ハブられたって私は走る。
私が、小学6年生の時。
駅伝大会の選手に選ばれた。
4年生から3年連続だったし、選ばれた以上は、練習に参加するのは、当たり前だと思っていた。
ところが。
練習初日、他に選ばれた女子が、1人も来ない。
先生から「何か聞いてないか」と聞かれても、私が知りたいよ、という心境だった。
他学年の児童にも、動揺が見られた。
そりゃ、そうだろう。
本来、自分達を引っ張ってくれるはずの6年生が、揃って練習をボイコットしたわけだから。
とりあえず、初日はそのまま、練習をした。
そして、翌日。
やはり、私以外の女子は来ない。
これは、後になって知ったことだが、
選手に選ばれた、私以外の女子全員で集まって、ダルいから行かない、となったらしい。
つまり、私はハブられたわけだ。
それを知った時は、怒りと、やはり、という気持ちで一杯だった。
ずっと、いじめられてきたし、今更、だよ。
自分にそう言い聞かせた。
先生から、何か言われたのだろう。
私以外の女子が、練習に揃って参加するようになった。
しかし、今まで走り込んできた、しっかり練習組との、走力の差は歴然だった。
下級生に先に行かれて、その結果にあからさまに、不満顔の女子もいた。
無理に来なくてもいいのに。
これが私の本音。
結局、大会に出場した、6年生の女子は、私だけだった。
そして、区間賞を獲得することが出来た。
他の女子は、面白くなかっただろう。
困らせてやろうとしたことが裏目に出て、最高の結果で(彼女達には最悪の結果で)、チームを解散することになったのだから。
因果応報。
悪いことは、出来ないように、世の中はなっている。
たった1人の6年生女子として、練習に参加していた間に、後輩達とも仲良くなった。
私を孤独にしようとしたのだろうけど、失敗だったね。
ハブられたって、私は走る。
選ばれた責任を思えば、当たり前のことだ。