見出し画像

私はあなたのコンシェルジュ

 どうも、夏休みの激務から解放された(?)私です。


 今回はメディアパルさんの企画【#子どもに伝える私のしごと】に参加させていただき、観光案内コンシェルジュという職で働く私がこの夏どんな体験をしたか、どんな思いを子どもたちに伝えたいかを書いていこうと思います。久しぶりのnoteなので乱文乱筆はご容赦くださいませ。






■観光案内所のコンシェルジュ


 東京都内のどこか。

 ビル街でもなく、住宅街でもない、大きな公園の近くに、私の職場はあります。コロナ禍の中、新たに立ち上げられた観光案内所。そこで働く私たちは、観光案内コンシェルジュという肩書を与えられています。

 コンシェルジュって言葉、あまり耳慣れない方もいらっしゃるかもしれませんね。フランス語の本来の意味は「案内人」ですけれども、こと旅行業界や宿泊業界においては、お客様の総合お世話係といったイメージで語られることが多いようです。

 でも、私たちは、ホテルのコンシェルジュのように、チケットの手配をしたり、レストランの予約を取ったりするわけではありません。より本来の意味での「案内人」に近いことをしています。

 そうですね、ネット全盛のこの時代、自分で検索して調べれば、目的とするところを探し当てるのはそう難しいことではありませんね。実際に私たちもパソコンを使って、いろいろ調べ物をしています。

 そうなんです。調べてわかることを聞きに観光案内所に来る人は、ほとんどいないのです。私たちの仕事は、調べてもわからないものを聞きに来られた方──もしくは、それ以外の目的で来られた方のお世話をすることにあるのです。地元の図書館にしかない地誌に載っているようなことを聞きに来られる方。お年寄りの足で回れる観光コースを相談しにいらっしゃる方。お子さまが退屈しないような展示内容であるかどうかを聞きに来られる方。単におしゃべりがしたくて来ただけの方。みなさん、それぞれさまざまな目的がおありになり、それに対応する私たちの答えも紋切り型一辺倒というわけにはまいりません。ここで働くものたちの知識や経験、そして個性を活かした応対をしています。

 この夏が──夏休みが始まる前は、徐々に忙しくはなりつつも、ふだんとさして変わらない職場風景でした。しかし、コロナ禍以降、初めての行動制限のない夏休みは、想像を超えた変化をもたらしたのです。


 子供、子供、子供。


 親子連れはもちろん、おじいちゃんおばあちゃんに手を引かれた子供たち、先生に引率された子供たち、子供たちだけのグループ、そしてひとりだけの子供。男女問わず、年齢もまちまちな、おびただしい数の子供たちが連日、観光案内所を訪れるようになりました。
 彼らの質問はシンプルでありながら、なかなかどうして、そうかんたんに答えを出せるものではないことが多いのです。そして延々と続く、「なんで?」「どうして?」の嵐。その姿を見て、私は自分の子供時代のことを思い出しました……





■子供の「なぜ?」に真剣に向き合う


 私も幼いころは、執拗に「なんで?」「どうして?」を連発する子供でした。端的な例を挙げれば、お気に入りのアニメ番組が30分で終わってしまうことに納得がいかず、「なんで もうおわっちゃうの?!」「もっとみたいよー!!なんでもっとやんないの!?」「なんで?!うわーーーん!!」と泣きながら駄々をこねる、そんな子供だったのです。

 おぼろげな記憶ですけど、このとき父は「そんなのテレビ局に聞け」くらいしか言わずにうるさそうにしていましたが、母はアニメがどうやって作られているかを幼い私にもわかるようにいっしょうけんめい教えてくれたことを覚えています。(当然、理解はできずにまた泣いていましたけど……)

 また、今でもとてつもない博識として、そして唯一無二のクリエイターとして尊敬している叔父(母の弟です)は、幼少期から今にいたるまで、最も私の「なぜ?」に応えてくれた人物です。叔父は幼い私のたどたどしい疑問も、生意気を言い始めた年頃の主張も、いわゆる中二病全開のころの自分に酔った考えにも、世界が欺瞞と怠惰にあふれているという事実に不満を隠さなくなった学生時代にも、常に真剣に向き合ってくれました。

 そう……私には、私の「なぜ?」に真剣に向き合ってくれる大人がいたのです。そして毎日訪れる子供たちを前にして、私は思いました。

 私の番が来たのだ、と。

 私は結婚しておりませんし、子供もいません。けれども、蜘蛛の子を散らすように走り回る幼稚園児から、元気の権化たる小学校低学年の男子たち、おしゃれや男子の話題に花を咲かせる高学年女子たち、推しの声優についてなんの前触れもなく話を振ってくる中学生コンビ、はにかみながらうなずく高校生くらいの子、レポートに使うからなにか面白い視点を教えてくださいと迫る大学生の三人組、親子ほど歳が離れた子から弟や妹のような年齢の子たちまで、実に多くの「なんで?」「どうして?」に応える日々が始まったのです。それはかつて私に応えてくれた大人たちへの恩返しのようなものであったかもしれません。





■知恵、知識、教養


 話を聞き、受け答えをしていく中で、痛感させられたのは、子供ならではのシンプルで、しかも大人ならそうはならないだろうという発想でした。今まで積み上げてきた知識が通用しないところへと話がすっ飛んでいくのです。

 大人のお客さま相手であれば、その方が何を望んでどんな答えを求めているか、言動や挙動などからある程度は推察することができます。でも、子供には──年齢が低くなればなるほど──それが通用しなくなってきます。これはどうすればいいのか……?私の頭でどうにかできることなのでしょうか?

