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死んだ作家は信頼できるって話

少し前に『苦役列車』を読んだの。

この作品が芥川賞を受賞したときわたしはまだ10代だったわけだけど、受賞会見での発言を朝のワイドショーで見て「やっぱり風俗はこういうおじさんが行くもんなんだなー」と思ったことが強く記憶に残ってて。

失礼ながらそれ以後風俗という場所を思い浮かべるときには何度も「(おそらく)典型的な風俗客の容貌」として作者の顔が頭の中で再生されたわりに、西村賢太という名前はほとんど忘れてたと思う。

でもあるときネットニュースで作者の訃報を見て、久しぶりにその名前と像と受賞会見の記憶が結びついたら、なぜか生々しくその最期を想像できて感傷的になっちゃった。
人にはいろんな死に方があるけど、ブルーカラー出身の大柄な男性の急死って「あっという間」感と「やっぱりね」感で、その見た目に似合わない命の儚さを感じてすごく切なくなっちゃう。

そこからすぐには著作を読もうという気にはならなかったけど、ある日立ち寄った古本屋できれいな在庫があったし手に取ってみたんだ。なんだか落ち込んでたから私小説が読みたい気分だったし、薄いし。

作者は中卒なのに、読み始めた瞬間知らない言葉が飛び込んできて「おい、大卒。高等教育を受けたなら当然分かるよな?」と広辞苑で殴られたような気持ちになったけど、総じてとても読みやすい文章だった。
内容にもいろんな思いがあるけど、いちばん強く思ったのは作者が亡くなったことでこの小説は完成されたなって。
もちろん家族や友人にはつらく早すぎる別れでも、早逝によって作品には大きな付加価値が付いたような気がしちゃう。

だって、作中に書かれている若いときの半生はまさしく苦役のようだっただろうけど、この本が出版されてからの生活はどうだろう?
きっと収入は増えたし、有名になったし、作中の生活よりずっとずっとよくなったことは間違いないはず。
女の子を買うお店のランクだってきっと同じじゃない。身体に傷がある女の子は採用されないような店に通えてたかも。

だからもしそんな生活を何十年も続けて、西村賢太先生90歳で老衰!大往生!だとこの作品は読む人にとってはただのシンデレラストーリーの序章、お爺さんの若い頃辛酸自慢小説になっちゃう。ハピリーエバーアフターじゃ心に残らない。

自分の本棚のほとんどが死んだ作家の本で埋まってることに今まで説明がつけられなかったけど、死なないことには本当の意味では完結しないからなのかな。









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