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HelenaのMauvais Garçonを和訳してみました
2024年11月にリリースされた、比較的新しいフレンチポップの楽曲です。
"Mais moi je reste"(それなのに、私は居続ける)
と言うリフレインが特徴的な耳に残る歌です。
まずは、和訳からどうぞ。
Mauvais Garçon
悪い男が私を見下す
こういう姿の私は綺麗じゃないって言うの
私なんて何の役にも立たない
私と一緒にいても全然幸せじゃないんだって
悪い男は私を好きだと言う
だけど、私の全てを変えたがる
外に出て思いっきり笑う私の生き方でさえ
悪い男が繰り返し私に言う
もし私が彼の言うことを聞いたら、全部私のせいらしい
クラブに行くな、他の人と話すな、踊ったりするな
悪い男がひどい言葉を投げつける
私を貶す
だけど、いくら貶されたって、自由までは奪えないのよ
牢獄みたいな愛ね
それなのに、私は居続ける
どうして私は、悪い男と一緒に居続けるの?
悪い男は私を好きだと言う
だけど、もう辞めなきゃいけない
みんなも私に悪い男と会うのは止めたら?って言うし
だけど、彼は私を愛してるって言うの
悪い男が私を思い通りに動かす
私は操り人形のようになる
ある日は優しく、別の日は酷いことをする
悪い男が強気を装う
そして私は愛の法則を学んでいるのに、何も知らなくて
彼が私を引きずるたびに、どんどん彼のペースで走ってしまう
私は見つけた
私を待っていた愛を
それは彼の腕から遠い場所
今、私は知っている
もう二度と悪い男に振り回されたりしない
身を滅ぼしたりしない
それなのに、私は居続ける
どうして私は、悪い男と一緒に居続けるの?
彼のことなんか愛しているわけじゃないのに
◇◇◇
日本語に訳すと、歌詞全体が、恋に盲目で手に負えない女性の歌のようになってしまいましたが、実は原文のフランス語では少し違います。
小粋な言い回しというか、文学的な表現がキラキラしていて、
「とは言っても、実は振り回されている"私"を楽しんでいるのでは?」
と思わずにはいられませんでした。
そのフランス語の持つニュアンスがとても印象的だったので、紹介してみたいと思います。
Mauvais garçon me dénigre
悪い男は私を貶す
Me donne tous les noms d'oiseau
酷い言葉を投げつけて
Mais les oiseaux, eux, sont libres
だけど、いくら貶されたって、自由までは奪えないのよ
この部分は、フランス語ならではの比喩が使われています。直訳すると、
「彼は私に鳥の名前を全部投げつける」
「でも、鳥たちは、彼らは自由なのよ」
となります。
フランス語において、「鳥の名前全部」には、「酷い言葉」という意味があります。日本語でも「カモ(いいように利用されている人)」と言ったりしますが、そのような鳥を例えた悪い表現に、鳥がよく使われているのです。
いくつか例を挙げると、
Le pigeon(鳩)… お人好し
La poule(めんどり)… 男好きな女性
Le paon(孔雀)… 虚栄心の強い人
どれも感じが悪いですね… 確かに、これだけ悪い意味を持つ鳥の名前なら「酷い言葉」という感じがしないでもない… けれど、良い意味を持つ鳥もいるのですよ、鳥の名誉のために敢えて例を挙げます。
Le paon(孔雀)… 威厳がある人、美しい人
(悪い表現にも出てきた孔雀は、ポジティブな意味もあります。)
Le moineau(スズメ)... 小さくて可愛らしい人
(しかし、同時に、非力な人というネガティブな意味もあります。)
…こうしてみると、「鳥は全てネガティブの象徴」という訳ではないようですね。
どうして「酷い言葉」の例えとして「全ての鳥の名前」と喩えるのか謎ですが、この歌の中の女性は、恋人に酷い言葉を投げられて、それを「全ての鳥の名前を投げられた」と表現しました。更には、そのネガティブの象徴を「自由」だと言います。
そう、空を飛べる鳥は、フランスでも自由の象徴です。散々悪く言われている鳥たちだけれど、彼女は「鳥たちは自由だ」と言うことで、全ての鳥たちの尊厳を守りつつ、遠回しに自分の尊厳を守ろうとしています。
罵倒されて傷つきながらも、恋人に少し心の距離を置き、
「ああ、悪口言われてるなぁ」
「そんな私だけれど、私は自分を守る」
という意志を感じます。
そして最後に、
「どうして私は、彼と一緒に居続けちゃうの?彼のことなんか愛しているわけじゃないのに」
と言うのですよ。
彼女は、確かに心のハンドリングが上手くいかなくなっているけれど、それも含めて「今」を楽しんでいるような余裕があるような気がします。
恋に落ちた時、それが誰かに対しての出来事なのか、自分の中だけで完結する出来事なのか。考えさせられる歌でした。