 かつて私は叔父に聞いてみたことがあります。頭がいい、とはどういうことなのか、と。『知恵と、知識と、教養とをまんべんなく、高い水準で維持していること』と叔父は答えました。私はさらに聞きました。知恵、知識、教養とは?と。『知識は多くのものを知ること。知恵はそれを応用する力。教養はそれらをわきまえる能力のこと』と叔父は言いました。

 この観念的な質問に即答できるということは、おそらく叔父自身、何度もこの問いを自分自身に発していたはずです。その時の私はまだ二十歳くらいで、知恵と知識とのくだりはなんとなくわかったのですけれど、教養の「わきまえる」という部分がもやもやとしてひっかかりました。

(空気を読むってことかな?)

(でもそれだと媚びを売るとか、ソンタクするとかになっちゃうんじゃ?)

 と思っていたのです。
 ですが、子供たちの相手をするうちに、わかりかけてきたような気がしました。

 子供たちの心は、自由であると同時にナイーブでもあります。特に居場所の少ない子、頼れる相手の少ない子には、受け答えひとつとっても細心の注意が必要です。興味がない、という態度が声や姿勢に出てしまうと、子供の心は敏感にそれを感じ取ります。おずおずと話しかけてきたその一言が、その子にとっての精いっぱいであるかもしれないのです。

 失敗も多くしました。その子の話したいことを全部先にしゃべってしまったり、忙しすぎて手も口も回らずに相手をしてあげられなかったこともあります。できるからやっていいとは限らないということと、体ひとつでは限界があるということを思い知らされました。

 しかし徐々に慣れてきたのか、考え方を少し変えてみたのです。

 子供たちの目線に立って、子供のように興味を持つ。それを大人の知恵と知識でカバーする。
 久しく忘れていた、理屈抜きで未知を楽しむという感情をほんの少し思い出した時、私の頭脳も、人生も、フルスロットルで加速していきました。

 高速回転する頭で知恵を働かせ、ため込んだ膨大な知識を振るう時と場所と相手の心をわきまえたとき、それはきっと教養と呼ばれるものになる。

 いまだその境地に程遠いのは承知していますけれども、これが、叔父の言葉を私なりに解釈した結論です。
 教養とは、相手の心に軟着陸するための力。
 そして、相手が不時着してきたときに安全に包み込む力。
 子供たちをたくさん相手にしてきた夏休み最後の日になって、ようやくわかりかけてきました。





■伝えたい、承け継いでほしいこと


 思えば、叔父はわざとわかりづらい表現をしたのかもしれません。最初から答えを与えてしまうと、私がそれ以上考えるのをやめてしまうと思ったのかもしれませんね。

 この「知恵、知識、教養」の話は、観光案内コンシェルジュというお仕事には一見関係がなさそうですけれども、実はすべての職業にとって大切なことだと思います。

 明日から学校が始まる子たちも多いでしょう。私のいる観光案内所も、ようやく一息つけることとなるでしょう。

 最後になりますけども、ここを訪れたすべての子供たちに、記憶の片隅にでもいいので、ずっととどめてほしいことがあります。

 それは、ここには、なぜ?に真剣に向き合っている大人が必ずいるということ。親や先生などから興味を持たれなくても、ここにはどんななぜ?にも全力で一緒にダイブする大人がいるということ。

 そして、大人になったときに思ってみてほしいのです。
 今度は自分たちが、子供たちのなぜ?に全力で向き合ってみようかと。


「子どもたちに伝えたい私の仕事」の話は
「子どもたちに伝えたいの仕事」の話でもあります。


 今までの人生では無かった、新しい気づきと学びを、ありがとう。まさに激務で忙殺されましたけれど、noteを開く暇もなかなか取れませんでしたけれど、楽しかった。
 
 来年も、たくさんの子供たちに会えますように。
 未知なる体験が増えれば増えるほど、私もまた成長するのです。





 最後になりましたが、この素敵な企画を起こしてくださったメディアパルさん、知らしめてくださった福島太郎さんに感謝の念をお送りいたします。








今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

それでは、ごきげんよう。




この記事が参加している募集

サポートしていただくと私の取材頻度が上がり、行動範囲が広がります!より多彩で精度の高いクリエイションができるようになります!