過去の自分からぶち切れられてます
過去の自分からの悲痛な抗議
昔の感情を思い出すこと、そしてそれを受け入れること。なんとなくそれが一歩進むためには必要な気がしてます。
でも・・過去の自分にめっちゃ怒られる・・。
どう思うと言われましても・・。
以前の記事でも書いたけど、私はカウンセラーさんから「感情の乖離」の可能性を指摘されています。
確かに怒っていいんだろうな、というAさんの言動に対して
「どう思う?」
って考えてみると、
「どうと言われましても・・・」
という感想しか出てこないことが多いです。
もう、どうこう思える上限を超えているというか・・なにかがつっかえて感情が出てこない感じ。
これが乖離というものに該当するのかわからないし、カウンセラーさんがどの程度の確信度で指摘くださったのかはわからないけど、気持ちが悪いし、なんだかもどかしいです。
「どう思ったの?」その一言がきっかけで、過去の自分にブチ切れられた
以前の記事で書いたように、過去の私は”Aさんに対する感情”を忘れる選択をしました。
でも、この引っ掛かりをとるには、過去なんて思ったかを思い出す必要があるかもしれない・・。そう思って過去の感情を思い出そうとしてみました。
過去の自分に
「ねえねえ、なんて思ってたの?教えてよ」
って聞いてみた感じ(二重人格ではない・・と思います(;^ω^))。
「別に、どうとも思ってない」
帰ってきたのはそんな返事。
一見すごい淡泊に思える返事だけど、そう口にする過去の自分は明らかに何かを我慢している、というか”拗ねている”様子でした。
(現隅)「いや、明らか拗ねてるじゃないですか、なんか思うところあったでしょ」
(旧隅)「うるさい。気にしてない。気にするほどのことじゃない」
(現隅)「じゃあ、なんでそんなに拗ねてるの・・(;^ω^)」
(旧隅)「拗ねてない、割り切ってる」
(現隅)「割り切らないでいいって、教えてよ。素直な気持ち聞きたいんだって」
(旧隅)「うるさい!!!」
(旧隅)「素直な気持ちなんて伝えてどうなる!!あの人が変わるのか!?あの人との関係が変わるのか!?変わらないだろ!!」
(旧隅)「親を嫌いになったって離れられるわけじゃない、家族という役割から逃れられるわけじゃない!自分の感情を自覚したら、自分が辛いだけ。
だから考えたって仕方ない、そう割り切ることにしたんだ!!」
過去の自分からそう言われて、とっさに反証が思いつきませんでした。
というか、ここで論理的に反論しても、それはより一層彼女との繋がりを希薄にしてしまうだけ。
理屈でねじ伏せて「だから教えろ」と迫るのは、過去の自分に勝ってしまうのは・・いざとなったら「誰が金を出してると思ってる」というキラーワードで彼女を黙らせてきたAさんの行為と何も変わらない、そう感じました。
中途半端な優しさなんていらない
(旧隅)「私の痛みを伝えたところで、あんたに何ができる。痛みを消せるのか?過去は変えられないのに、私の痛みをなくせるのかよ!!」
(現隅)「か…過去は変えられないよ。でも、解釈を変えることは…」
(旧隅)「解釈を変える…?正論ばっか言うな!!それは私の痛みを否定するのと何が違う!!」
(現隅)「・・・」
(旧隅)「私を救えないのに、救う覚悟もないのに、中途半端に手を差し伸べるな。中途半端にこちらを向くな。割り切れという厳しさより、中途半端な優しさのほうが、よっぽど残酷だ」
彼女がこれほどまでに傷ついていると思わなくて、私にはなんて返せばいいのかわかりませんでした。
恐らく彼女は自分の痛みを消してくれる"何か"をずっと求めてる。
だけど、それは多分叶わない。
痛みをなかったことにはできないし、なかったことにするのも自分を否定されるようで我慢ならない。
痛みを誤魔化すことはできるかもしれないけど、もしそれを外の世界や他者に求めてしまえば、その先に待つ未来はきっと明るいものではない。
そのことには彼女も気づいてる。
痛みを否定することもしたくない、外の誰かに求めるのも違う、でも一人で抱えるのも耐えられない。だから、感じないふりをしている。
多分、彼女の痛みを和らげるのは、大人である私の役目です。私はもう子供ではない、大人として、幼い頃の私自身を守らなければいけない。
でも、彼女の激情や絶望に対してどう返してあげればいいのか、自分に何ができるのか、正直わかりません。