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なんだか息苦しい記憶たち

思い出せないなぁ・・と思ってた何気ない日常の風景。思い出してみたら、なんとなくの息苦しさ、気持ち悪さが漂っていました。

おぼろげだった過去の景色がちょっとずつ見えてきた

あいまいな過去の記憶

以前の記事でも少し書いたけど、私は高校より以前の記憶がおぼろげにしかありません。家族とどんな会話をしたのか、どんな風に過ごしていたのか、そういったことがほとんど思い出せない。

私は「視覚情報」が頭に残りやすい人間です。なのに、20年以上過ごした実家の景色がほとんど残っていない。残ってるイメージも灰色がかっているというか不明瞭だったり、断片的な感じ。

なんとなく変だな、とは思っていました。
でも、「昔のことを覚えてない」なんてよく聞く話だし、大げさにとらえすぎかな、と思ってスルーしてきた。

今思うと、英断だと思います。
改めて向き合ってみて、一人で向き合っていいものじゃない、と実感しているから。色んな方から助力いただいて向き合ってる今でもかなりきついのに、一人で向き合っていたら精神的にもたない・・。
もしかしたら、無意識的にそう判断して向き合うことを回避してたのかもしれません。

今はカウンセラーさんとのやりとりや、自分なりの言語化を通じて、少しだけど昔の風景を思い出しています。そして気が付いたことは、忘れていた記憶の大半に「なんとなくの気持ちが悪さ」が伴うということ。
思い出した記憶はどれもAさんや家族との些細なやり取り、でもなんでか息苦しさや気持ち悪さがつきまとっている。

好きなパンを丸々一個食べたかったなぁ・・

軽いものから行きましょうか。

Aさんは「家族で分け合うこと」に強いこだわりを持つ方でした。
その表れの一つが「パンを買ったとき」だった。

私の家庭は基本的にごはんが主食でした。でもたまにパンを買う時があって、私にとってパンを食べられるのはすごく特別な感覚があった。
一番うれしいパターンは「自分がパン屋さんに同席できて、自分の好きなパンを一つ選べる」というシチュエーション。自分の食べたいものをなんでも一つ選んでよい、というのがすごくうれしかったです。

大概チョコレートを選ぶ(笑)

でも、そうやって選んだパンは「必ず家族間で等分された」。
自分が食べたくて選んだのに、自分が食べれるのはその一部でしかなかった。それはどんなサイズのパンでも共通でした。だから、ボール状の小さいパンを選んだ日には、ひとかけらしか食べられない(笑)
原型もなにもわかったもんじゃなかったですね(;´∀`)

そんなある種ほほえましく見えるかもしれない光景だけど、いつからか私は違和感を感じるようになりました。
どうして「私が食べたくて」選んだのに、他の人に分けないといけないんだろう、どうして「ほかの人が食べたくて」選んだのに、私ももらわないといけないんだろう。

「丸々一個食べたいなぁ・・」
当時の私はそんなことを思ってました。

一度、確かパンではなかったけど、自分で作ったお菓子とかなんかそういう系統のもので「自分のものだから、自分で全部食べたい」と主張したことがあります。

最初は「みんなでわけようよ」と軽く言っていたAさんだけど、次第に怒り始めて、最後には「家族なのに!!」と泣いて怒りだしてしまった。
BさんとCさんは「自分が食べたいんでしょ(笑)」と流していたけど、私は泣くほど怒っているAさんが怖かったような気がします。

どうして泣かせてしまったかわからなくて、怖かった…気がする

暑中・残暑見舞い、何書いたの?

些細なシリーズで言うならもう一つ、これは今思うと明らかに気持ちが悪い記憶。

小学校まで(もしかしたら中学校まで)、私の家庭では暑中見舞いをクラスの人たちに書く風習がありました。上半分が家族旅行とかの写真、下半分は手書きのメッセージを書くためにまっさら、というレイアウト。
このメッセージ欄を埋めるのがそれはそれは大変だったなぁ(;^ω^)。2~3時間使って10枚とか20枚とか書けるかどうか・・、おかげで全員書き終わるころには完全に「残暑」見舞いになってました。
当時の私の中では完全に「苦行」認定されてましたね(笑)

文章の比率が多すぎる…(;´∀`)

手書き文章を大量生成するのが大変、というのもあったけど、一番つらかったのは書くネタがない・・ということ。特別親しくない人にも出していたから、書くネタひねり出すのが単純に大変だったのもあるんですが・・たぶんそれだけではなかった。

私が書いた内容は必ずAさんのチェックが入りました。
「失礼なことを書いてないか、一回見せてね」
そんな趣旨だったと思います。

こんなこと書いたら「失礼だ!」と言って叱られるんじゃないか、あんなこと書いたら「あんた、こんなことしてたの!」って怒られるんじゃないか、そこまではっきり意識していたわけじゃないけど、なんとなくそういったことを気にしていたような気がします。

今にして考えると「通信の秘密ってご存じでしょうか…」という案件ですが、当時の私にとっては「まあ、自分は子供で未熟だから、親がリスクを感じるのはしかたないか。」という認識でした。

子供は親に管理されるのが当たり前、たぶんそんな認識が私にもAさんにもあったんでしょうね。

思い出した記憶に共通していたこと

他にも小さな違和感を感じるものはあるけど、内容に関係なく、なんとなく”息苦しさ”を感じる記憶が多いです。
その違和感の理由、それは「一人の人間として尊重されていない」という感覚を覚えるから、な気がします。

家族だから自分のものは差し出して当然、子供だから手紙の中身は管理されても当然。私はAさんにとって管理の対象、「私だけのもの」をもつことは許されない。
私は個人ではなく、家族の一部、Aさんの一部、として扱われていたのかもしれません。

「個として尊重されてこなかった」という表現が近いのかな・・。

家族だから、親だから、子供の世界に土足で踏み入っていいんでしょうか…

今の思考パターンに対する影響

このことに思い至って、ぞっとすると同時に、「ああ・・だからか」と納得した部分があります。

私は自ら「ブラックな環境」に身を置く癖があります。
長時間の活動や人格否定が当たり前のブラックな部活、アカハラ気質のある指導教員の研究室・・とか。
別に不運だったいうつもりはなくて、全部自分の責任で自分の選択だと捉えてきたし、実際そうだと思います。

でも、”なんでその選択をしたのか”にきちんと向き合ってなかった。
今にして思えば・・それはおそらく「私を個人として尊重しない環境」に身を置くことに安心感を覚えるから。
私の領域を犯してくる人に、Aさんの面影を見出してしまうから。

カウンセラーさんには「染みついた対人関係の再現をしているのではないか」と指摘をいただきました。
仰る通りだと思います。

でもそれだけじゃない。

これはどちらかというと以前の記事に関係するけど、たぶん私はずっと”Aさんの代わり”を探している。
Aさんの代わりに私を認めてくれる人を探している。
そうすれば、「Aさんに認められなかった」という過去の苦い思いを払しょくできると思っている。

だから私は”私を否定してくる人”、”私を認めない人”に惹かれるのだと思います。

・・我ながら、なんちゅー不毛な。。

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