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いつでもニコニコ〜ハッピー・ママ
母は八十歳を過ぎた頃から、だんだんと足の力が弱くなり、電車に乗る時などは、私が手をとって引っ張ってあげるようになりました。
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ママと私は家に帰るために、中央線四ツ谷駅のホームで電車を待っていた。
ホームに電車が止まりドアが開く。いつものように私はママの手を引きながら先に電車に乗り込んだ。そのとき、握っていたママの手が私の手からするりと抜けた。
びっくりして後ろを振り返るとママがいない。次の瞬間、私は車両中に響き渡るような悲鳴をあげた。「きゃー!ママー!」
ママの両足がホームと電車の間に落ちて、かろうじてお尻がホーム側に引っかかっている。ちょっとでも触れたら線路に落ちてしまいそう。
私はパニックになった。でもそれは一瞬のことだったと思う。次の瞬間、ちょうどドアのところに立っていた若い男性が、さっとママを両脇から抱きかかえ引き上げてくれた。ママは無事だった。
そして、何事もなかったように電車は走り出した。
周りの人たちは良かった、良かったと声をかけてくれたが、私は安堵と同時に、体中の力が抜けてしまい返事ができなかった。
シルバーシートに座っていた人たちがママと私のために席を空けてくれた。年配の人が私に「あなたも座りなさい。そのほうが落ち着くから。」と優しく私の背をなでた。私はまだ青い顔をしていたのだろう。
次の駅で母を助けてくれた男性が降りていった。頭を下げてお礼を言った。母の命の恩人なのに、名前と連絡先ぐらい聞けばよかったと思ったのはずっと後になってからだった。
座ってから15分ぐらい経つと、ようやく私も落ち着いてきた。ママは怪我もせず痛いところもないと言う。
それでも私の頭の中には、ママがホームと電車の間に体半分落ちてしまったときの映像が何度もフラッシュバックする。やがて、私はその映像に変なことがあると気づいた。
ママの表情だ。映像の中のママはニコニコしている。ホームにお尻だけが引っかかっている危機的状態なのに。
ママに聞く。
「ママ、あの時、ニコニコしていなかった?」
ママ
「そうよ。」
私はびっくりしてどうして?と聞くいた。
「だって、誰かが助けてくれるって思っていたから。」
と、ママは落ち着いた声で言った。
この信頼感はどこからくるのだろう。自分の親ながら、この時は、本当にママは凄いと思った。
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母の絶対的な安心感、信頼感は、母の命の生きる力から湧き出ているような気がしました。
ハッピー・ママのハッピー娘