自分の感情を認められなかった
忘れたもの
私が忘れることにしたものは記憶だけじゃない。
それは、Aさんに対する”感情”も対象だった。
Aさんの意図を思考してしまった
小学生の時は、ただただAさんの言葉に「自分の未来は真っ暗なんだ」とおびえるだけでした。
でも、中学に上がったあたりから、それだけでは済まなくなってしまった。
ある程度成長し、多少は想像力がついた私は、”Aさんの言葉の意図”を考えるようになってしまいました。
「Aさんは何を伝えたくてあんな言葉を浴びせてくるんだろう」
「私にどうなってほしいんだろう」
「私はなにを直したらいいんだろう」
ゴミ箱だった
そして、気が付いてしまった。
「Aさんは私を”感情のごみ箱”にしているだけだ」
Aさんとの会話パターンはたいてい以下のパターンをたどりました。
「すみっこは○○だから、きっと将来苦労する」(私の問題)
「私なんて、××とか△△みたいな思いをした」(Aさんが過去に遭った不遇な体験)
「世の中は××なやつら(ちょっと記載するのがはばかられる内容)だけが評価されて、それができない私みたいなダメ人間は~」(Aさんの激しくゆがんだ認知による解釈)
「だから、あんたも搾取される」(私のネガティブな未来予想)
当時も今も、私はこのパターンから「私を心配する要素」「私のために叱っているという要素」はほとんど感じられませんでした。
当時の私が行き着いた結論は
「Aさんは自分が過去に遭ったつらい出来事について、話を聞いてほしいだけだ」
「行き場のない怒り、悲しみを受け止めてほしいんだ」
「でも、親である自分がそんなこと表立って言えないから、私を”心配するふり”、”叱るふり”をしている。そうすれば私が聞かざるを得ないとわかっているから」
というものだった。
それと同時に
「でも、Aさん自身はそんなことを明確に意識していない」
とも思ってしまった。
自分の感情を認められなかった
親であるはずのAさんから、負の感情のごみ箱にされているということ、私を逃がさないように”心配するふり”をしてきているということ、そのことにAさん本人は気が付いてすらいないということ。
当時の私はこの結論に達したとき、言語化しようのない感情に襲われました。おぞましいというか、恐ろしいというか・・絶望的な感覚。
そして、自分の弱さから目を背け続けているAさんに対して「かわいそうな人、哀れな人だな」と感じてしまった。
だけど、当時の私はそんな自分の感情を認めることができませんでした。
「他者に対してそんな感情を抱けるほど偉いのか」
「養ってもらってる身で何を思っている」
「親の保護下にいて社会の厳しさなんて知らないくせに、わかった風なこと言うな」
「全部自分の妄想でしかないだろ。」
そう否定して、忘れることにした。
自分の特性を呪った
たぶん私の「内省」資質がここまで突出していなければ、こんな結論には行き着かなかったと思います。「腹立つ!」「なんでそんなひどいこと言うの・・」で終わったかもしれない。
でも、私はものごとの奥の奥まで考えてしまう人間だった。Aさん自身の言葉の意図を解釈しようとしてしまう人間だった。
そういう意味で当時の私は自分の”考えてしまう”という特性をひどく嫌悪しました。他者を解釈しようとするなんて、なんて身勝手で傲慢な存在なんだ、と思いました。
今の自分が思うこと
今にして思えば「潔癖だな」と思います。
自分の中の黒い感情、ある種の冷酷さを受け入れられなかった。
というか、今でも受け入れきれてない。
「哀れ」なんて感情、抱きたくないし、せめて「怒り」を感じてほしい。
でも、現状「怒り」という感情は抱けません。
怒りというより、「考えてしまう私」と「客観的に自分自身を見たり自分の言動が他者に与える影響を想像できなかったAさん」、両者の相性が最悪レベルで悪かった。
出会ってしまったこと自体、運が悪かった。
そう考えて「悲しい」と感じている。
カウンセラーさんには「感情の乖離」(今の自分では受け止めきれないから、感じないようにしている状態)の可能性を指摘されています。
乖離しているのか、あきらめきってしまっているのか、よくわかりません。
でも、過去の感情や思考を思い出したことによって、正体不明の「息苦しさ」が「悲しい」という感情に変わった。
「どっちもポジティブじゃないやん!」という話だけど、私としてはいまの感情の方が幾分かましだと感じています。
いつか、「悲しみ」が「怒り」に変わる瞬間がくるのかな・・、そのへんはよくわかりません。