11月11日、介護の日に寄せて
とても考えさせられる記事に出会ったので、今日のニュースつぶやきは拡大版です。
「難病「ハンチントン病」に向き合った夫婦の15年」
不随意運動、認知障害、情動障害。30代〜40代という働き盛りに最も多く発病する遺伝性疾患。最後は立つことも座ることもできなくなり、寝たきりになってしまう。しかも優性遺伝だなんて……
こんなとき、私は無力だと感じてしまう。こういった病を抱える人や介助者は、どうしてほしいのだろう。私には、身近にそうした重度の障害を抱えた人がいたという経験がない。職場である観光案内所にいらっしゃるお客さまの中には、車椅子やストレッチャーをご利用されている方もいる。私は手を握って(白手袋ごしだけど)目を見て話しかけたり、大して高くもないコミュ力を総動員して、できるだけ面白おかしく、その地域や施設、ゆかりの人物や名物の歴史、魅力をジェスチャーを交えてお話しすることくらいしかできない。
もちろん、やっているときは「これが私のベストの説明だ!やっぱすごいな私!😃😃😃」と得意満面なんだけど、時間がたつにつれて、(あれもできたはず……あそこも甘かった……足りないところだらけだ……不甲斐ない😞)との思いが強くなり、下を向いてしまう。
自分の知識の薄さ、経験の無さによるネガティブな思考に、時には押し負けそうになる。でも、そんなときは決まって「できねーもんはできねーんだよ!でも今に見てろ!すーぐできるようになってやんよ!(# ゚Д゚)」と私の中の憤怒が牙をむく。
私はお仕事で、介助者のようにお世話をすることはない。できるのは、おそらく数少ない外出の機会で、この観光案内所を選んで来てくれた人たち──障害を持っている人も介助者も──に、最高の体験をしてもらうことだ。観光の定義はいろいろあるだろう。そしてそのすべてを私がやることはない。他にくわしい同僚たちがいるからだ。
私ができることは、施設や人物、風物にまつわる歴史の物語を伝えることだと思っている。
歴史を知るとは、年表を眺めることではない。そこには生きた物語がある。時代を生きた人たちの生き様がある。
私は訪れたすべての人に、自分も生き様を刻んだ歴史の証人なんだと思ってもらえるような語りをしたい。そのためには知識が要る、技術が要る。
もっと知りたい。もっと話術を磨き、文章力を鍛えたい。
たとえどんな状態でも、想像力の翼はなくさないでいてほしい。それが私の望み、私のやり方、接し方。
この観光案内所に来たからには──この酎愛零のところに来たからには、絶対に楽しんで帰ってもらう!手を握って、目を見て話しかけ、せいいっぱいのコミュ力を駆使して、できるだけ面白おかしく、その地域や施設、ゆかりの人物や名物の歴史、魅力をジェスチャーを交えてお話しすること。
それしかできないのではない。
私には、それができるのだ。
研鑽を積み、いつの日か私が達人級話者になったあかつきには、やってきた誰もが興奮に胸をはずませ、歴史の浪漫に浸ることだろう!😃😃😃たとえ今は陰キャのコミュ障だとしてもだ!
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最後になったけれど、15年に渡る闘病生活を終えられて旅立った淳さんに哀悼の念を、そして彼女を支え続けてそれを『結構しあわせだったんじゃないか』と振り返る青己さんに心よりの敬意を表します。
※お二人をモデルにしたラジオドラマが、介護の日の今日、11月11日にMRTラジオで放送されます。
MRTラジオシアター「それでも僕は、君の手を離さない」
11月11日(木)午後1時~午後2時
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、ごきげんよう。
生きとし生けるすべての人に、恩寵がありますように。