過去に向き合う過程を書いていきます
過去に向き合うことにしました
少し前からX(旧Twitter)の方には書いているけど、私は現在自分の過去と向き合っています。
理由は一言でいうなら「思考のノイズを除去したい」から。
向き合うことにした簡単な経緯
私は八木仁平さんが代表を務める会社「株式会社ジコリカイ」の提供サービス「自己理解プログラム」を修了した身です。
そこで見つけた「本当にやりたいこと」実現に向け、日々もがいてます。
(”邁進してる”・・とかいう、かっこいい感じでなく、”もがいてる”の方が適切だと思う(;'∀'))
プログラムを受講している最中も感じたことだけど、実際に動き出して痛感したのが、自分の中に強い強い「禁止事項」「囚われ」があるということ。
「べき思考」「白黒思考」みたいな、いわゆる認知のゆがみと言われるものが近いと思います。
プログラムを受講してない方にはピンとこないかもしれないけど、自己理解プログラムで見つける「本当にやりたいこと」はあくまで仮説。それが正解かどうかは、プログラム修了後に本人が行動しながら検証していくべきものです。
だけど、自分の認知のゆがみが強すぎて、その検証に際してノイズになってしまう。前に進むために必要以上に労力を要している感覚。
「やりたいことの検証は決して楽な道ではない」はその通りだと思うけど、たぶんこのノイズはその大変さとは別物だと思う・・(;'∀')
なにより、私はもう長らく感じている「生きづらさ」をごまかせなくなってしまっている。プログラムを通じて自分の得意(才能)や大切なこと(価値観)を知ることができた。コーチさんや受講生の方々知り合って、自分が諦めていた「自分を認めながら生きる」世界の片鱗を見ることができた。
でも、自分を認めて、前を向いて生きようとすると、どうしても「何か」が引き留める。足を引っ張る、なんて生ぬるいものじゃなく、羽交い絞めにして引き留めてくる感覚。
そんな進むも戻るもできない状況に耐えきれなくなりました。
だから、今まで見ないふりをしてきた「生きづらさ」と、本気で向き合う。
そう決めました。
私が抱える生きづらさの源流
私の生きづらさには、おそらく「家族」の問題が関係している。
もっと言うなら「親」と言われる存在との関わりが影響している。
(明らかな虐待があった、とかではないです)
私は高校より以前の記憶がおぼろげにしかありません。特に家庭でのやり取りが思い出せない。
(なので、実は自己理解プログラムでモチベーショングラフを書くのが大変だった(;´∀`))
過去と向き合い始めて、少しずつ思い出しているけど、やっぱり断片的だし、分厚い壁の向こうにあるような、遠いものに感じてます。
思い出せないけど、なんとなく灰色がかっていて、陰気で、おぞましい感覚だけが残っている。
たぶん、そこに私の生きづらさの源流がある。だから、その部分に少しずつ向き合っていきます。
これから書くことと注意事項
私が過去と向き合うために使っている主な手段は「オンラインカウンセリング」と「ジャーナリング」、あとこれは始めたばかりだけど「認知行動療法に関する書籍の独習」。
それらを通じて発見したこと、気が付いたことをnoteにアウトプットしていこうと思います。
他者に伝えるつもりでアウトプット、言語化すると、自分の中で整理がされる、本当に理解ができると思うから。
ただ、内容的に非常に生々しいものになることが予想されます。
なので、体調の悪い方、気分が落ち込んでいる方、ネガティブな話が苦手な方は絶対に読まれないことをお勧めします。
逆に、万が一これから書く内容が役に立つ人がいるとしたら・・、”トラウマで苦しんでいる誰かを理解したい人”、”前を向きたいけど、過去が邪魔をしてなかなか難しい感じている人”。でも後者の方は自分のトラウマが刺激されるかもしれないから、「あ、きつい」と思ったらすぐに引き返してください。
過去を書くのは「同情してほしいから」じゃない、「前を向くために、自分の言葉で過去を解釈したいから」
道のり自体はめちゃくちゃ長いし、きついだろうけど、隅っこでじたばた頑張ります。