゃないか? その辺詳しいからお前を呼んだんだ。鉱物とか、材料系強いじゃん。工学部出てさ。俺はまるきしだめだ。とりあえず、この入れ歯がすげぇってことは分かってる。

 難しい顔してんな。研究室に持ってかないと分からない? そうかもな。けどな、やっぱりこれはすげぇ入れ歯なんだ。

というのもな‥

 婆さん、爺さんの奥さんだ、が亡くなって、爺さんは気落ちしちまった。よくある話だ。辛いけどな。爺さんは瓦みたいな硬い煎餅が大好きで、婆さんが生きていた頃はバリバリやってたらしい。

 それが、婆さんが死んでメシすらとんと食わなくなった。痩せた。息子が心配した。食わなくなるから丈夫な歯もダメになった。もうホガホガ状態さ。入れ歯は作ったが、頑張っても形だけ。煎餅は食えない。

 爺さんは遠くを見ては、婆さんが入れてくれたお茶飲んで、煎餅が食いたいなぁ。と、一日中言ってたそうだ。そりゃそうだ。俺だってそう思うだろう。

 え? すげぇ入れ歯はいつ出てくるんだって? なに? なんで俺が入れ歯を持ってるかって? まあ、焦るなや。

 爺さんの願い事で、生きて実現可能なのは、何だ? 

 爺さんは2、3日行方をくらました。家族は警察に届けた。新聞に小さく情報提供を求める記事も載った。が、ちゃんと帰ってきた。よかった。

 なぜ爺さんが行方不明になったのか、誰も分からない。

爺さんは「婆さんと煎餅が食いたかった」と言っただけ。

財布には数千円が入っていたはずだが、なぜか1円も残っていなかったらしい。

 とうとうボケたと思った息子は、爺さんを施設に預けようか考えた。その矢先だ。爺さんが煎餅をボリボリやり始めたんだ。メシが食えるようになった。入れ歯のメンテナンスも事欠かない。そりゃ、息子も驚いたそうだ。

 でも、息子は爺さんを施設に入れた。爺さんは実際ボケてなかったから、しょうがないと渋々受け入れた。渋々な。
そりゃ、自分らが頑張ってこさえた家だもんな。しかも、婆さんと、子どもと過ごした家だ。惜しいと思わないはずがないだろ。

 俺もお前もアパート暮らしか。ハハ。

 施設の爺さんは元気になった。お茶を飲む女友達もできた。かったい煎餅は爺さんしか食わなかったらしいがな。

 驚いたのは、爺さんが掌で転がしていた胡桃を噛み砕いたって話だ。あり得ないだろ? 誰も信じてない。きっと今もだ。でも砕けたんだと。

 さすがの爺さんも寿命がある。集まるだけの家族が集まって、見送ったそうだ。天国でおばあちゃんと煎餅たべられるねって。

 この入れ歯は、爺さんを火葬した後に出てきたものだ。驚いたことに、磨いたら新品同様だ。胡桃を噛ませたら本当に砕けた。

 え? 盗みだって?

 いや、返すつもりだよ。早急に。そもそも、金にならないだろ。こんなの。

 早くおさらばしたい。
だからお前を呼んだんだ。爺さんが十字路で悪魔とどんな契約を交わしたのか。商売柄、それが気になるんだ。いずれにせよ、言うほど悪い悪魔じゃなさそうだがな。




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